第149話「(閑話)救済」
2012年9月。東京都千代田区内幸町。
JR新橋駅で電車を降りて、銀座口から駅を出る。そのままガード下を歩いていくと、上に首都高が重なり、最初の交差点を左折する。線路下をくぐる通りが国会通りで、目指す建物はそこから2つ目の信号の左側だった。
ただし、新幹線で広島から来たので、東京駅で都営三田線に乗れば目指すビルは内幸町駅と直結している。それを宮本孝子は知らなかった。
何度もビル名を確認して、オフィスビルに入る。6階に『世界調和協会』の表示を発見してホッとため息をつく。
宮本孝子にとって19年振りの東京だった。といっても彼女の通った大学は多摩地区であり、東京の中心には縁遠かった。更に言えば東京にいたのも大学2年の前期までで、息子である章一を妊娠したためにそこを自主退学していた。
「こんにちは〜」
愛想よく入ってみたが、出迎えたのはパーテーションと電話機のみ。職員はカードキーで出入りするらしい。受話器を手に取り、待つ事数秒。
「あの、宮本孝子と申します。奨学金の申込みで参りました」
多少、声が上擦りつつ用件を伝えた。
♦︎♦︎♦︎
20人は座れそうな会議室に孝子1人で座っている。
窓際の席で交差点を挟んだ斜め前に日比谷公園の緑が広がり、自然とそちらに目が向いた。
「お待たせしました」
入って来たのは中年の女性だった。淡い色のスーツを着こなし、教育に携わっている雰囲気があった。
孝子はその姿を見て、自分より少し年上の女性だと思った。東京を離れる原因になった息子がもう18になる。孝子も38歳になっていた。
「申請書類はお待ちいただいた間に確認しました。問題ありません」
ニコリと笑ってその女性は言った。
「まだ受験前なのにいいのですか?」
「章一君は神奈川県立医科大をA判定です。地方医大なら推薦枠も狙えます。問題ありませんよ」
医学部6年間で2000万。
そんな金額が動いているとは思えない気軽さで担当者は言った。
「募集要項に記しているように当方は、傘下の『医療法人・ハピネス会』の『人材確保』を目的としています。大学医局を離れるというのは普通のお医者さんには難しい事ですから」
「それで、その募集要項に返済の事が書かれていないのが気になるのですが?」
母親として当然とも言える疑問だった。医師になれたとして1%の利子としても20年ローンで月9万の返済になる。
「こちらに書いてある通り『給付型』ですので返済はありません。外科医か内科医として10年勤続いただければ返済は免除されます。もちろん、その間も給与は支払われます」
「不躾な質問だとわかっています。それでもさせてください。話が上手すぎませんか?」
孝子が意を決して言った。
「宮本孝子さん、でしたね?『世界調和協会』を15年、協会員として活動している。毎月2000円いただいている『協会費』はこういう奨学金としても使われているんです」
初めて女性が笑みを崩す。少しだけ目を逸らした。
「人を救うための『互助会』であっても、お金を集めれば『税金』がかかります。だから『表向き』は宗教法人となっています」
日本における『グレーゾーン』。だから、この女性は言いにくそうに言ったのだと孝子は理解する。
「そういえば宮本さんは、町議会議員でしたね?」
申込み書に連帯保証人として親の署名や職業欄があったので、知っているのはわかる。それに『世界調和協会』の支援で選挙に当選している部分もあった。ここはその本部だから、どちらにせよ、知られていても違和感がなかった。
「息子さんがこちらに来るなら、一緒に東京に住みませんか?本部で働くなら、町議会議員以上の給与をお約束しますよ?」
一瞬、孝子が虚を突かれる。
「申し遅れました。私、『世界調和協会』会頭の広瀬美佳子と申します」
そう言って名刺を差し出してくる。
「支援者もいますし、私の一存では……」
「任期は来年3月までですよね?もっと言えばそれまでに後継者を指名していただければ、そちらもバックアップしますし、宮本さんの2人で住める場所も探しておきます」
♦︎♦︎♦︎
その夜。
「宮本孝子も『妖怪』ね。『思考』が読めなかった」
誰に言うでもなく、美佳子がつぶやいた。
そんな彼女が見ているモニターには、とあるビルの物件紹介が映し出されている。
『汐留インターシティー』
汐留の再開発が進み、高騰していた2006年に強気の計画の元、土地が買い集められ、建設途中の2008年にロイドショックでメインターゲットにしていた外資系金融機関が次々と閉鎖・縮小され、テナント入居率が絶望的となり、オープン直前の2011年3月の東日本大震災でトドメを刺されたビルだった。
「買うわ。180億でどう?」
折りたたみの携帯電話に美佳子がそう言った。
『……確かに、我が社がロストした額を考えれば、東新橋のこの立地は奇跡的なプライスです。ですが、180億はあまりに買い叩きすぎだ。あと50億は積んでもらわなければ、本国の破産裁判所が首を縦に振らない』
スピーカーの向こう側からヒステリックな声が響く。
「スコットさん、世界中のどこを探せば、今の東京の、しかも震災のヒビが残るオフィスビルに、これ以上のキャッシュを払う物好きがいますか? あなたがたが今欲しいのは、帳簿上の『50億の希望』ではなく、来週までに本国へ送金できる『本物のドル』のはずだ」
その返答に苦々しく笑っているのがスピーカー越しでもわかった。
『日本のメガバンクだって、ここまで冷酷な交渉はしない。……聞けば、あなた方の背後にあるのは、ただの投資組合ではないそうですね。東洋の神秘的なコミュニティ……要するに、神の金だ。なら、もう少し慈悲があってもいい』
「神の金だからこそ、1円たりとも無駄にはできないのですよ。これは『施し』ではなく『救済』です。現金の引き出し、および本国への送金ルートはすでに確保しています。あなたが了承した15分後には、180億があなたのペーパーカンパニーの口座へ着金する。銀行のうるさい審査も、金融庁の詮索も一切なしで、です」
『……15分、ですか。ウォーター街のどのヘッジファンドより仕事が早い。……いいでしょう、このビルの鍵をあなた方に渡します』
その直後、別の電話で電話をかける。
「決まったわ。180億。スコットのペーパーカンパニー……確か『リチャード・モーガン・エネルギー』だったはずよ。お願いね」
十数年後、『汐留インターシティー』は『シークレット・ヘブン』の本拠地になった。
すいません。
交通事故で入院してます。
パソコンも破損してるので再開はHDD復旧見込みの2026/6/20以降となると思います。
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