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勇者御一行様マネジメント!  作者: 澤群キョウ
帰還の日 もとの世界へ
62/62

おやすみ異世界 またきて現実

「え、もう今日帰るのか?」


 次の日の朝、リッシモ城の廊下でまず声をあげたのはヴァルタルだった。

 皆さん二日酔いには縁がないらしく、あんなにぐでんぐでんだったのに今朝はしゃっきり元通りの素敵イケメン軍団に戻っている。

 ウーナ王子、ヴァルタル、ブランデリン、レレメンド。

 四人は揃って廊下に出てきて、美羽から聞かされたスケジュールに困惑の表情を浮かべた。


「なんでだよ、もうちょっと、……その、一緒に過ごしたいのに」


 寂しんぼうエルフは正直な気持ちを吐きだし、意外にもレレメンドがすかさずそれに頷く。

「だよな、レレメンド」

 いつの間にそんなに仲良くなったのか。

 酒は異世界人同士の心を繋ぐ効果でもあるのか、とにかく四人の距離はやたらと近い。あんたら体育座りのレレメンドを容赦なく小突きまわしていただろう、と美羽がつい思ってしまう程に、気安い空気が流れている。


「召喚に使う力の関係で、今日じゃないとダメなんだって。今日を逃すと二度と帰れなくなっちゃうらしいの」

「二度と……帰れなくても、俺はいいけど」


 そう言いつつ、ヴァルタルの表情は曇っている。

 殿下も、騎士も、祭司も困った顔だ。それは駄目、無理、まずい。それぞれNGな理由があるらしく、空気はずんと沈むばかりだ。


「いいではないか、帰っても。私は異なる世界へ渡る力を手にした。それでまた、出会えばいいのだから」


 毅然と言い放ったのはウーナ王子で、哀しみは一掃、清々しく晴れやかな表情を浮かべている。

「来てくれるのか、ウーナ」

「当然だ、お前が一人目だと言っただろう」

 水色の三つ編みが楽しげに揺れる。

 殿下は麗しい微笑を浮かべ、余裕しゃくしゃくでブランデリンを指差して告げる。

「その次はお前のところだ、腰抜け。私の力で魔物たちなどあっという間に全滅させてやるぞ」

 騎士は微笑み、場のイケメン(ぢから)がみるみる急上昇していく。

 選び抜かれた四人の勇者。彼らが呼ばれたのは「強いから」なのに、美しさまで極上てんこもり。

 タイプ別に用意された美男子の皆さんに無料のオプションとはいえセットにしてもらえて、幸せでございます! と美羽はうっとりとろけていく。


 用意された朝食をぱくぱくと食べながら、美羽は考えていた。

 彼らの結びつきの強さについて。

 男の友情、というものにもときめく。それも確実にあるとは思う。

 でも、それだけではない。


 四人に共通している要素があるからだ。それは「孤独」。


 みながそれぞれに傷を負い、一人きりで抱えて生きる人だから。だから絆が、より強くなったんだろう。

 元の世界にあった彼らを縛るしがらみがないから。苦しい場面を共に乗り越え、互いの抱える寂しさを理解し合ったから。


 いいな、と美羽は思った。

 彼らの友情が、うらやましいと。


 ウーナ王子は優しく微笑みかけてくれるけれど。

 ヴァルタルはいちいち肩を抱き寄せて、頬ずりしてくるけれど。

 ブランデリンはマントの裾に口づけをして、誓ってくれたけれど。

 レレメンドは勝手に「妻にした」とか言い出したけれど。


 そんなあやふやな「恋のようなもの」なんて、信用できない。

 彼らの友情に、自分も入れてもらいたい。対等で、平等で、公平な絆が、みんなと出来たらいいのにと思う。


「どうした、ミハネ」

 ウーナ王子の白い手が伸びてきて、美羽の指に触れる。

「大丈夫だ、私は必ずミハネの前に現れる。必ずだぞ」


 真正面から言われたらもう仕方がない。美麗極まりないウーナスマイルアタックはクリティカルヒットして、さっきまで胸につかえていた物悲しさは隅に追いやられていく。

「えへ……えへへ」

 今日も殿下は黒いジャケットに身を包んでいる。

 食事もしっかりとり、ベッドでぐっすり、隣には心を通わせる友がいる。過酷な旅の真っ最中とは違い、帰還してから勇者さんたちの美しさは大体三十割増しくらいになっており、ひたすらに眩しい。


