覚悟
まるで記憶に焼きつけるよう。
頬をほんのりと染め、瞳を潤ませて。だけど強がっている表情をじっと眺め続けて。
「ルカ」
確かめるようにはっきりと名前を呼べば。
まだ拗ねているのか、空色が睨むように見上げてくる。
その瞳を強く見つめ返す。
「ごめんなさい」
言葉を落としたら、「え?」と。一瞬、面食らった目が見開いた。
「酷いことを言った、私。あんたを傷つけた」
「…………」
私を見上げてくる空色が、何のことかと数秒、逡巡して。
「ああ」
そのことか。と、言うみたいに返事をする。
途端、視線は逸れ、瞼が伏せる。
「別にいいよ。傷ついてないと言ったらウソだけど」
もう一度、見上げてくる瞳には迷いもなく、ただ力強い色を込めて私を射抜く。
「でも、あんたの言葉で目が覚めた」
そして少し、瞳が気まずそうに横へ逸れる。
「そしたら色々と思いだしてさ。だけどこれはマリアのせいじゃなくて、僕の問題だ。今度は神じゃなくて、酒に頼ろうとした僕の弱さの問題」
「…………」
すぐに戻ってきた視線は、だけどさっきと何も変わらない。力強く、より澄んだ色をしている。
「マリアのお陰で現実と向き合う覚悟ができた。だから気にしないでいいよ。むしろお礼を言いたいぐらいなんだ」
その言葉が紡がれるたび、心に引っかかっていた棘が流されていくようだった。
また、私はルカに救われた。
一度目は私を最高の歌い手だと認めてくれたとき。
そして今度は、私の罪を許してくれた。
引っかかっていた棘は流れたはずだ。
だけど胸がいっぱいで、「ありがとう」を言いたいのにでてこない。
口を開けばじんと熱を持った両目の奥から、涙が溢れそうだったから。
少しの沈黙のあと。
ルカがおもむろに口を開いた。
「あんたが言ってた、報われない男の復讐だって話。覚えてる?」
私は頷く。
「それを聞いて、思いあたることがある」
声音は真剣だった。
「それはきっと、父様のことだ」
きっぱりと言い切られた言葉に、私は驚いた。
「え? お父さん?」
「あの男は母様を愛してたけど、愛しすぎて気が狂ってた。母様の体が弱りはじめたときは、いっそ恨んでいたくらいだ」
ルカの言葉に、日記のことを思いだす。
確かに。
マリア・カラスが大切にしていた歌を奪い、部屋に閉じ込めたうえで、さらに子ども達の存在さえ奪っていた。
純粋な愛ではなかった。それは確かだ。
「もしも人体実験にあの男が関わっていたとしたら、兄さんが手伝っていてもおかしくない。兄さんは父様の言うことにはいつも従順だったし。それに、うちは昔から教会に寄付を続けているから、教会とも繋がりがある」
「信じてくれるの? 人体実験のこと」
「信じるよ」
短くそう言ったあと、ルカが言葉を続ける。
「あれから僕も、教会の内部を色々探ってみたんだけど。確かに気になることがあった」
「気になること?」
「あんたが言ってた、拉致した教会の男は、もしかしたら使徒かもしれない」
「使徒……」
脳裏を過ぎるあの男は、言われてみれば隙もない動きをしていたように思う。
私が後ろを向いた一瞬の隙をつき、一気に距離を縮めてきたのだから。
普通の人間ではまずありえない。
「僕たちはいつも一人で行動するし、使徒同士に仲間意識なんかない。だけど、一人だけ気になる奴がいるんだよね。……まだ憶測でしかないけど」
一人言のように呟いたあと、ルカはまた修道服の内側に手を突っ込み、取りだした何かを掴んでいた。
そしてそっと手を開く。
と、そこにはお星さまのお守りが一つ。
少し血で汚れている。
「さっき殺した奴から回収したものだ。使徒の試練を乗り越えられるよう、渡されるもの。教会からはそう聞かされてた」
「そう。スラムでも同じものが配られてるわ」
「スラムでも? それは知らなかったな」
意外そうに驚く顔を見下ろし、ぎゅっと胸が詰まる。
本当に使徒は何も知らないんだ。
教会のために手を汚しているというのに、真実は隠されたまま。ただ利用されている。
お星さまをまじまじと見つめる彼を見ていると、不意に声が落ちた。
「これ、やっぱり使徒が縫ったものとは違う。縫い目が雑だ。他の誰かが縫った跡みたい」
「…………」
それはきっとマスターだ。
ニクスから聞いたことを伝えようとして、口を開くと同時。
はっと、気づいたような表情をしたルカが私を見上げる。
「もしかして、マリアが手違いで拉致されたのって……僕が渡したお守りのせい?」
「ルカ、聞いて」
動揺している空色をしっかり捕まえ、言葉が届くようゆっくりと繋いでいく。
「あんたは私の夢が叶うようにって、ただそれだけの気持ちでこれをくれたんでしょう? だったらそれの何がいけないの? 悪いのはルカじゃない。それを利用しているヤツらよ」
「…………」
「そりゃあ、確かに。私もニクスから聞いたときは、あんたのせいだと思ったわ。あんたと出会わなければよかったと思った」
瞳はまだ後悔と不安、その両方で揺れている。
だから私は、それを包み込むよう、笑ってみせた。
「だけどね、嬉しかったのも事実よ」
揺れていた瞳がぴたりと止まり、今度は戸惑う。
「……嬉しかった?」
「うん」
お星さまを乗せている手を下から支えるみたいして、きゅっと右手で包む。
その手は少し冷たい。
「私の名前を聞いても笑わなかった。いい名前だって褒めてくれたし、私を最高の歌い手だって認めてくれた。まだあるわよ」
包む手に力を入れる。
「誰にも言えなかった夢を、あんたは応援してくれた」
「…………」
「だから、ありがとう」
「!」
さっきは言えなかった。
でも、ようやく言えた。
見開いた両目は、驚いたのか。
数秒、そのまま固まって動かずにいて。
瞳を覗き込んだとき、隠すように俯いた。
そして、ぽつり、と。
「……なんか、泣きそうだ」
震える声音が呟く。
「まだ酒が残ってるのかも」
それから言い訳みたいにつけ足す。
ふと顔を上げた空色が、今度は私を捕まえにきた。
「僕のほうこそ、ありがとう」
しっかりと捉えて離れないその色を見つめ返す。
「マリアの言葉に救われた。神様じゃない。あんたが昔の僕ごと救ってくれたんだ」
「そう。なら私たちは同じね。私もそんな気分だもの」
何でもないことのように言ってのける私を見て、ルカが小さく吹きだした。
「敵わないなぁ、ほんと。最初に会ったときからずっと、変な人だと思ってたんだよね」
クスクスと笑いながら、頭を胸元へ預けてくる金糸に、言ってやる。
「それもお互いさまでしょう」




