第123話「狂気」
公安が用意したホテルに入る。事前にチェックインしてあったみたいで、「1201」「1202」と印刷されたカードキーをもらう。
「明日は10時に『蛍光出版』ね」
そう言い残して、田中奈津美警視の運転するSUVは走り去る。
伊都子さんはすぐに寝たいようで、「1202」のカードキーを持ったまま、ロビーの中へと消えていく。
今日は1日、碌に食事をしていない事に気づいたボクはホテルから宮益坂の通りを挟んだ反対側にラーメン屋を見つける。
通りを渡ろうと車が途切れるタイミングを待っている時だった。
黒い高級ワンボックスカーがボクの目の前で止まり、後部のスライドドアが開いた。
――まずい。
そう思った時には遅かった。
内側から伸びてきた手に引きづられ、車内へと引き込まれる。
♦︎♦︎♦︎
「すまなかったね。つい、昔の血が騒いだ」
そう言って笑うのは70歳前後のロマンスグレーの男性だった。車内でも無理矢理逃げようと思えばできたし、今もそうだ。
「いえ、光栄です。山岡幹事長」
それをしないのは、相手が山岡龍馬、与党・自由平和党の幹事長だからだ。今年の1月の内閣発足までは国家公安委員長だった。
(さすがに相手が悪すぎる)
通されたのは看板も出ていない焼肉店だった。個室でロースターを挟んで座っている。
「うちの若いのが迷惑をかけて、すまんな」
そう言って、頭を下げる。
ボクには何の事かわからず困惑する。
「……そうか!すまない。魔法少女は広井夏樹ばかり相手にしてきたから、つい、説明を端折る癖がついてしまった。この件の管理官である奈津美は俺の養子なんだ」
そう言って、山岡幹事長はまた頭を下げた。
ボクの中で一瞬だけ、腰の低いおじいちゃんみたいな印象を抱く。
だがーー
「そうそう、長田洋子が『シークレット・ヘブン』で活動していた頃のスポンサーがわかったよ」
いきなりの核心。
さらに山岡幹事長は続ける。
「『世界調和協会』という宗教団体だ。正確にはその傘下の企業が本拠地だった『汐留インターシティー』をレンタルしていたベンチャーごと買収して使用していたらしい。そこで『君』も魔法少女になったわけだ」
目の前の老人が、急に大きくなったように感じた。
息苦しさを感じる。
まるで使える空気が半分以下に減ったような圧力を受ける。
何も言えないボクにさらに言葉を重ねる。
「今回の件、正直に言って君には荷が勝ちすぎているように思える。君は広井夏樹のリリーフで、広井夏樹ではない」
その言葉を聞いて、ボクは笑った。おもむろに胸ポケットからスマホを出す。
先程撮ったばかりの動画を再生する。
「与党幹事長が、未成年を車内に連れ込んだ……いいスクープですよね?」
そう、咄嗟に録画状態にしたスマホを胸ポケットに入れていた。カメラ部分だけ露出したそれは一部始終を記録していた。
「ふっふっふっ…あははは!」
それを見て山岡幹事長は笑う。
「そうか。その目は『狂気』を宿していたのだな?面白い!認めよう」
「『狂気』?」
ボクの事なのに自覚はない。
「いい例…とするには判断に困るが、長田さんもそうだった。公安時代、情報の伝達を見るために、旅客機を墜落させた事がある」
ボクとは比較にならない……はずだ。
「君は10秒にも満たない時間で、俺を与党幹事長だと判断し、スマホを録画モードにして胸ポケットに入れた。『普通』そんな事はしない。長田側だよ、君も」
ロースターの上は何故か野菜だけが焼かれていて、ピーマンを山岡幹事長は口に入れた。
「今回は広井夏樹がいない以上、君に賭ける。その『狂気』にだ」
山岡幹事長は言いながらも、次々と口に放り込む。野菜が消えていく。
「それから、長田洋子は実践レベルのクローン技術を持っている。だが、長田洋子と瓜二つな個体は作れない。『君の大事なあの子』を見ればわかるだろう?せいぜい中学生ぐらいの年齢が最初の成功例だ」
その言葉にボクは、少しだけ息を吐いた。
それからまもなく、ロースターの野菜がなくなった。
「好きなだけ食べてくれ。支払っておく」
そう締めて山岡幹事長は去っていく。
「……聞こえた?」
さっき出した、録画に使ったのとは別の、もう1つのスマホを取り出す。
『ええ、はっきりと』
通話の相手は田中警視だった。
『お義父さんったら、与党幹事長になっても「公安」なのね』
ため息混じりのその声に、ボクが返す。
「裏取りをお願いしても?」
『もちろんよ。……それにしてもーー』
電話の向こうに少しためらいを感じる。
『少し妬けちゃうわ。お義父さんからあんな風に認められた事、ないもの』
その声は寂しそうに聞こえた。
「田中警視こそ、『向いてない』のかもよ?山岡幹事長は渋谷の真ん中で拉致モドキをやってのけた。
……あの人も『狂気』の側だ」
田中警視は何も返さなかった。
通話の向こうで、沈黙だけが残った。