 ゆったりと広がった袖から覗く、白いシャツ。似合いますなあ、とウハウハしながら美羽はふと、魔王城で見た幻について思い出していた。

「そういえば、ウーナ様そっくりな人を見たんだった」

「私そっくり?」


 追い詰められた美羽にヒントをくれたスケスケの白ウーナについて話すと、薔薇の花びらを周囲に撒き散らしながら殿下はこう答えた。

「それは私ではなく、大叔父上かもしれない」

「あの、ドラゴン大好きだっていう?」

「確証はないが」


 戻ったら、墓に挨拶に行くとしよう、と王子は呟く。

 やめて、そんなに優しげに微笑まれたら、もう椅子から立ち上がれない!

 くねくねとお尻を揺らしながら、美羽はこの至福を噛みしめる。

 

 もう、すぐに、お別れだから。


 異世界から、もとの世界へ。

 地球の、平和な日本のいち女子高校生に、戻るのだ。



 旅の最中に起きたあれこれについて話しながら最後の時間を終えて、美羽たちはリッシモ城の大広間に立っていた。

 ど真ん中には既にリーリエンデが待っている。顔色は冴えず、隣には屈強な体の誰かが立っている。奥にはユーリと、まだ名前を確認していないおじいちゃん師匠も控えていた。


「皆さん、本当にありがとうございました」

 散々ぽんこつ呼ばわりしてきた召喚術師は、神妙な表情で勇者たちを出迎えた。


「リーリエンデ」

 使えないとか駄目師匠とか。散々なじってごめんね、と言おうとした美羽を、リーリエンデは手を挙げて制した。


「これより帰還の術を始めます」


 目を閉じ、リーリエンデの長い髪がふわりと揺れる。

 え、いきなり? と美羽は焦った。

 まだちゃんと、お別れを言っていない。会いに行くよと言われているけれど、それは本当は、「絶対」でも「確実」でもない。美羽は慌てて振り返り、横に並ぶ四人の顔を見上げた。

 ウーナ王子が寄ってきて、美羽の手を握る。

 その隣にヴァルタルが詰めてきて、王子の肩を抱く。

 ブランデリンはヴァルタルの肩に手を置いて、レレメンドは手をしゃしゃっと複雑な手順で動かして祈りを捧げている。


 五人が寄り沿うと、大真面目な表情のユーリが前に一歩踏み出し、語り始めた。


「皆さん、これからこの場所に召喚の真円が現れます」


 リーリエンデは術に集中し、可愛い弟子が説明係を務めるらしい。


 大変な旅に同行し、酷い目に何度もあって、それでも乗り越えたお利口少年は今日、とても愛らしい。髪はふわふわ、瞳はくりくり。でも、初めて会った時よりもほんの少し大人びて見える。


「その円に入って頂いたら、リーリエンデが帰還の術を始めます。皆さんは……、その、ええと……」


 と、美羽が思ったのは勘違いだったようだ。

 魔術師見習いの少年は瞳にいっぱい涙をためて、ぐすんぐすんと鼻を啜り出している。

 カンペを手に持ったまま、袖で何度も目頭を拭って、それでもこらえきれずに体を震わせ、やっと続ける。


「皆さん、ありがとうございました、本当に! 大変な旅でしたけれど僕、すごく楽しかったです。辛かったですし、最初はこんなメチャクチャな人達じゃ絶対無理だって思ってましたけど、皆さんびっくりするほどお強くて、凄かったです!」


