口づけ
全身を巡る血が、沸騰しているみたいに熱い。
それなのに目の前では、花を咲かせた笑顔が嬉しそうに私を見ている。
「どう? 満足した?」
顔を背け、膝のうえでドレスの生地を握る。
小さな笑い声は楽しげに、でも何でもないことみたいに答えるんだ。
「うん。満足」
だけどすぐに気がついたように、「あ」音が洩れた。
「そうだ」
何だろうと顔を正面へ戻す。
するとそこには心配そうな色を滲ませた瞳がある。
「マリア、体は大丈夫?」
「……大丈夫じゃない」
「え?」
「さっきからおかしな感じがするから、早くしてほしい」
「…………」
「なに?」
自分から聞いておいて、瞬きもせずこちらを凝視してくる、少しぽかんとした表情を睨む。
そうしたらルカは俯き加減で、口元を右手で覆う。
「ねだられるなんて思わなかったな……」
その小さな一人言は、だけどはっきりと耳に届く。
私は呆れて溜め息と同時に吐き捨てる。
「はぁ? なに言ってるの。早くして、って言ったの!」
「へぇ?」
ルカが手を下ろし、意味ありげに笑う。
なんなの。
やっぱり生意気なヤツ。
睨みつける私を見て、ふふっと声を洩らしながら、ルカは修道服の内側に手を突っ込み、ジッポーを取りだした。
それから一度、周囲を見回す。
自分のすぐ横に置いてある煙草の箱に気づくと、そこから一本抜いて。
不意に私を見た。
「早くしてほしいならこっちに来てくれよ。僕の膝の上に乗って」
「は? なんで?」
またとんでもないことを言いだすから、反射的に問うてしまった。
思いきり眉を顰めて、だ。
「まだ少し頭が重いんだよね。だからそっちが来てくれると助かるんだけど。頼むよ、マリア」
ついさっきまで、清廉そのもの。純粋な子どもみたいに見えていたのが一変。
どこか甘えるような声音で私の名前を呼ぶ顔は、絶対にわざとだ。
完全に新しい切り札を手に入れ、それをちらちらと見せつけてくる。
それともそれが素の彼なのか。
どちらにしても、巧みに主導権を握ろうとしているのは確かだ。
悔しい。
確かに中和剤は彼の手にある。
それにここで揉めていてもラチがあかない。
いつ症状がでるかも分からないのだ。
それでもせめてもの抵抗として、盛大に舌を打つ。
面倒だと言わんばかりの動きでベッドに上って。
動きを止めた私を見て、ルカが空いた左手で、ここだよ。と、言うように。
ぽんぽんと、自分の膝を軽く叩く。
「あんたみたいに軽くないからね!」
また吐き捨てて、そこへどさっと座ると同時に真上から睨んでやる。
「なんの話?」
笑い声が混じった音が、煙草に火をつける。
キーン、と鳴る。聞き慣れた金属楽器みたいな音。
だけどおかしい。
目の前の金糸は、火をつけただけ。
そこから動きもしない。
なにしてるの?
怪訝な視線で問う。
そうしたら「ん?」という惚けた顔が私を見返してくる。
だからもう一度。今度は言葉にする。
「なにしてるの?」
「それはこっちの台詞だよ。あんたこそ何やってんのさ」
「は? どういう意味?」
「早くしてほしいって言ったのはそっちだろ? だったら早く来なよ」
「…………」
答えを聞いても意味が理解できず。
いや、意味が脳を滑っていくといったほうが正しい。
黙ったまま、真上から見れば空色の瞳が、すっと細くなる。
一瞬、確かにニヤリと。まるでイタズラを思いついたように笑って。
「まさか、キスのしかたも忘れた?」
「キスって!」
「しょうがないな」
反論しようとした私の言葉を遮り、ルカが小さく息を吐く。
その隙を見計らって、「キスじゃない」そう言い返したとき、左手が私の腰に回り、ぐいっと引き寄せた。
そのせいで開いていた距離がぐっと縮まる。
驚いて目を開く自分の顔が、空色に映り込む。
ルカが顔を背けて煙草を唇に咥え、すぅっと軽く吸い込んで。
「今度はちゃんと覚えてね」
囁く声が、砂糖菓子の匂いを吐いて。
紫煙が私とルカの間を浮遊する。
その瞬間、体から力が抜けていく。
それを見計らっていたかのよう。
美しい顔が見上げるように下から近づいてきて、唇が触れる。
舌先が私の唇をなぞり、舐める。
開けて。と、言うように。
恐る恐る隙間を作れば、紫煙が体のなかに注ぎ込まれていく。
でも、唇は離れない。
まるで食むように、いつまでも私のものを奪い続けているから、ついに息が苦しくなって。
肩を押し返して顔を引き剥がす。
「っはぁ、はぁ」
乱れた呼吸を整えながら、声を絞りだす。
「なにをそんなに焦ってるの?」
反してルカは、ちっとも息を乱していない。
「焦ってる? 僕が?」
ただ心外だとばかりに顔を歪めるだけ。
「そうよ。普段も生意気だけど、今のはもっと生意気で強引じゃない」
そう言えば、ルカが押し黙った。
それから気まずそうに視線を逸らし、ぽつりと溢す。
「…………それは、……だって気まずいだろ」
「なにが?」
「なにがだって?」
信じられない。
まるでそう言いたげな音をだし、深い息を吐きだしたりしている。
修道服の内側から筒のような小物を取りだして、そのなかに煙草を押し込んで。
「いっそ記憶がぜんぶ飛んでればよかったのに」
拗ねたみたいに瞼を閉じる。
その顔を数秒、凝視し続けて。
「ああ。もしかして、恥ずかしいの?」
「っ、あのさ!」
瞼が開き、少し赤くなった顔が正面を向く。
恨めしそうな瞳が私を上目に睨んでくる。
「そういうことは黙っててよ」
……不覚にも、少し可愛いと思ってしまった。




