第178話「『自由の国』が停まる時(前編)」
『シルビア・ルート29・ダイナー』
リングレー郊外、29号線のロードサイド。
夜になると、色褪せた石油会社の黄色い看板と、煤けたダイナーのネオンが並んで灯る。長距離トラックや地元の夜型人間たちを誘う、ガソリンスタンド併設型の店舗だ。
給油機から漂うガソリンの匂いと、換気扇から吐き出される香ばしい肉の脂の匂いが混ざり合うその場所に、ルーザー=ブライトンが足を踏み入れたのは、実に3ヶ月振りのことだった。
重いガラスのドアを押すと、カウベルがいつもの気の抜けた音を立てる。 店内は、3ヶ月前と何一つ変わっていなかった。冷房が効きすぎて少し肌寒い空気、リノリウムの床に染み付いた油汚れ、そしてジュークボックスから流れる古いカントリー。
「いらっしゃい」
メニュー表を片手に歩み寄ってきたのは、まだ10代後半か20代前半とおぼしきウエイトレスだった。少し伸びた髪を雑にポニーテールにまとめ、エプロンのポケットに何本もペンを突っ込んでいる。彼女はルーザーの顔を見た瞬間、一瞬だけ「あ」という表情をして、すぐに人懐っこい、どこかからかうような笑みを浮かべた。
「こちらのボックス席へどうぞ」
今頃、CIF本部では対策会議の真っ只中だろうと、どこか落ち着かない気持ちのまま、いつもの窓際のボックス席に腰を下ろした。
ルーザーが少し照れくさそうに口を開きかける。
「あー……Tボーン――」
「ウェルダンね。OKよ」
彼女はルーザーが最後まで言い切る前に、手元のオーダーパッドに素早くペンを走らせた。メニューを開く隙さえ与えない、完璧な先回り。3ヶ月のブランクなんて最初からなかったかのような、あまりにも自然な常連扱いだった。
「サイドはマッシュポテトでいい? グラヴィーソース多めで。……それと、ドリンクはチェリー・コーラ、マドラーで氷を少し潰すやつね」
「あ、ああ。頼むよ」
ルーザーが苦笑しながら頷くと、彼女はグラスをテーブルにトンと置いた。
CIFを去ってから3ヶ月。世界一の機密を扱っていた男の好みを、政権の誰よりも正確に記憶しているのが、このルート29沿いの若いウエイトレスなのだから滑稽だった。
対策会議への出席も要請されたが固辞した。失敗しても責任も取れないし、3ヶ月というのは諜報では大きすぎるブランクだ。
「……今日は、いつものうるさいコーヒー派のおじさんは一緒じゃないの?」
「ルイスか? ああ、彼は……今日は来ないよ」
彼女はルーザーの向かい側の、誰も座っていない空っぽのシートに目を落とした。
「じゃあ、私が座っちゃおう!」
いつの間にか彼女はエプロンを脱ぎ、ダウンを羽織っていた。つまりはバイトの時間が終わったのだろう。
手にはルイスがいつも頼んでいた白いマグカップに入ったコーヒー。ルイスはブラック派だったが彼女はテーブル脇に置かれたガラス瓶から砂糖を2杯入れた。
「私ね、今週末でここを辞めるの。州知事が変わるかもでしょ?お母さん、国外退去にされると困るもん」
そう言って彼女は苦そうにマグカップに口をつけた。
♦︎♦︎♦︎
アーリントン州、リングレー。CIF(Central Intelligence Freedom-country)本部。
会議室の空気は重かった。
エリザード女王との通信を終え、ルーザー前長官が去り、暗い海をただボートを漕いでいる感覚にポーター長官は襲われた。
それを振り払うように口を開く。
「敵の狙いが『選挙の異常な均衡』であった以上、ここから更なる行動が考えられる。予想しうる行動は?」
それに真っ先に答えたのは、メガネをかけた黒人男性だった。本名はジョージだが、ジョンと呼ばれる方が多い、『国民党』担当の分析官だ。
「私は真っ向から選挙妨害を仕掛けて来るとは思えません。どちらの陣営であれ、そこの襲撃を許してしまえば州知事の政治生命に関わります。なので、逆にこの事態の長期化こそ、相手の狙いではないかと思います」
それに異を唱えるのはナンシー上級分析官だった。小柄な女性で南米・カリブ海方面の統括責任者である。
