カペラ
金色の装飾が施された丸い屋根。
それを太い石柱が何本もそびえ立ち、支えている。
白い石造りの壁。そこには細かい模様が掘ってある。
大きい。
それがいちばん最初の感想。
ニクスの屋敷を見たときも圧倒されたけれど。
それとはまた別だ。
なにか神聖な雰囲気を放ち、視界に収まりきらない巨大ものを見上げ続け、ふと心に影がさす。
──────ここで歌うの? 私。
以前カエラムが言っていた。
劇場がある場所はもっと賑やかだって。
本当にその通りだった。
周囲には通りに面した、たくさんの店が並び、乗り物が途切れることなく道を走っていて、歩いている人も多い。
緑に溢れているし、とにかくエネルギーを感じるような場所だ。
「どうした? 別に取って食われるわけじゃないぞ」
黒塗りの車が去ったあと。
私は乗り物から下りて一歩も動けないのに、数歩先を行っていたニクスが足を止め、振り返った。
ここへ来る道中ですっかり調子を取り戻したらしい。
澄ました顔を恨めしい気持ちで睨み返し、動け! 自分の太ももを拳で殴る。
すると、ふっと唇の端を釣り上げて笑ったその人が、長い足ではたった二歩で距離を詰めてきて。
私の拳をそっと手にとった。
少し体温が高い体質なのか。それとも私の手が冷えすぎているだけなのか。
私の拳を軽く握る右手は温かい。
「うちの大切な歌姫だ。誰であっても傷付けることは許さない」
声音は低く、落ちてくる。
赤い瞳が見下ろしてくる。
「離して」
吐き捨てながら自分の手を引き離す。
「その意気だ。行くぞ」
微笑を浮かべたまま背中を見せると。
衛兵のような格好をした男性が二人、扉を守るように立っているそこへ向かっていく。
二人が「おはようございます」張りのある声を揃え、ニクスに頭を下げる。
彼は軽く応えながら、近づけば勝手に動く、両開きの扉を抜け、どんどん歩いていく。
置いていかれないよう駆け足で地面を蹴った私の姿がドアに映っている。
赤いドレスのスカートを揺らしている姿が。
なかに入ると人の声や気配が鳴り渡っていた。
廊下にカツカツとヒールの音が響き、その合間に先を行く革靴のコツコツとした音が不揃いに響く。
暖色の落ち着いた明かりの下、ときどき人が行き来していて、誰もがニクスを見て頭を下げながら、「おはようございます」と、挨拶していく。
数歩、先にある赤髪はそれにすべて応えていて。
不意に、足が止まった。
ようやく追いつくことができた。
と、甘い香りが鼻先を掠め、追いかけるように顔を左へやれば。
部屋のなかには鏡がずらりと並び、みんな華奢な女性たちが化粧をしながら談笑している後ろ姿が飛び込んできた。
ただそれだけの光景なのに、とても華やかだ。
なかば見惚れて眺めていたら。
そのうちの一人と鏡越しに目が合った。
だけど彼女の視線はすぐさま隣へと動き、「あ!」というような表情を見せたあと。
白いレースのワンピース姿で勢いよく立ち上がり、駆け寄ってくる。
「ニクス様!」
その一声だけでも分かる。
彼女が彼に対する気持ちが。
それくらい嬉々とした音だった。
栗色の髪を纏めた彼女は少女のような幼さを残した面持ちで、ニクスの腕に絡みつく。
嬉しそうに輝いている褐色の瞳が、ぴたり。と、私で止まった。
「だれ、この子」
途端、声は低くくなり、敵意のこもった視線が私を貫く。
「マリアだ。今日から専属の歌手になった。君の仲間であり、ライバルだ。リリアンヌ」
「マリア? へぇ。でもどうしてニクス様がわざわざ連れてきたの? まさかニクス様がスカウトしたの?」
「まあ、そんなところだ」
「ええっ! そんなのずるい!」
高い声が辺りによく通る。
