第28話「若者の特権 その3」
4年前。東京、ホテルのバー。
広井ゆりあとのやり取りでゴッソリと精神力を使ってしまった俺は、ホテルのバーに逃げこむ。こういう時は酒に限る。
「ハイボールを」
世界ではハイボールは『炭酸割り』とザックリだが、日本ではウイスキーの炭酸割りに限定される。留学していた時の流行が定着しているのは嬉しい限りだった。
日本産のレベルの高いウイスキーの香りを炭酸が口の中で広げていく。
「3日連続、同じホテルなのは感心せんな……」
グラスに口をつけたまま、手が止まる。
(気配が、なかった……)
いつのまにか隣にじいさんが座っていた。
昼間の水田マリといい、この国にはニンジャがいまだにいるらしい。
「じいさん、ボタン返してくれ。このテーラーもうないんだ」
ここで強気に出られるのは広井ゆりあのおかげだった。
(「プラス5点はあなたに接触してくるはずよ」)
「元赤坂の『テーラーしらいし』だな。お父さんからの成人祝い。若造の国では18歳が成人で、直後にお父さんは横領で逮捕、拘束中に死亡した……」
そう言いながらボタンをこちらに滑らせる。
「ありがと、山岡龍馬・自由平和党国会対策委員長さん」
これがあの時の俺に切れる最大のカードだった。
「調子に乗るのはいい。それは若者の特権だ」
「それで俺のような若造に何の用がある?」
仕立てのいいスーツに、ロマンスグレーの髪が特徴的だった。迫力というよりは殺気に近いものを感じる。そして、完全にカンだが、どこか同じ『匂い』がする。
「礼を言おうと思ってな。公安・CIF・7MI……他にもいるが、それらが調べても辿り着けなかった解答を若造は掘り当てた。これで広井ゆりあを潰せる」
「失敗したよ。ドヤ顔で乗り込んで。だからヤケ酒飲んでる」
シラを切る。この山岡という男は世界と繋がっている。勝ち目は限りなく低い。
「だが、『物理的に不可能』なんだろう?」
「『関空』ではな。『関西には伊丹も神戸もある。』そう言われたよ」
そこで山岡はグラスを傾ける。
「もうすぐこの国に『魔女』が誕生する。それを阻止したかった。我が党は……もう彼女のものだ」
山岡は同じ酒を不味そうに飲んでいる。
「俺のような若造がアドバイスするのも違うと思うが、広井ゆりあは理性的に感じたが?」
その言葉に山岡はフッと笑って酒をあおる。
「先を恐れずにいられるのも、若者の特権か……。広井ゆりあはもうすぐ『佐藤』ゆりあになる」
「それは知っている。『佐藤優策』元総理の『佐藤家』の養女になるって話だったはずだ」
「そうだ」
山岡の表情から何か言いたげなのは伝わる。
だが、今日この場で会った俺には、それが何を意味するかわからなかった。
「……あの女はそれを『贄』と言い放った」
グラスの氷が小さく鳴る。
「我が党に150億の選挙資金。名門の看板。全部まとめて差し出してきた」
山岡は酒を不味そうに飲み込む。
「……それでも足りん」
わずかに笑う。
「もう、この国はあの女のものだ」
その後は潰れるまで2人で飲んだのを覚えている。
♦︎♦︎♦︎
翌日、俺はルマニアに帰国した。
『魔法』が絡む案件だったので、『ノートルダム』のエージェントに報告した。エージェントは難しい顔をしながら「上に報告して判断を仰ぐ」と言った。そうだろうと思う。
翌週、そのエージェントに呼び出されて指定の場所に行くと、『美の国』の外務系官僚がいた。
「ユーリ君。単刀直入に言う、選挙に出ないか?」
そんな誘いだった。軍政も15年、クーデターを起こしたラディー将軍が病死し、2年が経つ。『美の国』はそろそろ民政移管を考えているらしい。立憲君主制の時代、俺の父は議長だった。当時の王族が横領の罪を着せ、獄中死した。クーデターでそれが暴かれ、俺の父は『悲運の人』となった。
連中はそこに目をつけたらしい。
俺の意思なんて関係なく、出馬は決まっていた。聞いていないのが、議員ではなく大統領選。さらに、対立候補はいなかった。
信任投票を経て、新生ルマニア共和国の初代大統領に俺はなってしまった。
そして、それは起こった。
「ルマニア共和国の『真の独立』を支持する」
『美の国』の発表と共に、財務省はルマニアの外貨準備金100億ユーロを返還。
国民も俺も歓喜した。だが、それも1ヶ月すれば変わる。
旧軍政時代の国債のツケが回ってきて、100億ユーロは溶けていく。
ルピアはたちまち防衛ラインを失い、崩壊した。
店頭の値札が、朝と夜で変わる。
給料袋の厚みが、翌日には紙くずになる。
そして——
俺が大統領になって、まだ3週間だった。




