第185話「続く」
2日後。
『自由の国』アーリントン州リングレー、郊外『シルビア・ルート29・ダイナー』。
店内へのドアを開けるといつも通りの間の抜けたカウベルが鳴り、客の来店を知らせる。その音が消え去ると、いつものジュークボックスからのカントリーではなく、カウンター上にある小さなテレビがつけられていた。
珍しいとルーザーは思った。
いや、違う。
この店へ昼間に来たのは今日が初めてだった。
テレビは公共放送であるFBSがつけられていて、店主が咥えタバコでそれを見ていた。
『水曜日の混乱を経て、現在は全米のすべての集計所で、法律に基づいた静かな開票・確認作業が進んでいます。怒号は消え、残されたのは書類の擦れる音と、スキャナーの電子音だけです。この静けさは、ある意味で法の支配が辛うじて保たれている証拠ですが、同時に、国民がいかに政治というものに嫌悪感を抱き、対話を諦めてしまったかを示す、痛烈な沈黙でもあります。私たちは、この静かな手続きがすべて終わった後、どのようにこの国を再建すべきなのでしょうか』
モニターからは地方公務員か選挙ボランティアの淡々とした作業風景が流れている。
「いらっしゃいませ。珍しいわね、ルーザーさん」
出迎えたのは、店のエプロンを身につけ、ポケットにペンを何本も挿し、チップであろう小銭をジャラジャラと鳴らす、いつものウエイトレスだった。
「それとお母さんの事、ありがとう。オーナーから聞いたわ」
彼女の母親は不法移民だった。
しかし、彼女自身はこの国で生まれた市民である。娘がスポンサーになれば、母親は永住権取得の手続きを進められる。その制度をオーナー経由で伝えただけだった。
「これで州知事選の結果など関係なくなっただろう?来月、ルイスが休暇で帰って来るんだ。一際上手いブラックを頼むよ」
「ふふ…わかったわ」
まるで花でも咲いたようにウェイトレスは笑った。
「ルーザー=ブライトンも随分と丸くなったものね。それとも離婚した奥さんに連れて行かれた娘の面影でも見てるのかしら?」
姿だけを見れば小学生。
だが、その少女は流暢なキングスイングリッシュで話しながら、ルーザーがいつも座るボックス席でステーキを切っていた。
「リタイヤした身だ。勝手だろう?」
と向かいに座る。
「え?ルーザーさんの知り合いだったの?Tボーンステーキはお嬢さんには食べきれないからってステーキ出しちゃった。ひょっとして娘さん?」
ウエイトレスの言葉に苦笑する。
「知り合いではある。だがこう見えて彼女君の倍ーーアウチッ!」
言葉の途中でボックス席の反対側からヒールのつま先が脛にヒットする。
その様子にウェイトレスがクスクスと笑いながら注文を取る。
「いつものでいいのね?」
「ああ」
ウェイトレスがくるりと踵を返したのを見て、佐藤ゆりあが口を開く。
「それで何の用?」
「一応、礼を、な。あなたが日本を動かさなければ最悪の事態となっていた。それだけは伝えたいと思ってな」
「さっき、あなたが言っていたわよ。『リタイヤした身だ』って」
「それでも言いたかったのさ」
その時だった。
いつもはのんびりと鳴るカウベルが、勢いよく開いたドアのせいでけたたましく店内に響いた。
転がるように現職のCIF長官であるポーターが入って来る。そして目が合った。
「いた!ルーザー前長官!大統領の許可は取りました!復職をお願いします!」
ポーターの様子など気にせず、ウェイトレスがいつものコーラを持って来る。
「はい、チェリーコーラね。氷はマドラーで砕いてるわ」
「あ、ついでにコーヒーいただける?」
「はい。ちょっと待ってね」
ポーターが取り残されたようにその場で立ち尽くす。
「まずは注文したら?ここはダイナーなんだし」
ゆりあのその言葉でポーターはゆりあに気づいたように驚く。
日常は案外、強固に続いていくのだ。




