エピローグ 『めでたし、めでたし』
桃太郎が帰ったことをお爺さんが村長の家へ伝えにいくと、村のみんなは喜んで、お爺さんたちの家を訪れました。
「いやあ、桃太郎。やっぱりお前はすごいなぁ!」
「何だいこのお宝! 綺麗だねぇ」
「その三匹と旅をした? また随分と、変わった取り合わせだなぁ」
お爺さんとお婆さんは集まった人たちにお茶を出し、彼らは持ち寄った食べ物で宴会を始めました。
清々しい青空の下に、みんなの喜ぶ声が響きます。
楽しそうに、嬉しそうに過ごす人たちを、桃太郎は少し離れたところから見ています。
「『めでたし、めでたし』だ」
口の中で呟くと、隣に並ぶ犬、猿、雉がこちらを向きました。桃太郎は少し考えるように口を閉じて、
「犬、猿、雉……また、いつか」
桃太郎の言葉に、雉は「ケン、ケン」と鳴いて空へ飛び上がりました。雉は飛ぶのが苦手な鳥のはずなのに、ぐんぐん昇って、すぐに見えなくなってしまいました。
猿は「キャッ」と一声鳴いて、桃太郎の手をぎゅっと握ります。それから少しして、また「キャッ」と鳴くと駆け出しました。森の方へ向かい、木の影に消えてしまいます。
残った犬は何も言わず、ただじっと桃太郎を見上げました。桃太郎は何だか居心地が悪くなって、お爺さんたちの方を見ると、満開の桜の木が目につきました。
村人たちの楽しそうな声と、晴れた空。風が吹いて、薄いピンクの花びらが舞い上がりました。
「……そんなに、『犬』って呼び名が不満だったのか?」
桃太郎が尋ねると、犬は「ふんっ」と鼻を鳴らします。桃太郎は「そうは言ってもなぁ」と呟いて、隣に座る犬を見下ろしました。
三角の縦耳と、くるっと巻いた尻尾。再会した時は薄汚れていましたが、お婆さんがお風呂に入れてくれたので、今は夏の雲のように真っ白です。
「じゃあ、『シロ』は?」
桃太郎が思いつきで言うと、犬はまた「ふんっ」と鼻息で応えました。
「なんだ。名前が不服なのではなく、単に別れが寂しいだけか」
「バフッ」
「お前が何を不服と思おうと、私が桃源郷へ戻ることは決まっている」
「キュウン……」
どこか寂しげな犬の声に、桃太郎はようやく気づきました。桜の木の下に立つお爺さんを見て、また犬を見ます。
「ならば、お爺さんに名前をつけてもらうといい」
桃太郎は心の中で、「名前の質は、私がつけるのと変わりないだろうが」と付け足します。
「お爺さんは昔から犬を飼いたいと言っていた。お婆さんがずっと反対していたが、風呂の時の様子を見る限り、彼女はお前を気に入っている」
「クーン……」
「お前がここで飼われてやれば、あの夫婦はこれからも賑やかな日々を過ごせるだろうし、お前も、山で一匹でいるより楽しいだろう」
「バフッ、バフッ」
「いいや、それはできない」
桃太郎が首を横に振ると、犬は名残惜しそうに立ち上がり、「ワン!」と吠えて駆け出しました。
ただの犬の鳴き声。けれど桃太郎には、「また会おう」と聞こえました。
「ああ。また」
桃太郎は呟いて、人々に背を向けて歩き出しました。遠ざかる人々の笑い声の中に、お爺さんの一際明るい声を聞きます。
「おう、シロ! お前は本当にすごいなぁ! こんなお宝、掘り当てちまうんだから」
鬼は無事に退治されて、怖いものは何もなくなりました。
村人たちはこれからも、安心して暮らしていくことができます。
これで、桃太郎のお話はおしまいです。めでたし、めでたし。
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桃源郷に固定の様相はない。
ここは時にのどかな桃畑で、どこまでも続く草原で、鰯雲のかかる青空の平面で、あるいは鮮烈な光の集合体だ。
そして今は、星のかけらひとつ存在しない夜。
「גיבור、戻ったか」
真っ暗な夜空から響いた声は、当たり前の事実を言葉にした。私は夜空が反射する地平を歩く。
「変わったことを、したようだ」
その声には僅かな揺れさえ存在しないが、私はこれに批難の意図を汲み取る。
「私は私の役目を果たした。鬼は消え、人々はその恐怖から解放された」
「『桃太郎』は『鬼退治』をするものだ」
「『英雄』は、『悪は断罪されるもの』と知らしめるための機能だ」
「『鬼』は消えていない」
「『鬼ヶ島の鬼』はもうどこにもいない」
私はふと、いつもの声を思い出した。
桃源郷の意思は話が通じない。
今の私の受け答えは、まるで彼の意思を模倣するよう。
(後ろめたいこと……あるいは、触れられたくない事柄が、桃源郷にはあるということか)
私が考えて黙っていると、声が「まあ、いい」と呟いた。
「君が言う通り、物語としての辻褄は合っている。見える部分は勧善懲悪の英雄譚。君は成すべきものを成した」
一瞬の間を置き、「しかし」と続ける。
「君は『主人公』だ。そのことを、ゆめゆめ、忘れるな」
それきり声は途絶えた。私は夜の中心で立ち止まり、月も星もない夜空を見上げる。
(私は英雄。正義の側。……予定調和が存在せずとも、正義を成せば英雄であり続けることができる)
つまり、私が英雄として生まれて英雄であり続けなければならない運命は、私が紡ぐ物語が他者に作られたものである必要性に直結しないということ。
英雄譚はそれそのものとして存在する。桃源郷が意図したものでも、私が思うように動いたものでも、正義を成すならそれは英雄譚だ。
私は新たな物語の存在を予感する。
誰の筋書きもない、私だけの物語。




