表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械仕掛けのイソファガス  作者: 夏目有也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/5

いれる

 友里が三十歳を過ぎた頃には、テレビで顔を見ることもなくなっていた。かつては深夜番組をつければ、どこかで笑っていた。ハンバーガーにかぶりつき、チキンを頬張り、「おいしいです」と言う。それだけで数字を持っていた時代があった。だが、流行は早かった。バラエティで生き残るには、口下手すぎたのかもしれない。


 もっと若い女。もっと過激な身体。もっと露出する新人。テレビは次々に食い散らかし、友里は古くなった。

 戸井は孤軍奮闘し、仕事を探した。地方営業。深夜通販。パチンコ屋のイベント。だが、どれもうまくいったとは言えない。収入はみるみる目減りしていった。

 友里は食べ続ける。収録中でも、待機中でも、ずっと何かを口へ入れている。しかも、いつも黒い鞄を抱えている。


 ぐちゅ……どゅる……


 彼女の口から微かに生ごみの臭いがするときがあった。スポンサーが嫌がった。

「不潔感がある」

 そう言われて終わった仕事もあった。

 

 口にする食べ物が増える一方で、栄養剤の量を友里は少しずつ減らし始めていた。最初は戸井にもわからなかった。ただ、以前より疲れやすくなった気がした。収録の待ち時間、壁に寄りかかったまま眠っている。立ち上がるときにふらつく。笑った直後、急に無表情になる。


 イベントの前、メイク室で友里が倒れた。コンシーラーでも隠しきれない隈が浮き、唇は白かった。マネージャー用のソファに寝かされても、友里は「大丈夫です」と繰り返す。だが、額には脂汗が滲んでいた。

 戸井は、鞄に入っている栄養剤のパックを見た。以前は無菌処理された専用パックが詰められていた。今は違う。透明なボトルに、薄黄色の液体が入っているだけだった。底には溶け残った粉が沈んでいる。

「これ、何だ」

「薄めたんです」

 友里は笑った。

「ちょっと水を増やしても、たぶん大丈夫だから」

 戸井は何も言えなかった。その頃から、鞄の臭いが強くなった。

 

 ぐちゅ……どゅ……

 

 事務所に微かに酸っぱい臭いが漂う。社長は露骨に窓を開けた。

「ちゃんと洗ってんのか?」

「洗ってます」

 友里は即答した。だが、チューブは黄ばんでいた。透明だった管の内側に、茶色い膜がこびりついている。


 ある夜、処置室でポンプが止まった。

 ぐ、ぐ……と喉を詰まらせるような音を立てて、機械が沈黙する。

 友里は無言で腹を押さえた。額に汗が浮いている。

「詰まったのか」

 戸井が覗き込むと、チューブの途中で、半分腐った肉みたいな塊が止まっていた。

 友里は急に怒鳴った。

「見るな!」

 声が裏返っていた。その瞬間、彼女は激しく咳き込み、茶色い液を床に吐いた。酸っぱい臭いが処置室に広がる。吐瀉物の中に、昼に食べたポテトがほとんど形のまま残っていた。

 それでも友里は泣きながら言った。

「お腹がすくんです……」


 事務所の社長室で、社長は友里に契約書を見せる。

「タレント契約はもう終わった。それと装置の維持費は、契約終了まで。当初の取り決め通りだ」

 社長は昔と同じように煙草を吸いながら言った。もう友里を見てもいない。

「ただ、装置本体のローンは残ってる。海外製だからな。メンテ代、交換部品、栄養剤……全部合わせると結構な額だ」

 友里は黙っていた。

「まあ、外してもいいさ。摘出手術になるがな。癒着してるだろうし、今さら元に戻るかは知らん。……その費用も、自腹だ」

 社長は灰を落とす。

「身体ってのは、金がかかるんだよ」

 友里は何も言わなかった。装置はもう、身体の一部みたいになっていた。


 食べる。抜く。栄養を入れる。その循環で十年近く生きてきた。急に止めたら、どうなるのか誰にもわからなかった。

 だが、栄養剤は高かった。海外製の粘性栄養剤。もう友里には払えない。

 栄養剤は自作するようになった。最初は、自分でミキサーにかけていた。食パン。ゆで卵。バナナ。牛乳。それをどろどろにして、チューブから流し込む。だが、それすら面倒になった。


 深夜、友里は食べ終わったあとの袋を見て、ぼんやり呟いた。

「……これ、また入れればいいのか」

 それからだった。友里は、排出されたものを捨てなくなった。

 ハンバーガー。ポテト。ラーメン。ドーナツ。一度胃を通り、吸収されずに排出された半液体状のもの。それを、また胃へ戻す。


 ぐちゅ……どろ……ぶく、ぶく……


 薄汚れたポンプが震える。黄ばんだチューブの中を、茶色い液体がゆっくり戻っていく。

 衛生面の観点から、チューブや袋は定期的な取り替えが推奨されている。取り替え推奨時期を過ぎるのは当たり前になっていたが、やがて完全に換えなくなってしまった。


 彼女の部屋は、生ごみみたいな臭いがした。夏場の排水口みたいな臭い。

 酸っぱい油。腐りかけたマヨネーズ。胃液。古い肉。それらが混ざった臭気が、ワンルームの壁紙に染みついている。

 友里は、その臭いの中で食べ続けていた。テレビを見ながら。戸井に録画してもらった、自分が出ていたコマーシャルを見ている。ビデオテープが擦り切れるまで繰り返し見る。

「おいしいです!」

 画面の中の若い自分が笑う。友里も同じように笑う。だが、頬はこけ、肌は荒れ、腹部には管の跡が黒ずんで残っていた。

 黒い鞄は、もうビニールが剥げていた。


 ぐちゅ……どゅる……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