第152話「情報」
ロクライナ南西部、チルノフクィー市。
戦争のたびにこの地は支配者が変わり、この都市は多民族都市として機能していた。20キロも走れば隣国である『ダキア公国』との国境にも程近く、現在では昨年まで続いた『北の大国』との戦争で産み出された難民の避難先にもなっていた。
マリア=ティモシェンコは石畳の通りを歩いていた。実は彼女のお気に入りの街である。それはこの街に『旧ソ連』の匂いのしない、『ヨーロッパ文化』を感じられる景観が残っていたからである。
その中心が世界遺産・チルノフクィー大学である。ビザンティン様式、ロマネスク様式、ゴシック様式、ムーア様式が融合した美しい赤レンガの建物があり、正教系の主教の邸宅として建てられた。中に入ればフレスコ画や大理石でできたホールなど美しい内装が保存され、圧倒されたはずだった。
そこには人の立ち入りを規制するテープが張られ、荘厳さを汚していた。
「キリノ、どんな感じ?」
キリノ=トルチノフ。マリアの右腕であるアレキアンドル=トルチノフの長女で30代半ばの女性だった。
「『事故』に見せかけた、『事件』。いえ、『テロ』ね」
3日前、避難民のためにシュトーレンを用意して配ろうとしたボランティアが聖堂で12人も死亡した。それを捜査するために2人は、このチルノフクィーまでやってきたのだった。
「どういう事?」
マリアが聞いた。
「硫黄を含む入浴剤に酸素系洗剤が混ざると硫化水素が発生する」
即座にキリノがそう言って、更に続ける。
「問題はそういう『事故』があったから、メーカーはPH値を調整して、硫化水素の発生を微量に抑えて販売していた」
「それで?」
「今回はアルカリ性の薬品を混ぜる事で大量の硫化水素が発生、12人もの命を奪ったんだ」
『北の大国』がボランティアを殺害する訳がない。いや、可能性として低い。彼らなら、首都・キウイで行うだろう。
マリアが即座に思考に沈むが、それをキリノが遮る。
「聖堂内の防犯カメラは硫化水素の腐食で駄目だった。けれど、屋外の大学のカメラは生きてた」
そう言って、スマホを操作してマリアのスマホに動画を共有する。
それを見たマリアが見るからに怒りを露わにする。
「やってくれたわね。あのアマ!」
動画を見たキリノには誰かわからなかった。
「エレン=チャウシェーク。『ダキア公国』の元・大統領夫人よ」
不快感を隠しもせずに、マリアが吐き捨てるように言った。
♦︎♦︎♦︎
同じ頃、ルマニア共和国。首都・ルピアール。大統領官邸。
「新婚の友達の家に行く時にケーキを買う事にしました。ケーキは何個必要でしょう?」
椎葉ユウがクイズ番組のように聞いた。
聞かれた斉藤フミが即答する。
「夫婦だから2つ。自分も食べるなら3つ」
「残念。正解は4つか5つなんだ。旦那さんは再婚で連れ子が2人いたんだ」
不服そうにフミが言う。
「そんなの言ってないじゃない」
「そう。でもその可能性を探っておくのが『インテリジェンス』だよ。外交の場合、知らない事でとんでもない問題や戦争になったりするからね」
それを目を細めて聞いている人物がいる。日本人よりもやや濃い褐色の肌に、スーツに身を包んでもわかる筋肉質な身体。この国の初代大統領、ユーリ=シトロエンだった。この国が軍政だった時代に、情報部門出身だったからだ。
なおもユウの説明は続く。
「ーー直接でも、近所に聞くのもアリだし。中には洗濯物から推測する人もいる。やり方は色々ある」
それを遮るように、勢いよくドアが開いて数名が入ってきた。岸本梓大統領補佐官、張リャンシャン交通大臣、ルイス=ジョンソン商務大臣にスミス=チャーウィン大蔵大臣だった。
それもそのはず、この部屋は大統領執務室なのだ。
「2人ともそのままでいいわ。一緒に参加して」
梓が2人に向かって言った。ユウが即座に出て行こうとしたのを気づかれたらしい。
「あなた達、2人にも関係ある話なの」
そう言われては退出できない。2人とも空いた席に腰を下ろす。
即座に大統領を中心とした閣議が始まった。
「首都ルピアールの東、ラシフォン州の国境付近の街、コートデューで妙な動きがあるの」
ラシフォン州は州都ベイボンで、世界遺産の壁画があったはずだとユウは思う。つまりは観光州で外国人の出入りが多い。それ以外の産業は歴史的に酪農家が多い。
梓の説明は続いていく。
「ベイボンの観光受け入れを目的に『人民の国』主導で建てられたホテルが、4年前、コロナの影響で閉業した。ここに犯罪者集団が住み着いているようなの。日本式に言えば『トクリュウ』ね」
「なるほど……この国にとって重要な賓客を招いての結婚式は2週間後だ。どうする?」
ユーリ大統領が梓だけでなく、全員を見回して聞いた。
「先程の例え話で言えば、出発まで時間のない中でケーキを用意しなければならない訳だが?」
ポツリとユウが呟いたが、日本語であったため、『なんだ?』と怪訝な顔をする者もいる。
「犯罪者集団とわかっているならば、遠慮なく潰した方がいいのでは?」
ニコリと笑って今度ははっきりと言った。
「不在なら、ケーキを買う必要もない訳です」
ユウの発言に梓だけが笑ってうなづいた。