 正直な言動に笑いながら、美羽は前に進んでユーリの頭をくしゃくしゃと撫でた。

 ヴァルタルもやってきて、一緒になって少年をもみくちゃにしていく。


「お別れだなんて本当に悲しいです」

「私も寂しいよ、ユーリ。一緒に旅してくれてありがとう。すごく助けてくれて、ありがとう」

「僕、頑張って魔術の勉強をします。ロザーリエさんたちのお蔭で、コツがわかったんです。みんなの役に立てるような魔術師になります」

「うん」


 散々撫でまわして、二人はゆっくりと後ろに下がっていった。

 リーリエンデは小さな、低い声で呪文らしきものを唱えている。床には既に白い光の円が浮かび上がっている。


「皆さん、これから帰還の術が始まります」


 こほんと咳払いをして、ユーリは再び説明を始めていた。

 光はじわじわと強さを増しており、大広間全体に白い輝きが反射していた。

 豪華なお城の大広間。壁にはリッシモ王国の紋章らしきマークがあしらわれた旗があちこちにかけられており、太い立派な柱には見事な彫刻が刻まれている。玉座とか、ふかふかの絨毯とか、女王様や立派なお髭の大臣、フル装備の鎧の騎士たちが並んでいる姿は壮観だった。美羽が求めてやまなかった異世界ファンタジー、まさかの実写化であり、見納めになるものが余りにも多すぎて、どこに視点を合わせていたらいいのやらわからず女子高校生はキョロッキョロして落ち着かない。


「召喚の術の効果により、皆さんは、それぞれ呼び出された時に戻されます」


 そういやそんなこと言ってたな、と美羽は思い、そして「はて」と首を傾げた。


「待ってユーリ! それって、私たちの状態はどうなるの?」

「状態とは?」

「時間は、召喚された時に戻るんだよね、場所も」

「そうです」


 それは、事前に聞いた通り。美羽も承知している。

 けれど、旅の途中にも感じた疑問について、リーリエンデに確認するのをすっかり忘れていた。


「違うの、今のこの状態でその時に戻るのかってこと。召喚された瞬間の自分に戻っちゃうの?」

「どういう意味でしょうか?」

「だから、えっと、あれよ。たとえばヴァルタルの翼は今はもうないでしょ。首輪も取っちゃってるし、そうだ、みんな、服装なんかも違うじゃない。その辺はもとに戻っちゃうのか? って話」


 もといた時間の、もといた場所へ。

 では、この異世界で過ごした時間、経験、変化についてはどうなるのか?


 美羽の問いかけに、ユーリは眉毛を八の字にするばかりで答えない。

 あれ、もしかして知らないの、と焦る美羽に答えたのは、リーリエンデの隣に立っていた大男だった。


「現時点では、そのようになります。すべては元通りに、皆さんが召喚されたその瞬間に戻るのです」


 あんた誰、と聞く前に、ユーリから紹介があった。

 こちらはリーリエンデ様の兄弟子の、バッキャム様です、と。


「本当に?」


 では、家から持ち出した食料だの、備品だのももとに戻るのか。

 いや、そうじゃない。問題はそこじゃない。

 もちろん、状態についても重要なのだけれど。ヴァルタルの翼についてはあってもなくても問題ないであろうところだが、ブランデリンの呪いは解けていてほしい。

 でもそれよりも気になる点が別にある。


「記憶は、どうなるの? 私たちがここで体験したことについては?」

「それは……、それについては、そうです」

「そうです、って、なに? あの瞬間に戻るなら、なかったことになっちゃうの?」


 バッキャムはそれきり、口をかたく結んで黙り込んでしまった。

 その沈黙が意味するものはおそらく、YES、なのだろう。


 美羽の背後で四人の異世界人がざわついている。

 忘れてしまっては、約束もへったくれもない。異世界を渡るどころではなくて、すべての約束が忘れ去られてなくなってしまう。


 ウーナ王子も、ヴァルタルも、ブランデリンも、レレメンドも。

 みんながそれぞれの孤独に戻るだけ。


 美羽も、ただの妄想過多型女子高校生になって、夏休みをひたすら無為に過ごすだろう。これについては、もしかしたら記憶の有無は関係ないかもしれないが、それにしたってこの最高にエキサイティングな異世界トリップを忘れろだなんて、とんでもない話だった。


