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4 温度差ってあるんですよ

 翌日。ツボミの求めに応じて体育祭に出た雅雄は、さっそく後悔していた。息が切れる。心臓がひっくり返りそうなくらいにしんどい。過酷な走路に、全身が悲鳴を上げていた。


(どうして僕が1500メートル走なんかに……)


 そう思わずにいられない。希望者がいなかったため、出る競技が決まっていなかった雅雄にお鉢が回ってきたのだ。クラスの陰キャどもはこんなときだけ一致団結して楽な競技を独占し、雅雄でも出られそうな競技は残っていなかった。彼らの勝ち誇った視線に晒され、雅雄は泣きそうだった。


「クソッ、あのカマホモ野郎にだけは……負けて……たまるか……」


 前を走るデブは何やらブツブツつぶやきながら、顔を真っ赤にして必死に雅雄を引き離そうと試みる。どれだけ雅雄は舐められているのだ。


 リハーサルでは雅雄に合わせてやる気なくチンタラ走っていたくせに、なぜ突然本番で本気を出してくるのだろう。スタートラインで「体育祭まじでだりーわ。やる気出ねーわ」などとふてくされていたではないか。そんなに雅雄に負けるのが嫌なのか。裏切られた気分である。


 もちろんこのデッドヒートが優勝争いであるわけがない。お察しの通り、最下位争いだ。他の大多数はとうの昔にゴールしていて、デブと雅雄の二人だけが虚しい争いを続けていた。


 ほとんど晒し者である。このままデブに負けてしまえば、間違いなく笑いものだ。どうにかブービーには滑り込みたい。そう思って雅雄は必死に足を動かすが、なかなかデブとの差は縮まらない。面白がって野次を飛ばす観客たちが恨めしい。


(ああっ、もうちょっとなのに!)


 しかし、どんなに焦っても突然足が速くなったりはしない。ワールド・オーバーライド・オンラインでのアバターだったら余裕で追い抜けるのに。感覚に、生身の体は全くついてきてくれない。


 そうこうしているうちに、雅雄は足をもつれさせ、派手に転倒してしまう。雅雄は慌てて立ち上がるが、もうどうしようもない。デブの背中がどんどん遠くなっていく。やがてデブはゴールし、雅雄だけがコースに残された。


「ああっ……」

 雅雄はその場で呆然と立ち尽くす。すりむいた膝やら肘やらからうっすら血がにじんで、やけにうずく。失敗した。そのままうずくまっていればよかった。そうすれば負傷中断でこれ以上走らずに済んだ。


 完全に勝負はついてしまって、さりとて中断するわけにもいかず、観客さえも静まりかえる。レースは終わってくれない。気まずい空気の中、仕方なく雅雄はよたよたと走り始める。もうすでに泣きそうだ。


「雅雄く~ん! もうちょっとだよ! がんばって!」


 メガミの明るい声が静寂を破る。それを皮切りに観客たちも声を上げ始める。


「そうだ! がんばれ!」


「もう少し、もう少しだぞ~!」


「おまえはよくやった!」


 無意味に励ましの声が雨あられと降り注ぎ、雅雄はいたたまれない気分になってくる。まさかマラソン大会で最下位をとったときと同じ現象が体育祭でも起こってしまうとは。周囲が盛り上がると同時に、雅雄のテンションは急速冷凍されていく。観客と雅雄の間で、凄まじい温度差である。雅雄が半泣きになりながらゴールすると、拍手の嵐が巻き起こった。乾いた音が無駄に耳の中で反響し、ひどく痛む。


「感動をありがとう!」


 完全に公開処刑だ。人をネタに勝手に盛り上がりやがって。雅雄がいったい何をしたというのだ。もう勘弁してくれ……。




 自分のクラスには戻れず、雅雄は校舎裏に隠れることにする。こんな雰囲気で戻ったら悪目立ちして馬鹿にされること間違いなしだ。次の出番までしばらく時間があるので、何も言われないだろう。


 雅雄は植え込みの影に腰を下ろし、ため息をついて頭を抱える。


「はぁ……。どうしてこうなったんだろう……」


 恥ずかしすぎてそのまま早退したい気持ちで一杯だ。しかしここからばっくれたら、それこそ伝説になってしまう気がする。どう進んでも地獄の袋小路だ。


 雅雄が悩んでいると、突如ひんやりした感覚が首筋から湧き上がる。


「うわぁっ!」


 雅雄はびっくりして飛び上がる。そこにはいたずらっぽく笑うツボミがいた。


「お疲れ、雅雄!」


 ツボミはキンキンに冷えた缶ジュースを雅雄の首筋に当てたのだった。わざわざ後者に戻って買ってきてくれたらしい。雅雄はツボミからジュースを受け取り、植え込みを囲う石に再び腰掛ける。


「もう、驚いたなぁ……。でも、ありがとう」


 飲み物を取りに戻ることさえできなかったので、ありがたい心遣いだ。ジュースを飲んで、やっと少し落ち着けた気がする。


「かっこよかったよ。最後まで走りきってて」


 ハッと雅雄はツボミの顔を見上げる。ツボミはニコニコしているばかりだ。お世辞を言っているわけでなく、本気でねぎらってくれていた。


「……ありがとう」


 他の人に言われたのなら、たとえメガミだとしても嫌な気分になっただろう。ツボミだから受け入れられる。雅雄はゆっくりと立ち上がる。


「次の借り物競走は、ボクも出る予定なんだ! ボクもかっこいいところ見せたいから、見てね!」


「うん……!」


 雅雄はツボミとともにクラスの観覧席に戻るべく歩き出す。嘘のように重たかった体は軽くなっていた。少し間を置けたので、ほとぼりも覚めているだろう。影ながらツボミを応援しよう。

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