第2話「東へ」
宇佐駅でお父さんに押し込まれた客車は、すでに向かい合う座席の間まで人で埋まっていた。大きな風呂敷包みを背負った買い出しのおばさんや、煤けた国民服の男たちに挟まれ、私は網棚の下のわずかな隙間に突っ立っているしかなかった。
やがて汽車はゴトゴトと音を立てて動き出した。
窓の外で、お父さんとお母さんの姿がみるみる小さくなって消えていく。私は胸元に手を当てた。衣服の内側には、あの薄赤色の紙が肌に張り付くように収まっている。
門司駅で一度汽車を降り、下関へ向かう列車に乗り換えた。窓のカーテンを全部閉めるように言われ、車内が完全な暗闇になる。
ゴーという地鳴りのような音が響く中、私は海の底を走っているのだと知って怖くなり、おじいちゃんから貰ったお札を強く握りしめた。
闇を抜けて下関に着いたときには、もう夕方だった。 そこでまた乗り換えた後は記憶が曖昧になるほどの長い長い時間が始まった。
汽車は山陽本線を東へ向かって走り続けた。 夜になっても、車内の電灯は青い布で覆われていて、手元が見えないほど薄暗い。灯りが外に漏れないようにするためだという。乗客たちは暗闇の中で押し黙り、ただ汽車の激しい振動と、誰かの荒い息遣いだけが部屋に満ちていた。私は眠ることもできず、ただ両足を踏ん張って立ち続けた。
翌朝、広島かどこかの駅で少し人が降り、私はようやく通路の床に直接腰を下ろすことができた。お母さんが持たせてくれた握り飯を食べようとしたけれど、喉がカラカラに渇いていて、うまく飲み込めなかった。
車窓の景色は、どこまで行っても同じだった。 駅に停まるたび、「祝・応召」の旗を持った人たちがホームに溢れている。宇佐駅と同じ緑色の服を着た男の人が乗ってきて、誰かの家族が泣いている。日本中が同じ色に染まっているみたいだった。剛さんも、この同じレールの上を、こんな風に運ばれていったのだろうか。
いや、剛さんはもう帰って来ない。
3日前、落ち葉の焚き付けにしようと手に取った官報に、剛さんの名前が載っていた。
お父さんも、お母さんも、何も言わなかった。剛さんのお父さんである有光禰宜も、近所の人たちも、誰も。
私の前では、その話をしなかった。
本当は、みんな知っている。
そう思った。
ただ、タネ婆ちゃんは目が悪くなってきたから、まだ官報を読んでいないかもしれない。
知らないのは、私とタネ婆ちゃんだけだった。
2日目の夜、汽車は大阪を過ぎて東海道線へ入った。 いつの間にか私の隣には、片腕を三角巾で吊った若い兵隊さんが座っていた。兵隊さんは私が抱えている風呂敷包みを見て、
「どこまで行くんだ」
と、掠れた声で聞いてきた。
「茨城です」
私が答えると、兵隊さんは少し驚いたように眉を動かした。
「そんな遠くまで、1人でか?」
「はい。用事があって」
「そうか。気を付けて行きなさい」
それだけ言うと、兵隊さんは目を閉じた。それ以上は何も聞いてこなかったし、私も赤紙のことは言わなかった。誰もが自分のことで精一杯なのだ。
3日目の朝、窓の外に大きな山が見えた。尋常小学校の教科書で見た富士山だと思ったけれど、雲がかかっていて上の方は見えなかった。ただ、ものすごく大きくて、自分がとんでもなく遠いところまで来てしまったことだけが分かった。
東京駅で迷って、なんとか上野という駅に着いたときには、宇佐を出てから丸3日が経っていた。 人の波に流されるようにして常磐線という列車に乗り換え、さらに土浦行きの汽車に揺られる。車窓から見える空は、宇佐の空よりも低くて、少し白っぽく濁っているように見えた。
「土浦、土浦です」
駅員さんの声が聞こえたとき、私は、自分の足で立っているのかどうかも分からないくらい、体が泥のように重かった。
人の波に押し出されるようにして駅の外に出ると、冷たい風が吹いた。 宇佐の秋より、ずっと寒い。
駅の前には、見たこともないくらい沢山のトラックが並んでいて、緑色の服を着た兵隊さんたちが荷物を積み込んだり、大声で怒鳴り合ったりしていた。駅に降りた緑色の服を着た男の人たちが、吸い込まれるようにそのトラックの列の方へ歩いていく。
看板を探すまでもなく、みんなが向かう先が、きっとあの航空隊という場所なのだろうと思った。
私は、解けそうになった風呂敷の結び目をもう一度きつく結び直し、その人たちの後ろを、小走りでついて行った。
手続きが終われば、またこの汽車で宇佐へ帰るのだろう。
この道の先に、私の旅の終わりがあるはずだった。




