第1話「赤紙」
魔法少女はおむつが必要だなんて聞いてません!外伝「魔法少女クロニクル」
第1話「赤紙」
昭和18年10月。
大分県宇佐市。
宇佐神宮の朝は早い。
まだ空気の冷たい時間から、私は竹箒を持って境内に立っていた。石段には銀杏の葉が散っている。
昨夜の風で落ちたものだろう。
私は箒を動かしながら小さくため息をついた。
「また増えてる……」
昨日も掃いた気がする。
だが、そういうものなのだろう。
落ちる葉は毎日落ちる。
境内は毎日掃く。それが私の日課だった。
頭上から飛行機の音が聞こえる。一度だけ空を見上げた。雲ひとつない秋空を、機影が横切っていく。宇佐海軍航空隊の飛行機だろう。
珍しくもなかった。
最近は毎日のように飛んでいる。
子供の頃は手を振ったこともあったが、今はもう見上げるだけだ。
飛行機は飛んでいく。
葉っぱは残る。
私は再び箒を動かした。
「理恵ちゃん」
声がした。石段を上ってきたのはタネ婆さんだった。毎朝参拝に来る近所の人だ。
「おはようございます」
「今朝も早いねえ」
「父に見つかると叱られますから」
「見つからなくても掃くんだろう?」
私は少し考えた。
「そうですね」
タネ婆さんが笑う。
私もつられて笑った。
昔からそうだった。
頼まれればやる。
やるべきことはやる。
それで困ったことは特になかった。
「剛君から手紙は来たかい?」
私は箒を止めた。
「先月来ました」
「元気だったかい?」
「元気です、って書いてありました」
「それだけかい」
「それだけでした」
タネ婆さんは声を上げて笑った。
私には何がおかしいのかよく分からない。
手紙とはそういうものではないのだろうか。
剛さんは昔から口数の多い方ではなかった。
同じ禰宜の家とあって、尋常小学校の頃は毎日一緒に登校した。3つ年上で、その前からよく一緒に遊んでくれた。
気付けば周囲は、
「将来は夫婦だ」
と言うようになっていた。
私も特に疑問を持たなかった。
春になれば桜が咲く。
秋になれば銀杏が落ちる。
いずれ剛さんの家へ嫁ぐ。
それもまた、そういうものだと思っていた。
もっとも、その剛さんは半年前に召集されていた。今は陸軍で大陸にいるはずだ。
「理恵」
社務所の方からお父さんの声が聞こえた。
「朝餉だ」
「はい」
箒を立てかける。タネ婆さんが手を振った。
「嫁入り前に日焼けするんじゃないよ」
「気を付けます」
社務所の裏手へまわり、井戸で手を洗う。
冷たい水に肩をすくめた。
台所から味噌汁の匂いが漂ってくる。
腹が鳴った。少し急いで座敷へ向かう。
朝食は麦飯だった。
味噌汁。
沢庵。
焼いた鰯。
おじいちゃんは既に席についている。
お母さんが配膳をしていた。
お父さんは新聞を広げている。
最近は海軍がどこかに転進したとか、そういう記事ばかりだった。
「味噌汁、理恵のより薄いやろ?」
お母さんが聞く。
「美味しいです」
「昨日より?」
私は少し考えた。
「たぶん」
お母さんは呆れた顔をした。
「嫁に行ったら毎日作るとよ」
お父さんとおじいちゃんが笑う。
私もつられて笑った。
こういう朝がずっと続くものだと思っていた。
昼食の後、私は社務所で帳面を広げていた。算盤を弾いていると、外で砂利を踏む音がした。参拝客だろうかと思った。
だが足音は鳥居の方へ向かわない。
まっすぐ社務所へ近付いてくる。
私は顔を上げた。
軍人だった。海軍の制服を着ている。
基地のある宇佐で軍人を見ること自体は珍しくない。
それでも少し違和感があった。
「北原禰宜殿はおられますか」
私が返事をする前に、
「私だ」
とお父さんが奥から姿を見せた。
軍人は敬礼した。
そして革鞄から封筒を取り出す。
厚手の紙だった。
お父さんが受け取る。
軍人は一瞬だけ何か言いかけた。
