本物
リハーサル。
というものを、当然、人生ではじめて経験した。
「まだお客様が入っていないから、緊張しないで」
ロージーはそう言っていたけれど。
ステージに立った瞬間、目眩がしそうだった。
──────圧巻。
ただただその一言に尽きる。
ガラクタでできたステージに立っていた私にとって、あの大きな舞台は、正直飲まれそうだった。
地上から天井まで客席が層のようにあって、舞台を囲うようにできていた。
どこからでも視線が注がれ、こちらからもよく見渡せる構造になっていた。
中央にはこれでもかと大きなシャンデリアが、照明を受けてきらきらと輝いていた。
リハーサルだけで体力を持っていかれた私は、楽屋のソファーで横になりながら真っ白な天井を睨みつけている。
ロージーやリリアンヌは昼公演が終わったばかりでも、顔色を変えず夜公演に向けての準備と昼食をとっていた。
マリア・カラスもこの劇場に立っていたのよね。
たくさんの人たちに歌を聞いてもらって、そのときは確かに満たされと感じた彼女は、けれど心が空っぽのまま。
その気持ちが今は、なんとなく分かる気がする。
ここは夢にまで見た場所だ。
まるで現実味がないほど、まだ疑ってしまう自分がいる。
本当にこれは現実なの? と。
頭は混乱してばかりだ。
目まぐるしくどんどん変わっていく景色に、なんとか食らいつこうとしているけれど。
追いつかない。
それでも心は、なんだか虚しくてしかたがない。
それだけは確かなことだ。
この矛盾の正体を、私はまだ暴けずにいる。
◇
◇
控えめな赤い口紅。
耳には高級そうな金のイヤリングが揺れて。
裾が広がった赤いドレスは、腰の後ろにフリルがつき、ずしっとした重さを感じる。
舞台にはリリアンヌの力強い歌声が響き渡っていて、空気がびりびりと震えているのが分かる。
劇場がまるごと彼女に魅了されている。
大きく、深呼吸をした。
私は、私の歌でぶん殴るだけ。
あのときそうしたように、また。
店で一緒に歌っていた、ポロンポロンと鳴る、鍵盤の戻りが悪いピアノとは桁違い。
音の張りや響きがまったく違う、鍵盤の音色。
映りの悪いテレビで見たことがある、オーケストラという楽器を操る集団。
少しの狂いもない、重厚な生演奏が、音の余韻を残して終わった。
一瞬だけしんとなったあと。
「ブラーヴァ!!!」
響き渡る歓声と拍手の渦が、劇場を包み込む。
凄い………
これが本物の歌手。
舞台袖で小刻みに震えている私は、格好だけは本物と同じなのに。
まったく馴染めずにいる。
たとえば真っ白な場所に落ちた、黒みたいな。
リリアンヌが笑顔のまま舞台袖まで歩いてきた。
途端、すっと消えた華やかな笑顔。
それと代わりに敵意に満ちた視線が私を射貫く。
そしてすれ違いざまに、「失敗すればいいのに」それは私にだけ聞こえる声だった。
だけど、逆に覚悟が決まった。
震えが止まる。
絶対に成功させてやるんだ。
私は正面を睨みつけたまま、暗い舞台袖から目も眩むほどの明るい場所へと進みでた。




