第9話 英雄の帰還
砂浜に到着すると、これみよがしに台車がひとつ置いてあった。
「こんなものを用意せずとも、私は自力で旅をできる」
私は誰にともなく不平を溢し、財宝を舟から台車へ移していく。その間、犬は猿とじゃれ合っていて、雉は私の肩に乗っていた。
作業を完了したら、歩き出す。人語を介さず、元の獣に戻った三匹は、それでも私について来た。
若草色の平原を抜け、鬱蒼と茂る森を通り、山を登り、降りる。
村へ着いて家の前まで来ると、ちょうど翁が「桃太郎は無事かのう」と独りごちながら出てきた。
「ただいま戻りました、お爺さん」
言うと、翁は一時ぽかんとした顔でこちらを見て、
「も、桃太郎!」
無意識とばかりにこちらへ踏み出し、
「あっ、ば、婆さんっ……」
媼に知らせねばと思ったのだろう。半歩だけ戻り、
「婆さんっ! 桃太郎が帰ってきたぞぉ!」
大声で言いながらこちらへ走ってきた。小石に蹴つまずき、受け止めようと踏み出した私の胸に、体勢を立て直して飛び込んでくる。
老いて乾いた両腕が、その見た目からは想像のつかない力で背中に回された。
「ああ、よかった。よかったよぉ……無事に、無事に帰って来てくれて」
家の戸口から「何だい、お爺さん。大声を出して——」と言いながら出てきた媼がこちらを向き、「あれまあ!」と持っていたお玉を取り落とす。
「桃太郎!」
涙ぐんだ顔でよろよろとこちらへ近づいてきて、翁と私の背中に腕を回す。
「よく帰ったねぇ。怪我はないかい?」
「はい。擦り傷一つもありませんよ」
「長い旅だったねぇ。腹を空かせたりしなかったかい?」
「持たせてもらったきび団子のおかげで、腹など少しも減りませんでしたよ」
「ああ、よかった、よかった……」
しばらく私たちは抱き合い、それから離れ、翁が媼の涙を拭いてやる。
この時ばかりは、己が英雄であることを望ましく思う。英雄は必ず悪を滅して戻る存在であるがゆえに、決して彼らを悲しませない。
「無事に鬼ヶ島の鬼を打ち倒しました。見てください。これは鬼どもからぶんどってやった宝物です」
言うと、翁と媼は口を揃えて「あれまあ!」と言い、台車の中の宝物の輝きに目を見張った後、
「偉いぞ、桃太郎。お前はこの国一番の孝行者だ」
翁が言い、媼が「そうだねぇ」と続き、それから二人で目尻に笑みを浮かべる。
「でもな、お前が無事に帰って来てくれたことが、ワシらにとっては何よりの土産物だ」
それから二人は再び私を抱き締め、翁が「とりあえず家に入ってお茶でも——」と言いかけ、
「はて、それより先に村の者たちに伝えに行った方がいいかねぇ」
「お爺さん、桃太郎は旅の帰りで疲れていますから、まずは休むのがいいでしょう」
「そうだな。では——」
「アタシと桃太郎はお茶にしますから、お爺さん、ひとっ走り村長のところへ知らせに行ってきてくださいな」
「……ワシ、一人で?」
媼が「ええ、そうですよ」と当然のように言い、翁が「えー……」と釈然としない顔で後ろ頭を掻く。二人の間に何とも形容し難い空気が流れたところで、犬が「ワン!」と吠えて尻尾を振った。
「おや。桃太郎、そういえばこの動物たちは何だい?」
台車の縁に留まった雉が「ケン!」と鳴き、猿が「キャッ」と言って食べていた桑の実をこちらに差し出す。私は「彼らは旅のお供——」と言いかけて、
「……うん、そうだな。……友です。私の、大切な」
言うと、犬が姿勢正しくおすわりをして、雉が挨拶とばかりに翼を羽ばたかせ、猿がぺこりとお辞儀をした。
それを見た媼が「あれまあ!」と感心したように目を見張り、
「それじゃあ、お友達も一緒にお茶にしましょうねぇ」
三匹を伴い、家へ向かって歩き出す。「お爺さん、知らせは頼みましたよ」と振り返らずに言う彼女に翁はモゴモゴと口を動かし、
「……じゃ、じゃあ、ワシはひとっ走り行ってくるから、桃太郎、ゆっくり休んでおくんだよ」
こちらにヘラっと笑いかける彼の姿に、私は内心で「彼ららしいな」と独りごちた。
* * *
この世界には、純粋な善も悪も存在しない。
二つは必ず一つの存在の中に内包されていて、分離することは不可能。人間は、一人の人間の中に善と悪を見る。
本来はそれでいいはずだ。そうなっているのだから。
悪を内在する人間の善行が褒め称えられることも、善を内包する人間の悪行が糾弾されることも、単なる自然の摂理と言える。
しかし、人間はそれで納得しない。
納得できない。恐ろしくなる。
善行を積み重ねたところで報われることはなく、悪者が横行する世界が来るのではないかと。
私たちの物語は、英雄譚は、このために存在していると言ってもいい。
つまり、私たちの旅路は、善と悪が平衡状態にある世界に、「悪は滅ぼされ、正義は繁栄する」と思わせるために存在した。
そして、これからも存在し続けるだろう。