しかし結局何も言わなかった。
「失礼します」
それだけ告げると、踵を返して去っていく。
お父さんは封筒を見つめたまま立っていた。
「お父さん?」
私が呼びかけても返事はない。
やがてお父さんは、
「今夜だ」
とだけ言った。
そのまま奥へ引っ込んでしまう。
気にはなったが、お父さんが話すつもりなら夕食の時に話すだろう。私は再び帳面へ向かった。だが数字が頭に入ってこない。
夕方になり、台所から煮物の匂いが漂ってきた。
手伝おうとしたが、
「今日はいい」
と、お母さんに言われる。珍しいことだった。
日が落ちる。居間に明かりが灯る。
夕食の席にはおじいちゃんもお父さんも揃っていた。
いつもと同じ顔ぶれ。
いつもと同じ食事。
だが空気だけが違った。
誰も余計なことを話さない。
食事が半分ほど進んだところで、お父さんが箸を置く。昼に受け取った封筒を脇へ引き寄せた。
私も自然と姿勢を正した。
お父さんは封を切る。
紙の擦れる音が妙に大きく聞こえた。
中から書類を取り出し、目を通す。
その表情が険しいものになる。
お父さんは何も言わず、おじいちゃんへ渡した。
おじいちゃんは目を通し、眉をひそめる。
次にお母さんへ渡る。お母さんは途中で小さく息を呑んだ。
「何ですか?」
私が尋ねても、誰も答えない。
やがてお父さんが口を開いた。
「理恵」
「はい」
「お前の名前が書いてある」
おじいちゃんが書類を差し出した。
「読んでみろ」
私は受け取った。
難しい言葉が並んでいる。
だが、自分の名前だけはすぐに見つかった。
北原理恵。
間違いなく私だった。
そして、見覚えのある言葉が目に入る。
召集。
その文字を見た瞬間、私の頭に浮かんだのは剛さんだった。
半年前の春。
剛さんの家の前に人が集まっていた。
私も母に連れられて行った。
近所の人たちが大勢いた。
誰もが剛さんへ声を掛けていた。
その中心で、剛さんは困ったように笑っていた。私は事情がよく分からず、
「何があったんですか」
と聞いた。剛さんは紙を見せながら、
「兵隊だ」
と言った。
それだけだった。
私はさらに聞いた。
「いつ帰ってくるんですか」
剛さんは少し考えて、
「分からん」
と答えた。いつもの剛さんだった。
出発の日も見送りに行った。駅には人が集まっていた。
軍服姿の剛さんは見慣れないくらい大人に見えた。何を話したのかは覚えていない。
ただ、
「ちゃんと飯を食え」
と言われたことだけは覚えている。
私は、
「剛さんもです」
と返した。剛さんは笑った。列車は行った。
それから半年。
まだ帰ってきていない。
私は書類へ視線を戻した。
そこに書かれている文字は、半年前、剛さんが見せてくれた紙と同じものに見えた。
だから余計に意味が分からなかった。
剛さんは男だ。
兄も男だ。
兵隊になるのは男だ。
それくらい、私にも分かる。
「女にも来るんですか?」
思わず口から出た。部屋が静まり返る。
お母さんは目を伏せた。
おじいちゃんは腕を組んだ。
お父さんだけが私を見ている。
「来ない」
短く答えた。少し安心した。
「ですよね」
やはり何かの間違いなのだろう。
そう思った。
お父さんはしばらく黙っていたが、
「明日、航空隊へ行く」
と言った。
「航空隊?」
「確認してくる」
私は頷いた。
それで話は終わったらしい。
お父さんは再び箸を持った。
だが誰も食事へ戻れなかった。
味噌汁はすっかり冷めていた。
♦︎♦︎♦︎
宇佐の航空隊というところは、コンクリートの冷たい匂いがした。
お父さんの足がいつもよりずっと速くて、私は下駄の音をパタパタと響かせながら、はぐれないように後ろをついて歩いた。
緑色の服を着た兵隊さんたちが、すれ違いざまにジロジロと私を見てくる。尋常小学校のときの、よその組の男の子たちに睨まれているみたいで、私は少しうつむいた。
