第124話「善意の団体」
1997年8月。広島県某町。
宮本孝子がこの町に引っ越したのは偶然だった。
家賃の安く、元の居住地である島根県出雲市からできるだけ遠いところ。なおかつ、夫に知られない場所ーー
そんな条件を人づてのさらに人づてで探した結果、この町のアパートが条件に合った。
町役場。
住民票を移動させようとして戸惑う。ここに住所を移転して夫に知られるのではないか?と。
もう1時間も、悩み迷い続けて役場の中にいた。
「あんた、どげんした?」
初老の男性が声をかけてきた。
孝子は3歳の息子の章一を後ろに隠すようにして、「何でもありません」と立ち去ろうとする。その様子を見て、男性は名刺を出しながら言った。
「別に咎めるつもりはないよ。俺はこういうもんだ。役場、クーラー効いてて涼しいだろ?息子さんも涼ませてやったらいい」
名刺を受け取り、思わず声が出た。
「町議会議員、立花俊介さん?」
そうは見えなかった。ベージュのズボンに白いシャツ、頭には麦わら帽子で何より長靴を履いている。農家のおじさんと言われた方がしっくりくる格好だった。
「昨日まであった議会で、議場にうっかり携帯を忘れてな」
そう言って折りたたみ携帯を胸ポケットから出す。
「で、お嬢さんは何の用で役場に来たんだ?」
問い詰める雰囲気ではない。世間話の延長のような聞き方だった。だが、孝子にとってこんな場所で身の上話をするのも憚られた。立花はそれを見抜いて言った。
「話にくいなら、ウチに来るか?徒歩2分ぐらいだ。今朝収穫したスイカもあるぞ。食べていけばいい」
♦︎♦︎♦︎
押し切られる形で立花の家にお邪魔する。
章一が美味しそうに冷えたスイカを縁側でかじる。立花の奥さんがグラスに麦茶を持って来て、章一の様子を見てニコニコと笑った。大きな農家で、何代も前からこの土地に住んでいるという。
「ーー旦那さんの家庭内暴力。それでこの町に逃げて来た。と」
孝子の身の上話をまとめるように言った。
「わかった。住民課には俺から言っとくよ。住民票を受理はするが調べられないようにしておく。アンタの場合、状況的に可能なはずだ。それから、そのあとで福祉課に行ってくれ。母子手当てと生活保護も申請するだけ申請してみたらいい。そうすれば子供を見ながらゆっくりと仕事も探せるだろう」
孝子はなんだか実家の父親を思い出した。
大学2期生の時に章一を妊娠した。彼氏だった慎二は実家に挨拶に行った時、殴り飛ばされた。それから大学を中退し、駆け落ちのように結婚した。だが、長引く不況に慎二の仕事が長く続かず、次第に暴力まで振るうようになった。
逃げるしか、なかった。
「墨田課長かね?宮本さんっていう、母子家庭の人が今から行くからよろしく頼む。
ーーうん、そうだ。なんて言ったかな?そう!『ストーカー』だ!旦那がそれにならんとも言えない」
立花が携帯を取り出して電話をしている。議員という職業を初めて間近で見たが、選挙の大事さがわかる。
「仕事が決まるまでの『繋ぎ』でいいんだ、生活保護は。せっかくこの町を選んでくれたのに、困窮して出ていくなんて悲しいじゃないか!」
やがて話がまとまったようで携帯をたたむ。
「話はついた。警察とも連携してくれるらしい。捜索願いを出されても、事情を話して取り継がないようにするってよ」
その言葉に孝子の肩が軽くなる。視界まで明るくなった気がする。
役場に行こうと居間でテレビを見ていた章一を呼びにいく。
しかし。
「章一くん寝ちゃったわ。役場に行くのでしょう?見ててあげるから、行ってらっしゃい」
立花の妻の膝を枕に、章一が大の字で寝ている。出会ったばかりの老夫婦に、そこまでやってもらっていいのかと孝子はしり込みする。
「これも『協会』の方針なの」
「『キョウカイ』?」
「正確には『世界調和協会』よ。わたしも俊介さんも、そこの活動を手伝っているの」
そんな組織もあるんだと孝子は思った。
♦︎♦︎♦︎
「今日は本当にありがとうございます!立花さん夫婦がいなかったら、未だに途方に暮れてたと思います」
役場での各種申請は驚くほどスムーズに進み、就職先が決まるまでの生活保護を受けれる見通しがたった。
「面接の時やあなたの体調が悪い時は、いつでも章一くんを預かるから言ってね」
立花の妻が言った。さらに立花も続ける。
「孝子ちゃん、単刀直入にいう。一度、『世界調和協会』を見てみないか?アンタみたいな者を救うための組織なんだ。幸子、いやウチの嫁が話したって言ってたしな」
今日だけでも、立花夫婦に返しきれない程の恩義を孝子は感じていた。
「話だけなら……まだ、就職先や生活の事でいっぱいだし」
「それでいい。『孤立させない・しない』って言うのが『協会』の理念みたいなもんだ」
眠ったままの章一が、居間で安心しきったように寝返りをうつ。
「表向きは『宗教法人』だ。少し前に東京であんな事があって白い目で見る奴もいるが、人を救うためにカネを集めたら、そこに税金がかかる。だから宗教を名乗ってるってだけだ」
ーー宮本孝子は程なくして、『世界調和協会』へ入る事になる。
♦︎♦︎♦︎
その夜、立花夫婦の家。
「今日はすまなかったな、無理言って」
立花が言った。
立花家の子供部屋だった場所に電動麻雀卓が置かれている。そこに男4人が囲んでいる。
「いえいえ、どうって事はないですよ」
「名刺でも持たせてくれれば、先輩の方こそ電話は不要ですよ」
役場の住民課の課長、墨田徹と福祉課の課長補佐、藤井龍一がそれに応える。
さらに、立花が麻雀牌をツモリながら言う。
「これで『ノルマ』は何とかなった」
藤井が薄ら笑いで言った。
「大変そうですね。『世界調和協会』も」
「馬鹿を言うな。宮本の嬢ちゃんみたいなのがこの町だけで50人はいる。これと宮島さんの病院関係者で、俺は当選ラインを超える。足を向けられんよ」
宮島光太郎はこの地域で1番大きい病院である『笹丘病院』の事務長だった。
「……それにしても、この町で50人として、月2000円の会費だろ?」
宮島が病院の事務長らしく計算を始める。
「12ヶ月、1年で120万だ。それが日本の全市町村になれば3255だから……ざっくり40億弱か……」
「まあ、安いもんだろ、あの親子も助かる訳だし」
宮島の計算結果に、立花が笑いながら言い、四筒を切ったときだった。
「ロン。高め。ピンフ・タンヤオ・三色。満貫」
「先輩!考え事すると、警戒がお留守になるから!」
麻雀は続いていく。