「長期化が目的であるからこそ、どちらかの陣営に扮して妨害を仕掛けるのではなくて?先程のエリザード女王からの情報によれば3人とも魔女である可能性が非常に高いので」
リチャード=キングはサイバー部門の統括責任者だ。コーラで口を湿らせて言う。
「政和党・国民党の両陣営とも、投票所に詰めかけるように煽るようなSNS投稿が増加しています。ただし、これに関しては州兵で対応可能です。問題は『魔法』を使われた場合です」
ポーター長官は腕を組み、それらの意見を聞いていた。それを踏まえてまとめる。
「現状、情報がなさすぎて『敵のターゲット』を絞り込めない。だが、リチャードの言う通り、州兵で対処不可能になる程の暴動はSNSだけでは起こり得ないだろう。で、あるならば『第11艦隊』の出動を要請しよう」
『第11艦隊』は、ルイス前国防長官が創設したサイバー・無人機統合部隊である。現場に艦艇を持たないにもかかわらず、他艦隊から予算を5%ずつカットする事で創設された経緯から皮肉を込めて「艦隊」と呼ばれていた。
「20州で再集計が行われるという事は、再集計会場だけで1108ヶ所、とてもじゃないが人員だけでは監視できない。だからAIドローンの力を借りようと思う。もっと言えば、それに紛れるカタチで『ヒロイ型AMFG』の設置が可能だ」
『ヒロイ型AMFG』は一見すると普通のドローンだが、魔法少女・魔女にとっての天敵である。半径200mの『魔法』だけでなく、『身体強化』『飛行』までを発動できなくするからだ。
また、広大な国土・人口を有する『自由の国』だが魔法少女・魔女は5人しかいない。その対抗策としてルイス前国防長官が心血を注いで予算獲得・人員配置を行い、実践配備に漕ぎつけた兵器だった。
「これなら、暴動にも『魔法』にも対抗しつつ、僕らは情報収集に専念できるだろう?」
ポーター長官の言葉に、全員が暗い海から陽がさしたような感覚になった。
♦︎♦︎♦︎
『人民の国』東部の無人島。
「準備完了したわ」
エレン=チャウシェが言った。
エマ=ブラウンがプロジェクターで見ていた映画をリモコンで停めて、エレンの方を向く。
「少し時間がかかったわね」
「エマのせいだろう。当初計画では3州の予定が20州まで増えたんだ。実際、州兵の訓練場を担当しているリサイクル業者を割り出し、コンタクトを取るのに時間がかかった」
少し非難めいたエレンの言葉を綺麗に流して、エマが更に聞く。
「それで、手に入ったの?」
「ああ、20州分の州兵が訓練で使ったアサルトライフルの銃弾の弾頭部分がな」
「それをゴム銃で飛ばすの?そんな実験をしてたけれど?」
「少し違うな。このパイプの中に弾頭が入っている。特殊ゴム膜を1mあるパイプの反対側まで引っ張った状態と共に。時間になれば反対側で留めたゴムが限界を迎えて弾頭が発射される。魔法も銃も使わずに」
確かに使用済みの弾頭でもスリングショットのようなもので再度、発射は可能だろう。
「そんなので人が殺せるの?」
「殺傷力はギリギリってところだ。だが、州兵のアサルトライフルの弾頭である事に意味がある。被害者の体内からそれが見つかってみろ、絶対に犯人は州兵だと思い込む。しかも、この方式だと新たに線条痕はつかない」
「線条痕?」
「簡単に言えば『銃の指紋』だ。銃は砲身に弾丸を回転させて直進性を高める構造がある。それが同じ種類の銃でも個体差がある。ゴムで打ち出せば、それが着かない。つまりは州兵が撃ったと誰も否定できない」
「こんなローテクで大丈夫かしら?」
「安心しろ。1万は用意した。しかもこのパイプを『自由の国』国旗の旗竿にしてEC大手の『ナイル』で『選挙応援グッズ』として安価に販売した。中間選挙が終わったこのタイミングで買うのはデモに行く奴だろう。それでもほぼ完売したし、1万発あれば運の悪い2〜3人は死ぬだろう」
だが、エレンの準備はそれだけではない。
「そして、紅青が今行っている工作ね」
「そうだ。スピーカーを設置するだけだがな。結果、州兵の方から発砲音がして、実際に人が倒れている。弾丸は州兵のもの」
「誰が見ても、州兵(国家)が一般市民に銃を撃ったと思い込む」
「その時が『自由の国』が停止する瞬間だよ」