 リーリエンデの消耗についても、記憶がなくなる件についても、多分、彼らは「あえて」話さなかったのだろう。それについては、理解はできる。そうしなければならないような気がするし、わかる。けれど、納得はいかない。


 背後の四人のマブダチたちは動かなかった。

 きっと同じ思いをしているんだろうと、美羽は歯を食いしばる。

 もう、帰還の術は始まっていて、リーリエンデのことを考えればやめろとは言えない。二度と帰れないという道を選ぶには、ちょっとばかり覚悟も足りない――。


「バッキャム殿」


 沈黙を破ったのはレレメンドだった。

 五人を囲む白い光はますます強さを増していて、世界の半分はもう白で埋まっている。


「なんでしょうか、レレメンド様」

「現時点で、とはどういう意味か」


 光の神に仕える祭司長の声は穏やかで、落ち着いている。

 彼が今、この瞬間、こんなにも冷静な声を出せるのは何故か?

 

 勝算があるからだ。


 美羽はバッキャムに視線を向ける。

「どういう意味なんですか?」


 デキる兄弟子は答えない。

 しばらくの沈黙。その間にも、リーリエンデの声は続いている。光は満ち、異世界を白く染め抜こうとしている。


「教えて! 私は、忘れたくないの! ここにいるみんなのこと、エステリア様も、ユーリも、リーリエンデも、ベルアローも、へんてこな魔物たちのことも! 忘れるなんて嫌だ。もし、忘れないで済む方法があるなら教えてください!」


 そうだそうだ、とヴァルタルが続く。

 ウーナ王子も髪をぶわっと広げ、ブランデリンも「お願いします」と声をあげる。


 困惑で黙るバッキャムとユーリのかわりに、のほほんとした声が答えを示した。


「すべては術師の状態(コンディション)次第、なのですじゃ」


 白い光に阻まれて見えないが、この声はおそらく、おじいちゃん師匠のものだった。


「術師のコンディション?」

「我々は呼び出したものをすべて、元通りに戻さねばなりませぬ。しかし、世界を越えることと同様、時の巻き戻しには大きな力が必要。帰還の術はまず、世界を越えてもとある場所へ戻し、もといた場所を指定して、時を巻き戻し記憶を消していくというもの」