通された部屋の机には、眼鏡をかけた偉そうな人が座っていた。その人は、私が差し出した赤紙と、手元にある分厚い帳面を何度も見比べている。万年筆の先で、机をトントンと叩く音が部屋に響いていた。
「性別の誤記だな」
その人は、なんだかつまらなそうな声で言った。
「では、間違いということで……」
お父さんがすぐに、すがるような声を出す。
「一度、陛下の名で出た令状だ。こちらで勝手に破棄することはできん。そんなことをする権限がないのだ」
「ですが、理恵は女子です。16です。間違いなのは分かっているでしょう」
お父さんの声が尖っていく。怒るときの声だ。私は怒られるのが嫌で、お父さんの背中の後ろへ少し隠れた。
眼鏡の人は、赤紙をこちらへパシッと押し戻した。
「だから、現地へ行けと言っている。召集地は『茨城県・霞ヶ浦海軍航空隊』。期日は5日後の、10月23日だ。とにかく現地へ出頭しろ。向こうの司令部で女子だと分かれば、しかるべき手続きをしてその日のうちに帰される。それだけのことだ。期日までに出頭せねば徴兵忌避で憲兵が動くぞ。不服ならここで裁判でも起こすか?」
男の人は早口で、何を言っているのか半分も分からなかった。
ただ、「いばらき」という場所へ行かなければいけないこと、そうしないとお巡りさんより怖い憲兵さんが家に来ることだけは分かった。お父さんはもう、何も言い返さなかった。
基地を出るなり、お父さんはものすごい勢いで歩き出した。私は着物の裾を気にしながら、必死についていく。
「茨城だろうがどこだろうが行けばいいんだ。行って『私は女です』と言えば済む話だ。グズグズして憲兵に突っ込まれてみろ、神社がどうなる。それに、剛の家にも顔が立たん」
お父さんは前を向いたまま、ひとりで怒ったようにまくしたてていた。私は「茨城ってどこだろう」とぼんやり考えていた。地理の時間に習った気もするけれど、私の成績は中の下だ。東の方、剛さんの乗った汽車が走っていった方よりも、もっともっと先ということくらいしか思い出せなかった。
家に着くと、居間の畳には風呂敷が広げられ、その上に着替えや手拭いが並べられていた。お母さんは台所で米を研いでいる。
「やっぱり、行く事になったのね?」
「ーーああ」
お父さんは何か言いかけて、それだけ言った。
「理恵、これを」
おじいちゃんが、古い布に包まれたお札を私の手に握らせてくれた。
「汽車は混む。おっとりしとったら置いてかれるぞ。行って、すぐ帰ってくるんだよ」
「はい」
私は頷いた。
お父さんがあんなに焦っているのだから、やっぱり行かなきゃいけないんだろう。茨城という場所へ行って、大人の人に「女の子です」と言えばいい。そうすれば、剛さんの帰りを待ちながら、境内をホウキで掃く生活に戻る。それだけのはずだった。
10月19日。まだ外が暗いうちに、お父さんに叩き起こされた。
眠い目をこすり、まだ温かい握り飯の包みを抱いて歩いた。たどり着いた宇佐駅のホームは、いつもとまるで違っていた。
薄暗い電灯の下に、緑色の服を着た若い男の人たちがたくさん集まっている。真ん中には「祝・応召」と書いた白い長い旗があって、おじさんたちが日の丸の小さな旗をパタパタ振っていた。でも、誰も万歳とは叫ばない。ただ、ひそひそと押し殺したような声が響いていて、なんだかお葬式みたいに重苦しい。駅のベンチの脇には、赤ちゃんを抱っこした女の人が地面に座り込んで、ずっと目の前の兵隊の泥のついた靴を見つめていた。
「遅れるな、早く乗れ」
そうして私はお父さんに客車へ押し込まれた。
やがて汽車はゴトゴトと音を立てて動き出した。
新章です。
生活も落ち着いてきたのでできれば毎日更新が復活できればと思っています。




