第162話「(閑話)香江の魔法少女」
2ヶ月前。人民の国。
香江島の高級住宅街を見下ろす高台に私の学校はあった。
まるで金融街のランチそのもののような、低糖質なキヌアボウルとかビーガンサラダが並ぶ。言うて私もオーガニックサンドイッチだけど。
昼休みの話題はショッピングモールで行われるポップアップストアとか、K-popミュージシャンとか流行の会話。それをデフォルトのままのスマホの着信音が切り裂いた。
「ちょっと失礼」
少し離れた場所で電話を取る。
「はい。黄だけど?」
「すまないが、緊急で1件、引き受けてくれないか?」
相手はマフィアの中堅幹部。中央幹部とも繋がる『断りにくい筋』の人間だった。
「この前受けた案件がまだ進行中よ?1997年前なら珍しくもないけれど、現在だとキャパオーバーよ」
「無理は承知で頼んでいる。こちらとしても断りにくい案件なんだ」
彼の声色から困惑が滲む。マフィアはお人好しでは通らない。冷静な部分を含めて彼の判断は合理的なのだろう。
「わかった。ただし、条件がある。面談は今日よ」
「今夜?!」
「そう。さっきも言ったけど、キャパオーバーなの。だったら今進行中の案件と混ぜた方が効率も安全性も高い。だから面談は今夜よ」
渋々といった感じで向こうが電話を切った。
♦︎♦︎♦︎
烏龍城砦公園。
ここにはかつて、東洋最大のスラム街があった。私の母親が子供の頃、人民の国の文化革命から逃れてここに移り住んだ。そこで成長して、香江で生まれ育った自動車整備工の父と出会った。
今は取り壊されて、公園になっている。
今日はここで依頼人に会う。私は母親から引き継いだ『亡命屋』だった。亡命屋とは読んで字の如く、亡命を商売にする事だ。
この国ではパスポートをでっち上げの罪によって取り上げられたり、無効化された者もいる。だからこそ成り立つ商売だった。
依頼人は匿名型メッセージアプリで受け取っている。
『張=イーピン。電機メーカー、ハイワングループ初の女性取締役』
結構な大物。顔が知られているだけに厄介。資料を見ると、誰かに全てを乗っ取られたらしい。超一流企業の役員としての役割も個人としてのパスポートやその他も。
「待ち合わせかね?張=イーピンは来ないぞ?」
真正面からそう言いながら男性が歩いてくる。
そんなはずはない。
冷静な部分がその存在すら否定しようとする。
目の前に立っているのが警官や軍人ならどんなに『マシ』だっただろう。
その人物は周=コンペイ。
言うまでもなく、この国のトップ。
確か父と同じ年齢だったとか、思考が現実逃避するように別の情報を出す。
「黄=リンシャンだな?水でいいかね?」
国家元首からペットボトルのミネラルウォーターを受け取る。新品のであることは開封すればわかった。バクバクと暴れる心臓を落ち着けるようにそれを多めに飲み込んだ。
「母親の代から『亡命屋』を営む。1997年の返還前には1万人近くを亡命させ、表向きである父親の自動車輸入ディーラーは10店舗を構える中堅企業になった」
どこか資料を丸暗記したように、私の家の情報を述べる。最悪、SPのような人物は連れていないからこの人を消して、私自身がどこかに亡命すれば良いと頭のどこかで考える。
「あなたが亡命を希望なら、この国は面白い事になりますね?」
なけなしの虚勢でそう言う。こういう場合、変に下手に出ると潰される。
「ふふ、確かに。それと張=イーピンの件はキャンセルだ。エージェントにはキャンセル料として、成功時と同じ金額を払おう。何せ昨日、変死体で彼女が発見されたからな」
「そのままにしておけばいいでしょう?泳がせて、なりすまし犯を捕まえればいい」
これがこの国の合理性だと思う。そして、目の前のこの人もそれは否定しない。
「ただの小悪党ならそうするさ。ただし、乗っ取った相手が厄介でな。だから、君に依頼をするためにこうして出向いた訳だ」
「つまりは犯人はわかっていて、逮捕できないか、逮捕する事で何か不利益があるって事ですよね?私はチンケな『亡命屋』です。あなたレベルのお役に立てる事なんて何1つ思いつきません」
私の言葉を受け流して、周首席は昔話を始める。
「1968年。俺の親父もお袋も教師だった。それの子供だったが勉強嫌いで、学校をサボって山で遊んでばかりだった。だがその日はそれが良かった。両親共に、紅衛兵に捕まり磔にされていた。後に言う、『文化革命』だ」
風が吹く。
それに乗ってどこかの夕食の匂いが一家の団欒を連想させる。
「そして、君の母親も迫害を恐れて当時、連合王国領だったここ香江に来た。
文化革命を起こしたのは紅青だ。まあ、あの学校の学生なら知っているか。もっと言えば、張=イーピンを殺し、成りすましたのもな」
いや、それはおかしい。
「彼女は1981年。逮捕され、10年後に死んでいるはずですよね?」
「ところが、どこかで別人にすり替わっている。君が普段『亡命屋』としてやっている事だ。そして張=イーピンとして今は存在している」
それはこの人が『魔法』の存在を知っていると言う事。
人民の国では紅青の件で魔女や魔法少女に忌避感が強い。連合王国は別名『魔法の国』と呼ばれ、女王が魔女の国だ。今もこの香江には5人の魔法少女や魔女がいる。私もその1人だった。だから、女子高生でも『亡命屋』としてマフィアと渡り合えたりするのだ。
だが、私は万能ではないし、魔法少女としては母親に劣ると自覚している。
「それで、私に何をしろと?紅青と渡り合うなんてとても無理です。言うて、チンケな『亡命屋』ですから」
「知っている。だが、私は君が適役だと判断した。黄=リンシャン。君には日本に行ってもらいたい」
説明を受ける。
なるほど、世界はだいぶ知らないところできな臭くなっているらしい。
「わかりました。ただし、条件があります」
それを周首席は了承し、私は日本へ留学した。
♦︎♦︎♦︎
「こっちは苦手な関数だったよ。隣のハルちゃんは文字の書き取りだった。内戦で学校はここが初めてだって言ってたよ」
私がそんな事を言っている。
私はそれを少し離れたところで見ている。
敵を欺くには味方から。
ここにいるのが味方かどうか、まだわからないけれど。




