第19話「贄」
ピエールは目の前で起こった事が信じられなかった。
『人民の国』の1旅団が30分足らずで戦闘継続不能に追い込まれたのだから。
最新鋭戦車は砲塔だけを残して地面に埋まり、ドローンは次々と墜落し、5000人はいる歩兵が誰1人として立ち上がれない。
ここは戦場ではないのかもしれない。
なぜならーー
死者が1名もいないのだから。
その中心に、黒い少女がベールを揺らして立っている。
♦︎♦︎♦︎
30分前。
梓が戦場に1人で立つ。
手には1台の無線機。
「『人民の国』の皆様。パスポートはお持ちですか?」
国際チャンネルで呼びかける。
「目的は観光ですか?商用でしょうか?」
当然ながら応答はない。
「では、侵略と見做して、迎撃します」
砂埃をあげて戦車が迫る。
だが。
「『ワープ』!」
その呪文で先頭の10台の戦車が地面に沈んだ。
今度はけたたましいローター音と共に、ドローンが迫る。
「『ワープ』!」
今度は地面に手をついて、まるで祈っているようだった。
それだけでドローンが全て墜落していく。
落ちたドローンに目をやると、ドローンに小石がめり込んでいる。まるで中から撃ち抜かれたように。
最後は歩兵。梓が言った『贄』という言葉を思い出す。
「『ワープ』!」
兵士達は10m程上空に飛ばされる。そしてなす術なく落下、全員が負傷した。
現在は負傷した兵士達を戦車から出てきた兵士達がトラックに乗せ、撤退している。
「聖女だ」
誰かが言った。
否定する要素がどこにもないとピエールは思う。
等間隔に並んだ戦車の砲塔に、ひれ伏したような兵士達。
まるで1枚の宗教画のような光景に朝日がさす。
2000人の兵士の誰もがそれを目撃し、だが勝利の実感もなく、ただ儀式のようにそれを見ていた。
そんなこちらの様子など意に介さず、梓は無線で言う。
「ピエール中将。撤退を見守ってください。何かあればすぐに連絡を。文字通り飛んできます」
「はっ!」
ピエールは敬礼で応える。
♦︎♦︎♦︎
6時間後。
人民の国、首都・京北特別市。人民労働党本部、書記長室。
張リャンシャンが転がるように書記長室に駆け込む。
「遅かったわね。張リャンシャン。はじめまして、ルマニア共和国・大統領補佐官の岸本梓よ」
梓がニコリと笑っていう。
張はその若さに驚く。
「俺は紹介の必要ないかもしれないが、ルマニア共和国・大統領のユーリ=シトロエンだ」
やや褐色が濃い肌に青い目。資料にあった通りの人物。
「あなたが来るまでに、周首席は100回死んでるわ。
それとも全人代を100人でもいいけど?」
それでも笑顔を崩さない。そしてそれが可能だと、6時間前のルマニアで、たった今の書記長室で証明している。
「……魔女め!」
思わず張がつぶやく。
「まあいいわ。それにここには交渉しに来たのだし」
張の事などなかったように、今度は周首席に梓は言う。
「それで戦争に負けた訳だし、こっちの言い分を通してもらっていいかしら?」
「できる限り、善処しよう」
「さすが、一流国の首席ね。できない事なんてほとんどないに等しいのに」
周首席はいつも通りに張からは見える。
どんな時にも冷静、冷徹さが今日は頼もしく見える。
「要求は2つ。まず1つ目は我がルマニア国で産出された鉱石の精錬をお願いします。『ルンダオ』・『スルード』・『モーム』3鉱山全てです。ただそのうち『ルンダオ』で産出されたものは精錬代として受け取ってください」
案外、まともな条件だと張は思う。元来、3鉱山全てを手に入れるつもりだったのだから、精錬能力的にも可能な条件だった。
「いいだろう」
短く一言で周首席は認めた。
問題は次だと張の直感が告げる。先程は長期的国益。だとすれば、不可侵条約あたりだろうか?
「2つ目」
そこで梓は出されていたお茶に口をつける。
「1億ドル。これで鉄道を作る」
なるほど国家インフラか。上手い策だと張は思う。
「北東部のルンダオから南西部のミーチェ港まで、地図上に定規でまっすぐ引いたみたいに」
梓は淡々と条件を告げていく。
「そうすれば首都、ルピアールの隅を通る。複線で。完成後10年は単線分の使用権をレンタルしてあげる。通行関税1%。ついでにミーチェ港の30%の使用権もつけるわ」
「なぜだ?我が『人民の国』に使用権を与える必要性がないだろう?」
思わず張が口にした。
「わからんか?」
それに答えたのは周首席だった。
張はゆっくりと首を縦に振る。
「合理的理由が見つかりません」
「ならば黙れ!無知なのはいい。学べば良いからだ。だが即座に相手に問うのは違う!そこで一服盛られたらどうなる?」
周首席が初めて語気を強めた。
そして張は言われた通りに黙る。
「すまない、内輪で失礼した」
ユーリ大統領と梓に頭を下げる。
「先程の条件、これは『贄』だな」
梓がそこで吹き出すように笑った。
横のユーリ大統領が梓に驚く。
「ふふ……そうですね」
笑ったまま梓が答える。
「ならば、ここにいる張を連れて行け。『らしく』見えるだろう?」
周首席の提案に梓が驚く。まるで考えもしていなかった『別解』を出されたように。
「ありがとうございます」
「聞いての通りだ。張、彼らの下につけ」
周首席の一言で張の行先が決まった。
「ただし、1週間後でお願いします。周首席の好意はありがたいですが、デスクの用意や住むところなど、こちらにも準備が必要ですから」
「了解した。そしてユーリ大統領、有能で厄介な右腕を得ましたな」
初めて周首席はユーリ大統領に話しかけた。
「お言葉ですが周首席、その認識は誤りです。我がルマニアにとって、私は『お面』。アズサがいなければ、貴国の『ルマニア省』とか『ルマニア自治区』になっていたでしょう」
その言い分に周首席が笑う。
「その一言だけで、父上とよく似た有能な人物だとわかる。アレク=シトロエン。15年前の議会議長であなたの父上。彼も議会議長など国家の『面』だと形容していた」
「父と交流が?」
「一議員だった時代から知っている。ユーリ大統領、君が赤ん坊の頃にホテルもなかったルマニアで、アレク殿の家に泊まった事もある」
周首席の意外な思い出話に周囲はすっかり聞き入ってしまった。