「感謝致します」


 おじいちゃんの説明を遮り、レレメンドが飛ぶ。

 何をするかと思いきや、集中の中にいるリーリエンデの腹めがけて、勢いよくグーパンを入れているではないか。


「何やってんだ、レレメンド!」


 おうふ、と漏らしつつ、リーリエンデは耐えた。

 苦痛に顔を歪めながらも呪文は途切れさせない。


「帰還の術は半分以上が完了しており、我々は今の時点で既にもとの世界へと戻れるようになっている。呼ばれた時の時間に戻ることも確定している」

「まさか、今リーリエンデをこてんぱんにしたら、時を巻き戻すの部分がなくなるってこと?」


 美羽がこんな説明的な台詞を叫ぶと、レレメンドは楽しげに笑ってリーリエンデの頭を思いっきりはり倒した。


「さすが異世界の巫女、話が早い」

「巫女じゃないけど」


 楽しげにリーリエンデの頭をバシバシ叩くレレメンドの触発されたのか、ウーナ王子からは小さな炎の弾が飛び出していた。ふぎゃっと唸りつつ、呪文は止まらない。

「リーリエンデ、止めていいんだよ!」

 美羽は腕を振り上げて叫ぶ。

「皆さん、おやめください!」

 バッキャムも慌てながら叫ぶ。


「うるさい、勝手に呼んで協力しろといったのはそちらだろう! 我々の絆を引き裂こうなど、百年早いわ!」


 今度は氷のつぶてを大量に放ちながら、殿下も笑った。

 レレメンドはそれを華麗に避けて、リーリエンデはとうとう悲鳴をあげる。


「皆、円の中に入れ!」


 人類最強疑惑のある祭司様の呼びかけで、美羽たちは円のど真ん中に集合し、声を合わせて笑った。


「やるじゃねえか、レレメンド!」

 ヴァルタルは笑いながら、祭司の肩をバシバシ叩く。

「ヴァルタル殿、どうか無事に脱出して下さい」

 ブランデリンは偽エルフの手を握り、無事を祈っていますと呟く。

「次に会う時には、大勢を守る盾になっていろよ」

 ウーナ王子は腰抜けの騎士に微笑みかける。

「私のもとにも是非寄って頂きたい、ウーナ王子」

 レレメンドのラストスマイルは、邪悪さが抜け落ちてとても爽やか。


 白い光が色づいていく。

 もう、エステリアたちの姿は見えない。

 光が空に向かって伸びて、虹の色に染まっていく。


「エステリア様! ユーリ、リーリエンデ、みんな、さようなら!」


 美羽が叫ぶと、四人の勇者たちは揃って無料のオプションの方を向いた。


「ミハネ、お前に会えて本当に良かった」

 

 金髪の王子様の微笑みは、煌めきすぎて宇宙レベルの美しさ。


「ミハネ、また会うからな。約束だぞ」


 ヴァルタルの耳はぴょこぴょこと動いて、今までにないくらい上にむいて立っている。


「ミハネ殿、またいつか共に旅をしましょう」


 笑顔から覗く白い歯はイケメンの証。騎士は片膝をついて、頭を垂れる。


「我が巫女よ、これほどまでに満たされた日々は、これまでになかったぞ」


 そして締めは、いつだってレレメンド。祭司様は最後に邪悪な微笑みを浮かべて、美羽の手を取りキスをした。


 遠くから声が聞こえる。

 ミハネさん、さようなら。おれっち、平和の象徴目指して頑張るッスよと。



 視界が滲んで、みんなの姿が見えなくなっていく。

 触れていた手はもう、そこにない。


「みんな、みんな! また会いたい! 本当に、みんなのことが大好きだよ! ウーナ様も、ヴァルタルも、ブランデリンさんも、レレメンドさんも! ベルアローもユーリも、リーリエンデも! すごく楽しかった! すごく嬉しかった! 私の夢を叶えてくれて、ありがとう!」


 最後にもう一度、ありがとう、と美羽は叫んだ。


 自分の声だけが、うわんうわんと響く光の中。

 来た時にも見た七色の光が伸びて、世界を渡る橋を架けていく。


 伸びて、流れて、運ばれて。

 色の氾濫は収まり、いつの間にか辺りはまた白一色になり、そして少しずつ、少しずつ、雑多な色が忍び込んできて。







 美羽はぱっちりと目を開けた。

 胸の上で手を組んだ、お祈りの姿勢で、ベッドの上で横たわっている。


 日課の「お星さまへのお願い」のポーズだ。

 タイマーを仕掛けたクーラーが、程よく冷やしてくれている自分の部屋の中にいる。


 瞬きを一回、二回。

 視線を動かし、時計を見つめる。時刻は午後十一時になるところだ。

 壁にかけたカレンダーは、七月のページになっている。

 そう、今日、一学期の終業式だったはずだ。

 明日からは夏休みで、妄想三昧の楽しい日々を送ろうと決めている。


 なにか忘れているような気がして、美羽は起き上がると部屋の中をうろつき始めた。

 とても長い夢を見ていた時のような、現実と非現実がごっちゃになっているような、変な感じ。妄想力の逞しい女子高校生にはよくある現象だが、今日はいつもと少し違うように感じていた。


 それがなんなのか。

 突き止めなければ眠れない。


 美羽は電気をつけると愛用の机の前に進んだ。

 そこには、早めに片付けようという決意のもと、夏休みの課題が積まれている。

 

 でも、なにかが足りない。

 家に帰ってきてから、眠るまで。

 美羽は自分の行動を思い出しながら、部屋をうろつきまわる。


 帰ってきて、荷物を片付け、課題を出して、ご飯を食べて。

 首を傾げながら、美羽は机の上に手を滑らせていく。


 そして、気が付く。筆箱は置いてあるのに、いつも隣に並べているはずのノートがない。妄想ノートは現在三十六代目。呪われしドラゴンの一族が滅びの時を迎え、最後の生き残りである少年がうんぬんかんぬん、という話の設定集と化しているアレが、ない。


