第6話 英雄のための英雄譚 ④
雲ひとつない晴天と、どこまでも青く澄んだ海。それらは彼方の水平線で繋がっている。
静かな水面は波ひとつなく、私たちの道程を妨げるものは何もない。
「それにしても、昨日の雉には笑わせてもらったぜ」
犬が舟を漕ぎながら、意味ありげな顔で振り返る。舳先で物見をしていた雉が振り返り、「君はしつこいな」と眉根を寄せた。
「僕は『雉』として、何も間違ったことなどしていない」
「だからってよぉ、普通、あの場面で芋虫なんか取ってくるか?」
犬は「くっくっ」と笑い、「しかも、何匹も枝に突き刺して」と続ける。
「何だよあれ。芋虫の串団子?」
「仕方がないじゃないか。あれ以外に運搬方法が思いつかなかったんだから」
「うねうねしてて気持ち悪かったなぁ」
それを聞いていた舵取り役の猿が、「本当にね」と呆れ顔で話に加わる。彼女が犬に同意するのは珍しい。
——まあ、雉が『芋虫の串団子』を差し出した時の彼女の絶叫を考えれば、自然なことか。
「いい迷惑よ。食事の席にあんなものを持ち込むなんて」
「猿、なぜ君は犬の側で話しているんだい。猿だって昆虫を食べるだろう」
「あたしは食べないわよ」
「……本当に?」
「ええ。今は猿だからって、あたしの本質まで猿になったわけじゃないもの」
「…………」
「あんたはいつも、役にのめり込み過ぎなのよ」
猿がやれやれと言った様子で首を振り、雉が目を見張る。それからしょんぼりした様子で項垂れ、舟の行く先へ向き直った。
「やっぱり、俺が狩ってきたウサギが正解だったな」
犬がニヤニヤしながら言い、「飯っつったら肉が一番よ」と続ける。猿が「はあ?」と眉を顰め、
「あたしの木苺が一番だったに決まってるじゃない」
「何言ってんだ。あんなもんじゃ、どれだけ食っても腹が膨れない」
「あんたのお腹が変なのよ」
「違う。木苺は水分ばっかりだからだ」
猿が「桃太郎!」とこちらを向く。傍観していた私は少し驚き、
「あたしの木苺が一番美味しかったよね?」
「俺のウサギ肉だよな?」
犬と猿の圧力を受けながら、舳先に留まる雉の背中を見た。頭が肩から落ちそうなほど項垂れているあの状態では、物見など到底無理だろう。
「……猿の木苺はとても美味だった。甘酸っぱくて爽やかで、香りはとてもみずみずしい」
猿が得意げに胸を張り、犬がぐぬぬと奥歯を噛む。
「犬が狩ってきたウサギの肉も美味だった。焼いたら甘い脂が滴って、噛んだらジュワッと肉汁が口いっぱいに広がる」
犬がニヤリと笑い、「そうだろうよ」と言って鼻を掻く。それから、
「雉の芋虫も……見た目はあれだが、焼いたら美味かった。少し青臭かったが……菜葉に似ていて、表面はカリッと香ばしく、中はトロッとしていて」
パッと振り返った雉が、目をまん丸に見開いて私をじっと見つめる。勢いよく翼を開いたと思ったら、「桃太郎っ!」と叫んでこちらに飛んできた。
『飛ぶ』と言うよりは、『突っ込んできた』と言った方が合っているかもしれない。飛ぶのが苦手な雉らしい飛行だ。
「また取ってきてやるからね」雉が私の胸元で羽ばたき、
「俺は、次はシカでも狙おうかな」犬がふふっと笑い、
「あたしは桑の実を取ってくるわ。木苺よりずっと甘いのよ」猿が頬に手を当てる。
私は『次』を楽しみに思うが、その時が来ないことを知っている。
私たちがあの浜辺に戻るとき——それは、英雄譚の帰り道。彼らは役目を果たした後だ。
* * *
日が傾き出したところで、雉が静かに「見えたよ」と言った。昼寝をしていた犬と猿が目を覚まし、私は向こうの海を望む。
快晴の空。遠い海の果てに、ぼんやりと薄黒いものが見える。舟が進むと共にそれは姿を明確にし、やがて島の形になった。
黒い岩ばかりのゴツゴツした島に、おどろおどろしい無骨な城が建っている。その周囲は鈍色の塀に覆われていて、直上には渦巻く黒い雲。
当てつけたような『悪』の造形に、私は思わず少しだけ笑った。
「ああ、見える。鬼ヶ島だ」
厳つい黒鉄の門の前には誰もいない。島の上だけに重なる分厚い雲が、ゴロゴロと音を立てて一縷の雷を落とした。
それを見た犬が「また随分とゴテゴテな見てくれだなぁ」と呆れ顔で独りごち、こちらを向いて「本当に行くのか?」と尋ねる。
猿と雉もこちらを向いた。彼らの表情はまるで、このわかりきった問いに対する私の答えに注目するよう。
「当然だ。そのために私たちは在り、そして、ここまで来た」
少しの間を置き、犬が小さく嘆息する。
「ただ生まれ、ただ成長し、そのまま、ただ『幸せに暮らしました』じゃ、いかんのかねぇ」
犬は問いながら、しかし最初からそれを諦めている様子。
「当然だ。私は『英雄』で、お前たちはそのお供なのだから」
「あちこちを救いながらずっと旅する英雄もいる」
「しかし、私たちに用意された舞台はあれだ」
「……『舞台』ねぇ」
鬼ヶ島に近づいた舟は、黒い岩の端にぶつかって止まった。雉が舳先に括った縄を放り、先に上陸した猿が岩に括りつける。
城壁を見上げた犬は、
「俺には『帳尻合わせ』に見えるよ」
諦念の端に僅かな苛立ちを滲ませ、呟いた。




