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幕開け

「………………」


 だけど、カエラムは何も言わなかった。

 いったい何を考えているのか。神妙な面持ちで俯き、テーブルにあるお守りへ視線を落としてしまった。

 それだけ見ていると、本当に何も知らないただの聖職者に見える。

 いや、ただの、ではない。

 人を殺している時点で、私を襲った教会の男と変わらないじゃないか。

 その態度も惚けているだけかもしれない。

 嘘かもしれない。


「もう私に関わらないで」


 騒ぎだした感情は静まらないままだ。でもそれをすべてぶつけたところで、余計に腹がたつだけ。

 だから押し殺す。ただただ冷たく突き放し、部屋をでようと動きだす。

 スラムに帰るチケットはない。そんなことは分かっているくらいには、冷静だ。

 ただ今は、とにかく一刻も早くここからでたかった。

 カエラムの顔も見たくない。


「ちょっと待ちなよ」


 少し焦った声が背中にあたったときはもう、黄金色にうねったドアハンドルを握っていて、ドアを開ける。

 部屋と同じようにふかふかの絨毯が敷かれた廊下を裸足のまま歩き、ロビーへ向かう。

 やっぱりタイミングが分からない回転扉で少し手こずりながら抜けたところで、後ろから腕を掴まれた。


「マリア」


 まるで言うことを聞かない子どもを呼ぶような音。

 ぞっとした。

 ただでさえ掻き消したいほど大嫌いな名前を、教会のクソ野郎に呼ばれるなんて。

 振り払おうと腕をあげる。が、離れない。

 それほど強く掴まれているわけじゃないのに、全然離れない。


「離して!」

「ちょっと落ち着きなよ。ごめん、僕が悪かった」

「何が? やっぱり嘘をついてたこと? それともその生意気な態度のこと? そんなのもうどうでもいいから離して」

「話がしたいんだ」

「話すことなんて何もない」


 食い下がるカエラムの少し冷たい手を、私は腕をあげたり下げたりしてどうにか振り払おうと奮闘する。

 夜が、薄くなりはじめていた。

 でもそのコントラストに感動している暇はない。


「いい加減にして!」


 私の声がキンと空気をひっぱたいた、そのとき。

 建物の正面をスッポトライトみたいに照らしている暖色の光のなか、一台の乗り物が入ってきた。

 それは見覚えのある、黒塗りだ。

 後ろの席がひとりでに開く。

──────と、いちばん最初に見えたのは、高級そうな革靴、それからベルベットに包まれた足だった。


「やれやれ、ようやく見付けた」


 硬く、理性的な声音が私を見る。


「……どうやら症状は治まったようだな」


 そう言いながら、その視線はカエラムへと動く。

 あれだけ離れなかった手は、なぜか力が抜けたように緩んだ。その隙に今度こそ振りほどく。


「…………兄さん?」


 幽霊でも見たかのようだ。

 え? 兄さん? カエラムを見る。そうしたら右隣りにも私と同じ、虚をつかれた顔がある。


「ルカ、久しぶりだな」


 ルカ?

 ちょうど二人の間に挟まれている私は、今度はニクスを見て、首を傾げるばかりだ。


「なんで兄さんがここへ? まさか僕に会いたくなったとか?」


 すぐにまたあの生意気な態度をとるカエラムに、ニクスは瞼を伏せ、ふっと笑うだけ。


「元気そうだな。だが、用があるのは彼女のほうだ」


 瞳が、私を捉える。


「もしかしたら、お前の方が先に見付けているかもしれないと思った私の勘は当たっていた」

「マリアに? どうして兄さんがマリアを知ってるんだよ」


 怪訝な声を発するカエラム。けれど相手は、「マリアだと?」なぜか私の名前が引っかかったようで。

 意外そうに眉を動かす。

 それから数秒、黙り込んだあと、唇だけに笑みを乗せて。


「まったく。皮肉なものだな」


 一人言のように呟く。

……意味が分からない。

 いや、意味なんてないのかもしれない。ただ、馬鹿にされただけなのかも。

 上で暮らす連中などみんなそんなものだ。


「質問に答えろ。なんであんたがマリアを知ってる」


 カエラムはまるで警戒心を露わにした猫のように、空色の瞳を細め、ぴりぴりとした空気を纏う。

 脳裏には、あの地獄で見たニクスを思いだしていた。

 けれど返ってきた言葉は、


「スラムで絡まれていた所を助けられた」


 意外なものだった。

 え? スラム?

 いったいなんの話だと考えてしまう。が、ふと薄らとあるできごとが脳の奥から引っ張りだされる。

 確かに、そんなことがあった。

 カエラムと別れたあと、スラムに戻ってきた朝のことだ。

 常連客に絡まれていた上の人間がいた。

 彼は私が落としたお守りを拾って、「大事にしまっておく方がいい。できれば、誰の目にも触れない場所に」それから、「その方が、君の願いが叶いそうな気がする」そんな夢物語を語っていた、あの青年。

 ほとんど忘れていた。気にも留めていなかった日常が、今になってはっきりと、パズルのピースみたいにはまっていく。

 だけどこの男は、あの場所にいた。

 白衣の男たちにニクス様と呼ばれていたし、誰も彼に逆らえずにいた。

 こいつも教会の人間なの?

 少なくとも人体実験には関わっている。それだけは間違いない。

……でも、どうして私を連れだしたんだろう。

 まさかスラムで助けたから?


「そういうお前は? ルカ。彼女とはどこで会った」

「どこって……」


 そのまま言葉を濁す様子を前に、ニクスはまた息だけで笑う。


「まあいい。それよりも私は彼女に用がある。悪いがこのまま連れて行くぞ」

「「は?」」


 私とカエラムの声が、綺麗に重なった。










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