第136話「宰相とチョコレート」
『この書状を持った親子が現れたら、それは私の妾腹の子だ。時局がどうなるかわからない、すまないが助けてやってくれ。 岸川信男』
その書状を持って、世田谷区用賀の家を訪ねた。家主の男がそれを読んでため息をついた。
「はぁ…兄さんめ……」
ワタシと理子を一瞥すると
「風呂を用意する。着替えもだ。話はそれからだ」
そう言って、10分程玄関で待たされ、お風呂に入った。終戦から3年、久々のお風呂だった。理子は初めてかもしれないと思った。
用意された浴衣を着て、客室に通される。
「…自己紹介が遅れた。佐藤優策という。こっちは妻の宏子だ」
宏子と呼ばれた女性が頭を下げる。
「1週間程、離れで生活してもらって、その間に調布にある家を片付ける。そっちで生活して下さい」
『厄介者』そんな言葉が浮かんだ。
♦︎♦︎♦︎
その夜。
ワタシは後になって知った話だった。
縁側で優策が煙草をふかしていると、理子がやってきた。
「かいじゅーさく」
そう言って、アルミ箔で包装されたものを取り出した。2枚ある。そのうち1つを優策に渡す。
「『懐柔策』か。こんなもので俺は釣られんぞ」
そう言って渡されたものを見る。
「ーー待て、これはチョコレートか?どうやって手に入れた?」
「進駐軍からもらった。それにそう言わないと私から食べ物を受け取らないでしょ?」
言われて優策は『確かに』と気づく。
ならばと包装を破り、チョコレートを齧る。
「これがチョコレートか……こんなものを無料で配れる国と戦争をしていたんだな。
それにしても、俺が甘党だとよく知っていたな」
「晩御飯でお酒を飲んでなかった。でも、『これから』は付き合った方がいい」
そこでようやく、優策が違和感の正体に気づく。
「君は本当に5歳か?この先、俺がどうなるのかも知っているんだな」
「夏に仕事が片付いたら、政治家になる」
「少し違う。官房長官だ。そこで名前を売って、来年の選挙で議員になって初めて政治家だ。だから酒を飲めと?」
「違う。シラフでいい。相手が飲めば気が緩む。口も」
「なるほど、そこで得た情報は武器になるな。オヤジとも兄さんとも違うやり方だが、そこがいい。ありがとう」
優策は短く笑った。
「君は厄介だな。俺よりも」
その夜から、理子は佐藤家でただの『厄介者』ではなくなった。
♦︎♦︎♦︎
それから18年後。
昭和41年(1966年)4月。
現職の総理大臣である佐藤優策と実兄の岸川信男が珍しく2人で料亭に揃った。
だが、『兄弟水入らず』というわけではなかった。
「理子ちゃん、潜入調査よろしく頼む」
佐藤優策が来るなりそう告げた。
「君の事だから、私は心配していない。ただ、やるからには確実に国民に『嫌悪感』を植え付けてほしい」
岸川信男も熱燗を手酌で飲みながらそう言った。
理子は公安の工作員として『赤軍』に潜入するため、とある薬科大学に入学する事になった。政治信条は兄弟とはいえ違うが『対、共産主義』という点では一致していた。
「はい。しかし、『例の件』もお願いします」
2人の言葉を受けて、理子がそう返す。
「安心したまえ、『満鉄調査部』にいた私がやったのだ。『戸籍ごと』別人になったさ。明日から君は『長田洋子』だ」
目尻を下げてニヤリと信男が自信ありと笑う。
「来年には増員も予定している。そのつもりでな」
首相で時間のない優策は、そう言って特別に作らせたお汁粉を一気にかき込む。
こうして『長田洋子』が誕生した。
そして。
2月。首相官邸。
「山寺サン、この5人でいいだろう。成績も申し分ない。何より全員が母子家庭で大学進学を諦めた奴らだ。」
優策がリストを渡したのは、山寺昌晴国家公安委員長だった。
「お、この山岡って奴、ウチの選挙区じゃないか!」
山寺がそう言って受け取る。
「それにしても公安には、頭のキレる奴がいるねぇ。高卒で警察入職者から優秀な奴を一浪したように見せかけて大学に入れるなんてさ」
山寺はそう続ける。
「それで難なく『赤軍』に近づけるんだから」
そのリストの1番上には『山岡龍馬』と名前があった。