 どこにしまったのだろう、と悩みつつ、美羽は部屋を出ていた。

 喉の渇きを覚えて、台所へと入る。ところが、冷蔵庫の中には何もない。いつも入っているはずの麦茶のボトルが、見当たらない。洗い場にもなく、いつもなら一本くらいはあるはずの水のボトルもない。


 仕方なく水道水をコップに注いで、ぬるい水を飲み干していく。

 台所の光景にも、ほんのりと違和感を覚えていた。いつもはあるはずの何かが足りない。

 階段を登って、自分の部屋に戻ってから気が付いた。そうだ、必ずあるはずの菓子パンが、兄の大好物である菓子パンが、いつもの位置になかった。


 ふわっと、胸の中で何かが生まれる。


 そうだ、だって、使ってしまったから。

 みんなで食べて、飲んだから。

 こんな甘いの初めて食べたと、笑顔を向けられたんだった。


 足のつま先から、ぶるぶるっと震えが駆けあがっていく。

 美羽の全身を駆け抜けて、髪の先までびりびりっと揺らしていく。


 四人の素敵な誰かの影が頭の中をよぎっていって、美羽は再び部屋を飛び出していた。

 階段を駆け下りて、玄関へ。


 長い間使っていなかった登山用の靴、なし。

 非常用の工具ツール、なし。

 また部屋に駆け戻って、美羽は筆箱をバカーンと開けた。


 その中に、一番大事にしていた水色のペンは、入っていない。


「やった!」


 ドアを勢いよく開けて、美羽は兄の部屋へ突撃していた。

 パソコンで何かの動画を見ていたらしいお兄様は唐突な妹の襲撃に「うぉっ」と声をあげている。


「なんだよ美羽」


 部屋の主にはお構いなしに、美羽が向かったのは「プライズ置き場」だ。

 しかし、ドラゴンストラップは山の中で何本も発見されている。


「お兄ちゃん、このストラップって何本取った?」

「はあ?」


 いっぱい取ったけど、なにか問題でも? が、兄の返事だった。


「何本かもらったからね!」


 確認はできなかったけれど、多分減ってる! が美羽の結論で、るんるんるりるり、足取りはますます軽くなっていく。

 

「どうしたんだよ、美羽、大丈夫か?」

「うん、うん! これで解決なの!」

「何がだよ。お前、こんな夜中になんなのその格好」

 

 コスプレなの? と兄は問う。

 

 自分の服装を確認して、美羽はケラケラと笑った。


「やだ……。一目瞭然じゃん」


「マジでお前なんなの、今日なにかあったの?」


 あきれ顔のお兄様に、美羽はくるりん、とまわって答えた。


「そう、めっちゃめちゃにいいことがあったの!」



 弾むような足取りで部屋へ戻って、美羽は着ていた異世界ファンタジー服を脱ぐと、丁寧に畳んで、タンスの奥へとしまい込んだ。


 いつも通りのパジャマに着替え、改めてベッドに入り、目を閉じる。


「お星さま、願いを叶えてくれてありがとう」


 夏休みにやるべきことが一つ増えたな、と美羽は微笑む。


 素敵な勇者さんたちがいつ来てもいいように、備えなければならない。


「こいつは忙しくなるぞー!」



 ベッドの中で満面の笑みを浮かべて、美羽は幸せな気分の中でやっと、長い長い一日を終えた。

 

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― 新着の感想 ―
最初から最後まで、わくわくがとまらない作品でした。 登場人物みな魅力的で、この作品に出会えたことが本当に嬉しいです。 ありがとうございました
[良い点] 勇者たちが最後にこんな友情を見せてくれるようになるとは、正直思ってませんでした! 大団円!おめでとうおめでとう! シリアスが続く時でもちょいちょい美羽節が出てきて、笑わせていただきました!…
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