リリアンヌは薄いピンクの濡れたような唇を尖らせ、絶対に取られたくないとでもいうように。
腕にきつくしがみつき、薄目で私を睨みつけてくる。
ニクスはそんな彼女に構いもせず、払い退けることもせず、視線だけを横目に、私へと流す。
「マリア。リリアンヌもこの劇場の専属歌手だ」
「はじめまして」
できるだけ柔らかい声で。笑顔を作ってみたけれど、褐色の瞳は剥いた牙をなかなか隠してはくれない。
「ロージー」
不意にニクスが別の名前を呼んだ。
すると鏡の前に座っていた女性が一人。
彼女も白いレースのワンピース姿で立ち上がり、折れてしまいそうなほど細い体でやってきた。
白い肌には優しそうな笑顔が浮かんでいる。
「話は聞こえていたな?」
「はい、しっかり」
「なら話は早い。彼女の面倒を見てやってくれ」
「はーい。分かりました」
また赤い瞳ごと、なまじ整った顔がこっちに向けられる。
「彼女はロージーだ。後のことは彼女に聞くといい」
頷く私を見て、ニクスが硬い音を鳴らす。
「今日は君にとって記念すべき日だ。緊張をするなとは言わない。だが舞台に上がる以上、失敗は許さない」
「…………」
顔を少しあげて。横目で隣を見上げる。
と、ニクスが小さく笑んだ。
「──────ようこそ、カペラへ」
囁くようなその言葉に、けれどなんの反応もせずにいたら。
「なんなのこの子、生意気」
「いや、彼女はこれでいい」
「なにそれ! 特別扱いなんてずるい! アタシにも特別扱いしてよーー!」
ニクスが去っていくのと一緒に、リリアンヌも腕にしがみついまま遠のいていく。
その後ろ姿を眺めていると、とても澄んだ声が鼓膜を撫でた。
「ごめんなさいね。リリィはニクス様のことが大好きだから」
優しさが滲みでている柔からな響き。
「あなたも歌手なの?」
「え?」
青い瞳が丸くなる。
「とても綺麗な声をしてるから」
その瞬間、ロージーの顔がぱっと明るくなった。
胸の前でぱちんと両手を合わせて。
「ありがとう。とっても嬉しいわ。だけどわたしは今、ダンサーをやっているのよ」
「えっ? ダンサー?」
以外な返答に、今度は私が目を丸くする。
「ええ。前に一度、一音外してしまって」
「一音外しただけで?」
「一音も、よ。この劇場に立ちたい人は大勢いるの。ここはそういった人たちの中から選ばれた、一握りの人間だけが立てる、夢の場所なのよ」
「…………」
そんな凄い場所に、部屋で歌っただけの私が立っていいの?
もしかしてニクスは私を笑い者にしたいだけなんじゃないだろうか。
そんな不安と数秒、戦っていると、「それよりもこっちに来てちょうだい」ロージーが私の手をとり、部屋のなかへ連れていく。
それから私の頭から爪先まで眺めたあと、彼女は規則正しく吊り下がったレースのワンピースを一着。
手に取って、
「楽屋は隣にあるの。こっちよ」
羽でもあるのかと疑いたくなるほど、ロージーは軽やかな動きで部屋を飛びだす。
その後ろに続き、別の部屋へ案内されると、そこにはお菓子や飲み物がテーブルに並び、ソファーが置いてある。
それから全身が映る鏡も。
「これに着替えたらまたさっきの部屋に来て。お化粧をして、それから衣装を選ばなきゃいけないからね」
そういうが早いか、ロージーは部屋からでて行ってしまった。
渡された白いレースのワンピースに視線を落とす。
本当に、私の歌は通用するのかな。
……いや、戦うんだ。
ニクスがいったい何を考えて、私を本物の歌手にしたいのかは分からない。
第二のマリア・カラスだなんて言っていたけれど。
どこまで本気なのかも計り知れない。
でも、ここは戦場だ。
それだけは分かる。




