30.帰還
無事にウカの屋敷に帰ってきた黎は、安堵のため息をついた。
「黎くん、今日はゆっくり休んでくださいね。朝も起こしに来ないので、好きな時間に起きてください。あ、それから、何かあったら呼ぶこと!まぁ、その前にちゃんと来ますけど」
おやすみなさい
そう言って、ミサキは数分前に部屋を後にした。
姑獲鳥は隣の部屋。
この部屋には黎しか居ないが、怖くはなかった。ウカの屋敷だとわかっているから。何かあっても、助けに来てくれることを知ったから…
それに…
「安心しろ、この屋敷内に不法に侵入出来る者はおらん」
不器用ながらも、黎を安心させようとした言葉なのがわかった。
(ここは、多分信じていい場所)
そう思えた。
あの空間で、黎を連れていこうとしたのは『針口』という怪異らしい。
この怪異は、相手が最も傷つく言葉、最も言われたくないフレーズを正確に見抜いて執拗に突き刺してくる。心を蝕むことを得意としている怪異。なんとも迷惑な…と思わずにはいられなかった。
怪異には、初めて遭遇した。
聞けば、滅多に現れる者では無いという。幽世の祭りは様々な者たちが現れるが、怪異が現れることは稀らしい。
そして、たまたま居合わせた黎を連れ去ったのだろう、という結論になった。
ただ、どうやって黎を連れ去ったのかという疑問が残った。ミサキの手から、ウカと姑獲鳥の目から逃れて連れ去るなど普通は出来ないらしい。
そりゃそうだ、と頷く。
ウカは神の中でも上位の位。その眷属であるミサキも少なからず強い力を持って居るのだろう。
ミサキが作った鈴がその証だ。
そして姑獲鳥は、一応黎と親子(?)という関係な為、縁が深い。
どう考えても最強の布陣だった。だからこそ、どうやって連れ去られたのかが分からない。
帰ってからは、ミサキに何度も謝られたし、姑獲鳥は引っ付いて離れなかった。
「大丈夫。もう、平気だよ」と言っても信じてくれず、逆に「黎くんは、もっと怒っていいんですよ?」と言われてしまう始末…
怒れ、と言われても、何に対して怒っていいか分からない。そりゃ、怖かったし、不安だった。
だが、ミサキは来てくれた。
『必ず助けます』
その言葉の通り、黎を探して見つけてくれた。
感謝しかないのに、どうして怒らなければならないのだろうか?という疑問が浮かんできて、苦笑してしまった。
ゴロンと寝返りを打つ。
幽世の夏祭りは、楽しかった。
幻想的で、恐ろしくて美しかった。
もう一度行きたいかと問われたら、即頷くことだろう。
そのくらい、楽しかったのだ。
ただ、楽しいだけで終われない。
視界の端に映る小さな光や、小さな人影。それは、黎を害するつもりは一切なく、ただそこに佇んでいるだけだった。
ウカの屋敷に来たことは何度かある。だが、見たこと無かった。
「…君たちは、何?」
黎の問いかけは、暗闇に溶けて沈んで行った。




