16 大人
結局その日はワールド・オーバーライド・オンラインにログインせずに、ツボミは早めの帰宅をすることになった。今の雅雄の精神状態では、ゲームどころではない。赤松たちには体調不良だと連絡しておいた。
(どうすればいいんだろう……? 病院に連れて行くべきなのかな?)
帰り道でツボミは頭を悩ませる。解離性同一性障害なのか夢遊病なのか、とにかく本人に記憶がないというのは由々しき事態だ。でも多分、雅雄は心療内科なり精神科なりに行くことを嫌がるだろう。そこをツボミがやかましく言うと、雅雄は味方がいなくなってしまう。
写真を封筒に入れて投函してきた相手のことも気になる。いったい何が目的なのか、見当も付かない。嫌がらせなら雅雄の家ではなく学校でばらまくと思うのだ。そちらについては、ツボミが雅雄を守るしかないだろう。とりあえず、明日から雅雄の家に行くときは木刀を持参することにしよう。
(そうだ! また何か面白いゲームを持っていってあげよう! きっと雅雄は元気になる!)
そんなことを考えながら家に帰り、ツボミは雅雄のためにクローゼットに潜り込んで彼が好みそうなゲームを漁る。あれでもないこれでもないと迷っていると、珍しく兄が帰ってきた。
「やあ、兄さん! 今日は早かったね! ボクがご飯作ろうか?」
兄はツボミの申し出を即座にすげなく断る。
「いや、着替えを取りに来ただけなんだ。すぐに仕事に戻る」
「そうなの……」
ツボミはがっかりして嘆息する。その間にも、兄は粛々とリュックに着替えを詰め込み続けていた。これは一週間くらい泊まり込む感じだ。銀行員は、ツボミが想像もつかないくらいに大変な仕事なのだろう。
「……おまえ、まだあの男の子のところに通ってるのか?」
両親も兄もツボミが雅雄の家に通っていることを快く思ってはいない。雅雄の両親に抗議の電話を掛けたが無視され、ツボミも部屋に閉じ込められたりしたが勝手に何度も抜け出し、今は諦められている。むしろ食費として雅雄に渡せとお金を持たせてくれるくらいだ。
「もちろん! 父さんも母さんも兄さんも、ボクの料理を食べてはくれないからね!」
ツボミはない胸を張る。同じ主張をした結果、父も母も呆れて折れた。兄は淡々と諭すように言う。
「くれぐれも責任がとれないようなことはするなよ。相手も男なんだから」
ツボミは数秒掛けて兄が何を言っているのかを理解し、みるみる顔を真っ赤にして怒る。
「兄さんがそんな下卑たことを言うなんて! ボクと雅雄は、そんないやらしい関係じゃない!」
ツボミが怒っても、兄は全く動じない。滔々と続けるだけだ。
「俺は大人として言うべきことを言っただけだ。万が一にでも間違いがあったらおまえの人生は終わりだし、父さんや母さんにも迷惑が掛かる。おまえはそうなりかねないことをしているんだと、自覚しろ」
兄の言うことは正しいのだろう。でもツボミは、そんな疑いを掛けられたこと自体が許せなかった。
「ボクと雅雄は魂で結ばれた同志なんだ! そんなくだらない間違いなんて、絶対に起きっこないよ!」
ツボミは口角泡を飛ばす勢いで猛抗議するが、兄は嘆息するばかりである。優しい目で兄は言う。
「その調子なら安心だ。父さんと母さんの言う通りか。本当に、ただ単に一緒に遊んでるだけなんだな」
「どういう意味だよ!?」
雅雄も一緒に馬鹿にされている気がして、ツボミはますます頭に血を上らせた。兄は口調を全く変えない。
「そのままの意味だよ。二人とも幼稚なだけなんだな。よかった」
「ボクたちは真剣なんだ! 兄さんたちにはわからないんだ! 雅雄を悪く言うなら、ボクは兄さんでも許さない!」
「そうなのか」
兄はまともに相手にしない。明日、雅雄の家に持っていく予定のゲームソフトのパッケージを抱えたままでは、全く説得力がなかった。
「もし、その雅雄君がまともなのだとしたら、ツボミの言うことを本気にはしてないな。でも、その方がいい。好きなだけ遊んでこい」
「雅雄だって真剣なんだ! ボクと雅雄は、深いところでつながってるんだ!」
ワールド・オーバーライド・オンラインの世界なら、ツボミは雅雄と文字通り一つになれる。でもそんなことは、兄にはわからない。だって兄は、ゲームオーバーしてしまっているから。あの世界には、二度と戻れないから。
「わかったわかった。そういうことでいいよ。仲良くやればいい」
兄の投げやりな言葉を聞いて、ふいにツボミは思い出す。ツボミは雅雄にちゃんと好きだと言われたことがない。
「……」
ツボミが急に黙り込んでしまったのにも気付かず、兄は荷造りを終えて再び職場に戻る。残されたツボミはその場から動けなかった。
「……助けてよ、雅雄」
つぶやいてみるが、誰もいない部屋で返事があるわけがない。ボクはどうすればいいんだろう? 答えはなかった。




