第179話「『自由の国』が停まる時 (後編)」
水曜日、10:00。
アーリントン州『ファイアフォックス郡政府センター』
普段のここは、なんてことない退屈な行政ビルだ。免許の更新に行ったり、固定資産税の相談をしたりする、ガラス張りの、どこにでもある郡役所。
それが昨夜から、この国の民主主義を守る最前線になっていた。
本当なら、こんな場所にいるつもりなんてなかった。本来ならダイナーへ恋人であるレイチェルを迎えに行って、バイト終わりの彼女とハンバーガーでも食べながら他愛もない話をしていたはずだ。
でも、それはできない。
「州知事が代われば、彼女の母親は国外退去になるかもしれない」
先週、ダイナーで彼女が笑いながら言ったその言葉だけが、ずっと頭から離れなかった。
だから僕は、青いプラカードを片手にここへ来た。
『民主主義を守れ』
そう書かれた紙は、徹夜明けの湿った空気を吸って少しだけ波打っている。家に国旗なんてあるわけがない。だからナイルで一番安かったものを注文した。
役所の裏口は、今も黄色いバリケードとアーリントン州兵のSUVで完全に封鎖されていた。報道がドローンで空撮でもしているのか、時折ドローンのローター音が喧騒に混ざるようになった。
午前の陽射しが照りつけても、事態は少しも穏やかにならない。
メガホンのハウリングと、「開票を止めろ!」という赤い帽子とプラカードの連中の怒号だけが途切れることなく続いている。
赤い帽子をかぶった人たちも、僕たちも、誰もまともに眠っていない。目の下には同じように黒いクマができている。疲れているのは、お互い様だった。
徹夜明けの集計スタッフが、警備員に守られながら建物から出てくる。
その瞬間だった。
「裏切り者!」
「お前たちの顔は覚えたぞ!」
怒号が一斉に飛ぶ。
スタッフは誰一人言い返さず、足早にバスへ乗り込んでいく。
僕は思わず国旗を振った。彼らこそがこの国の民主主義を守っていると思ったからだ。
『環境配慮のために竿部分を樹脂製から金属製に変更しました』と説明のあった竿は酷く冷たい。
頼む。
あと少しだけでいい。
何事もなく、この再集計が終わってくれ。
それだけで、彼女はこの国に残れるかもしれないのだから。
刹那。
国旗を振っていた右肩に鋭い痛みが走る。
直後に
パーン!
と乾いた音が周囲の怒号を静かにする。
「発砲だ!」
「州兵の方から銃声がしたぞ!」
「州兵が撃った!」
どちらの陣営も蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
僕だけが痛みで動けない。
逃げ惑う数人が僕にぶつかり、肩を見て更にパニックになって走り去る。
出入り口にいた州兵たちも一斉に銃を構え、周囲へ向けて警戒を始めている。
警官が「伏せろ!」と必死に叫んでいる。
着ていたダウンジャケットから羽毛が飛び出し、ゆっくりと右肩に目を向ける。
そこから血が流れ出ている。
それを見て、膝から崩れ落ちた。
白い羽毛だけが、ゆっくりと宙を舞い、逃げ惑う人々に踏まれそうになる。
倒れた僕に警官が駆け寄る。
止血のために肩を強く押さえられた瞬間、激痛で意識が暗転した。
♦︎♦︎♦︎
アーリントン州、リングレー。CIF(Central Intelligence Freedom-country)本部。
「アーリントン州、ファイアフォックス郡政府センターで州兵が市民に発砲したと見られます!」
「サバダ州ローズウェル大学体育館開票所でも同様の事件が発生!こちらは政和党支持者が死亡しています!」
「ニューヤーク州でも3ヶ所で発生している模様!」
オペレーター達が叫ぶようにそれぞれ報告する。
「第11艦隊の方はどうだ?」
これに答えるのはサイバー部門・統括責任者のリチャードだ。
「ドローン全機正常稼働中。また、AIをリンクさせて『ライブラ』で読み込んでいますが、どうにも妙です。特に赤外線。発砲があれば高温になり探知できるはずですが、それもありません」
一例として、1番大きなモニターに事件直前からの赤外線動画と通常動画が並んで再生される。被害者は若い国民党支持者、発砲音は州兵側からしたのだろう、両党支持者共にそちらを向いている。だが、赤外線動画に高温は検知されていない。
「どういう事だ?」
「『ライブラ』の分析は『事件は起こっていない』となっています。死亡事件であるにもかかわらず、です」
益々わからず、ポーターは考え込む。
更に。
「ノースキャロライン州でも4件発生!」
「アーリントン州も3件、追加で発生しました!」
「各SNS、動画・画像・投稿が出回り始めました!」
「事件を受けてニューヤーク州は一時開票作業を停止を決定しました」
『自由の国』がゆっくりと静止を始めた。
その時だった。
「情けないわね。それでも世界最高の諜報機関なの?」
ポーターを始めとした全員が入口の方を向く。
若い。
いや、『子供』そのものの甲高い声だった。




