28.代行者 1
ミサキが怒るということは、あまりない。
どちらかと言えば、怒ったウカを窘めるのがミサキの役目だった。ミサキが怒ることもあったが、それは母親が子供を叱りつけるようなものだった。だからこそ、ミサキが本気で怒ったらどうなるのだろうと、屋蜘蛛は常々思っていた。
「姑獲鳥さんも見つからないんですね」
「はい、どこを探してもおりませんでした」
「もしかして、あの人の子と一緒だったりする?」
「可能性は有り得ますね。ありがとうございます、式神さん。引き続きお願いします」
「かしこまりました」
屋蜘蛛は机にかじりつき、式神が集めてくる情報を読んでは指示を出し、考えに考え込んでいるミサキを盗み見る。
屋蜘蛛にとって、ミサキは妹のような存在だった。ミサキは、ある日、主であるウカが拾ってきた子狐だった。真っ白な毛並みは汚れ、ひどく衰弱していた。今にも死んでしまいそうな小さな命を気まぐれに拾ってきた主に、屋蜘蛛は「またいつものか」と思っていた。だが、予想に反してミサキは驚くほど早く回復し、ウカの眷属となった。
ミサキはよく働く。式神に全てを任せていれば良いのに、率先して働くミサキに言ったことがあった。
「そんなに働かなくても、追い出されたりしないよ?」
と。
ミサキは、その言葉に不思議そうな表情で首を傾げていた。そして、知ってますが? という顔をしていたのを覚えている。
ウカに大切にされ、愛されているのを自覚しているミサキには、そもそも追い出されるという考え自体がなかったようだった。
「なら、なんでそんなに働くの?」
「狐は恩を忘れないんですよ」
屋蜘蛛の問いかけに、ミサキはいたずらっ子のように笑いながらそう返した。
「あと、好きなんですよ。家事全般」
見ていればそれは理解できる。掃除、洗濯、料理……どれも苦ではなく、むしろ楽しそうにしているのを知っているから。
屋蜘蛛にとって、ミサキは妹のような存在だった。そして同時に、よく分からない生き物でもあった。
「やっくん、これどう思いますか?」
「どれ? ……気になるなら調べた方がいいかも」
「ですよね、ありがとうございます」
こうした問答は、時折繰り返されていた。屋蜘蛛の答えを聞く前に、ミサキは自分で答えを出していることが多い。それでも、最後には確認するように屋蜘蛛へ問いかけるのだった。
何故ミサキは、あの人の子をすぐに迎えに行かないのか。答えは単純だった。迎えに行かないのではなく、行けないのだ。
ウカが不在の今、眷属であるミサキの行動には制限があった。以前、鈴を辿って迎えに行けたのは、ウカの力添えがあったからだ。今のミサキ一人では、鈴の音を頼りに人の子のもとへ直接向かうことはできない。
だからこそ、回り道をする必要があった。人の子に起きたことを理解し、相手を知り、場所を特定し迎えに行く。地道だが確実な方法だった。
「……また、聞こえた」
ミサキは時折呟いては、歯がゆそうな悔しそうな表情を見せる。おそらく、人の子が持っている鈴の音を聞いているのだろう。呼ばれているのに助けに行けない。そのもどかしさに、ミサキの表情は暗くなる一方だった。
「……行けばいいのに」
「え?」
思わず呟いた言葉に、ミサキが反応する。
「助けに行けばいいのにって言った」
「……助けには行きます。だけど、その手段が大変だから今頑張っているんですよ」
「なんで?」
「なんでって、ウカ様がいないからですけど!?」
「それは知ってる。でも、ミサキは今、代行者だよ」
「? そうですね」
「代行者なら、神の力を代わりに使える。だったら、縁結びも出来るでしょ?」
屋蜘蛛の言葉に驚いたように目を丸めるミサキ。
眷属としてのミサキには制限がある。だが、代行者として神の権能を行使する場合、その制限は適用されない。
「別に、こんな回り道しなくていいのに」
「も、もっと早く言ってください!」
ミサキも代行者としての権能を使えると知っていて、あえて回り道をしているものだと思っていた屋蜘蛛は、今度は不思議そうに首を傾げた。
「知らなかったの?」
「今までこんなことありませんでしたからね!」
吐き捨てるような言葉に、思わず笑ってしまう。
バタバタと慌ただしく動き始めたミサキを眺める。式神を呼びながら着物の着崩れを直し、髪を結い上げていく。
そして、部屋を出る寸前にミサキは屋蜘蛛を見た。
「屋敷は頼みました!」
屋蜘蛛の答えを聞く暇もなく、そのまま走って行くミサキにとうとう吹き出した。
「行ってらっしゃい」
屋蜘蛛は小さな声でそういう。
そして、屋蜘蛛は代行者様の言葉に従い、屋敷に新たな結界を施した。
ミサキたちが必ず帰ってこられるように――そう願いながら。




