第20話「魔女」
人民の国、首都・京北特別市。人民労働党本部、書記長室。
「行ったか?」
周コンペイ首席の短い質問に張リャンシャンはすぐに答えた。
「はい。正面玄関にて転移していきました」
張がルマニア国・ユーリ大統領と岸川梓大統領補佐官を送った間に、書記長室には1人の男性が増えている。
馬キントン首相。周首席とは同期でプライベートでもゴルフを楽しむ間柄だと聞いた事がある。
周首席は窓の脇にある、ワインセラーから1本のワインを取り出した。
「この前の外遊で『連合王国』、エリザード3世陛下より賜ったワインだ。1人で飲むのも侘しいと取っておいた」
「せっかくだ、いただこう」
「光栄です!」
周首席のワイン好きは有名で全人代の時などこの部屋はワインでいっぱいになると張は聞いた事があった。周首席は噂に違わず、慣れた手つきでコルクを抜き、グラス3つに均等に注いだ。
乾杯はせずに2人が口をつけたので、張もグラスを傾ける。それは今までのワインの価値観を塗り替えるようなうまいワインだった。熟成した香りの中にカシスのような果実味が残り、もう一口欲しくなる。
だが、2人はあまり良い顔をしていない。
「渋いですな」
「ああ、苦い」
「なぜですか?」と聞きたい衝動を張は抑える。そんな時に馬首相が口を開いた。
「それで首尾は?」
「完敗だ。あの女狐め。抜け抜けとネオジムの精錬と鉄道の建設を条件に出された。港の使用権付きでだ」
周首席は抑揚を抑えた声で言う。
ワイングラスを回しながら、馬首相が応じた。
「それは『物理的不可侵条約』ですな」
その言葉に張は衝撃を受ける。
意味が繋がった気がした。
つまり、我が『人民の国』は海上輸送の大半をモルック海峡経由で行われる。鉄道はこの海峡を通らずにすむルートになり、完成した瞬間、大動脈となる。そこに侵略するのはその大動脈を自ら切るに等しい。
「いや、『物理的不可侵条約』すら、あの魔女は利用したのだ」
張がやっと理解したと思った構造すら、梓には利用手段だと言う。一体、あの女と周首席には何が見えているのだろう。
そんな事を考えていた張に質問が飛ぶ。
「張、ルマニアの工作員とは連絡可能か?」
「いえ、あれ以来連絡不能です。スマホのGPSも探知不可能です」
「そうか。馬、頼んでおいた件は?」
「BBCの記者もやはり『魔法』が使われた形跡がある。生放送の事を覚えていないらしい」
張はその事実に先程とは違う衝撃を受ける。
「つまりだ。侵攻のタイミングすら、あの魔女の思うままだった訳だ」
周首席はそう結論付ける。
「だから、あの地点で待ち伏せできた訳だ。そして戦闘時間は僅か30分足らず」
喉を通るワインが。先程より粘度が増したように喉に絡みつく、思わず唾を飲み込む。
「張、我々が勝利した場合、どうした?」
「それは北部3鉱山の独占と港までの鉄道や道路の整備ですね」
張もうっすらと周首席の言葉の意味が見えてきた。
「つまりだ。我々は『敗北』したにも関わらず、『勝利』したように世界から見えてしまう訳だ」
「ルマニアは小国過ぎて各国はエージェントや工作員を置いていないのでそう見えるでしょうな。おかげで、我が国の面子は保たれた」
馬首相の話を聞きながら、張はワインの味が変わったのを感じる。確かに渋いし、苦い。
「だから『贄』と言ったのだ。多分、あの国が黙っていまい。まさかこちらから『我が国は敗北しました』と宣言する訳にはいかない。現状、取れる手段はあの魔女に乗るしか選択肢がない」
酔いが回ったのか周首席がいつもより雄弁になる。それは傍らに馬首相がいるせいかもしれない。
「張よ。貴様をルマニアに送るのは左遷ではない。世界にはあの『魔女』よりも恐ろしい『魔女』がいる」
周首席は空になったグラスにドクドクとワインを注ぐ。
「『ファシストの国』を相手に、最後まで戦い続けた『女王』エリザード。2009年、『歴史の国』の通貨危機をしなやかに乗り越えた『鉄の女』ことユンゲラ=メルケン。『北の大国』相手に一歩も引かない『ガスの魔女』マリア=ティモシェンコ……」
そこで周首席は一拍置く。
「そして、隣国・日本には『永田町の魔女』こと佐藤ゆりあ。対して我が国は『ミス・パープル』以来魔女はいない。だから、今度は育てる事にした。『魔法少女』を。」
『ミス・パープル』こと紅青。この国で『文化革命』を起こし、大量の粛正者を出した魔女。あれ以来、『魔法』は我が国のタブーに近かった。
「張よ、ユーリに学べ!奴は完全ではないがあの魔女の手綱を握っている。その方法をだ!だが気をつけろ。あの魔女はまだ青い、考えがすぐに顔に出る。だからユーリは『面』と言ったのだ!そんなところも父親に似て食えない!」
そう言うと周首席は机に突っ伏し眠ってしまった。
「酒に弱いと思ったかね?」
馬首相が張に問う。
「いえ、年齢を考えれば当然かと……」
「ふふ、上手い逃げ方だ。不器用な男でな、こうしないと素直に自分の意見が言えんのだ」
その言葉に張は黙ってうなづいた。




