第14話「軽部寧々」
5年前11月、長野県塩尻市ーー軽部ぶどう農園。
「寧々、このコンテナを軽トラに積んだら、こっちはいいから母さんの方を手伝ってくれ。そろそろ観光バスが到着する時間だ!」
軽部正夫はこの軽部ぶどう農園の主人であり、寧々の父親であった。農家らしいがっちりとした体格で長野の11月だというのに、上半身はTシャツ1枚の格好だった。
「わかってる。お父さん!コンテナにぶどう入れすぎ!潰れちゃうじゃん!」
寧々と呼ばれた少女は14歳。本来なら中学2年生のはずだ。すらりと伸びた手足のどこにそんな力があるのか、30キロ近い重さのコンテナを軽トラへ次々に運んでいく。
(これで学校に行ってくれればな……)
正夫はそう思わずにはいられない。突然、『私は農家になるの。学校なんて行かなくていい!』と言い出した。
「じゃ、トイレにいって、お母さんの方を手伝うね」
寧々はそう言って駆け出す。その指にキラリと光るものがあった。学校に行かなくなる直前に柵の修理で偶然、農園で拾った指輪だった。
「寧々!助かったわ!予定よりバス1台多くて!連絡のFAXが用紙切れでさっき見たのよ!」
母親である桂子が言った。
確かに母親1人では手に余る人数だった。
幸い、観光バスなので支払いは観光会社が後で払ってくれる。
「1号車の方〜!こちらでハサミの貸し出しを行います!」
大きな声で寧々が言った。
(トイレに行きたい。けど、これくらいなら大丈夫)
「こちらのハサミでお好きなぶどうを収穫してください。この袋に入るなら、何房でもOKです」
そう説明して、次のバスに移る。
♦︎♦︎♦︎
「ごめんね、寧々……お母さん、あなたに頼り過ぎてたみたい」
桂子が寧々にそう謝った。
寧々の足元には水たまりが広がる。間に合わなかったのだ。
泣きながら寧々は着替えもせずに自室の内側から鍵をかけた。実は学校へ行かない理由はこれだった。
(私の身体、どうしちゃったんだろう?)
誰にもバレていないが、授業中や帰り道などで寧々は半年程前から失敗していた。だから、いつでもトイレに行ける家を選んだのだ。
夕方。
「寧々、昼間の事、お母さんから聞いた。農園の事で話があるんだ」
鍵の解除音の後、少しして寧々が出てきた。
リビングのテーブルに3人が集まる。
「実は、父さんの作ったワインなんだが、『三つ葉商事』との独占契約が決まった」
「?」
寧々にはなんの事かわからない。
「父さんは辛口にこだわって赤ワインを作ってきた。ビールも日本酒も日本人は辛口にこだわる傾向がある。ワインだけが飲みやすくと甘口なのはおかしいと思ってな!」
正夫が鼻息荒く説明する。
「それが『三つ葉商事』の人に刺さったらしい!『求めてたワインだ!』って褒めてくれたよ。『三つ葉商事』は知ってるか?」
「『総合商社』って聞いた事があるぐらい…」
「大手コンビニの『ファミリー・イレブン』をやっているのも『三つ葉商事』だ。取引量が多くなれば、観光農園なんてしなくてもワイン一本でやっていける!」
夢のような話だった。全国のコンビニとか酒店にウチのワインが並ぶのを3人がそれぞれにイメージする。
「今日は前祝いだ!母さん、寧々にも少しならいいだろ?」
「はぁ〜……、わかったわ一口だけよ」
「「「乾杯」」」
この日が軽部ぶどう農園の1番幸せな日だった。
♦︎♦︎♦︎
「すまない寧々、こうするしかないんだ」
正夫の手が寧々の首にかかる。
「父さんもすぐにいくから!」
一段と力が強くなる。
寧々の視界が暗くなる。
その時、頭の中に父の声がよぎる。
『三つ葉商事は契約書に基づいて行動しており──』
『契約を解除する場合、違約金が発生いたします』
妙に丁寧な担当者の声。
正夫のワインはすべて買い上げられた。
作っても作っても、すべて。
だが市販は一向にされなかった。
三つ葉商事が卸していたのは──
大手牛丼チェーン。
正夫のワインは、そこで「隠し味」として使われていた。
寧々は苦しさに耐えかねて、父親の腕を掴む。その指に古い指輪が光った。寧々と正夫、両方を照らすような明るさでーー。
一瞬、世界が白く反転した。
次の瞬間、なぜか寧々はぶどう畑にいた。
じわりと寧々は自身の太ももが濡れているのに気づく。恐怖からか、はたまた身体のせいか、わからないしどうでもよかった。
自宅に走って戻る。
正夫も桂子もピクリとも動かなかった。
♦︎♦︎♦︎
「軽部寧々さん、ね?」
自分よりも幼く見える2人組がやってきた。
「名乗る前に自己紹介って、小学校では習わないの?」
「フッフッ。これは失礼。わたしは明王義塾学園理事長、広井ゆりあ。そして、こっちが事務長の水田マリ」
事件から2日。児童相談所に保護された寧々はおかしいと思った。有名な学校の理事長が自分に会いに来ることも、それを公的機関の児童相談所が認めていることもだ。
「あなたには『魔法少女』の素質がある」
「小学生の学芸会の練習は他でやってくれない?」
「ではこれだけ言って」
そう言ってメモ書きを渡す。
「1m上に『ワープ』!これでいい?」
次の瞬間、言われた通りの事が起こった。
寧々の身体が1m上に転移した。
「……」
信じられないと、寧々は目の届く範囲で自分を見つめる。
「事実よ。受け入れるのは後からでいい。わたしの話を聞く気になったかしら?」
ゆりあのその笑顔になぜか大人としての色気が混じる。寧々は受け入れると決めた。
「まず、その指輪。どこで拾ったの?」
「自宅の畑の柵を修理してる時、半年以上前で細かい時間は覚えてない」
その言葉に傍らにいた、水田マリと呼ばれた女性がゆりあにタブレットを見せる。
「なるほどね。あなたの土地の畑、歴史的に面白いわ。あの土地で50年前、連帯赤軍の指導者が捕まっている。あなたが見つけたのはその『落とし物』ね」
その後も会話は続いていく。
「それで、魔法少女で活動するには、名前の変更が必要なの。その名前でマイナンバーカードや保険証も作るわ。戸籍ごとね。万が一もとの知り合いにあっても別人だった思わせるために」
その言葉に寧々は即答する。
「岸本梓で!」
ゆりあとマリは顔を見合わせる。
「理由を聞いてもいいかしら?」
「岸本梓は中学校の養護教諭の名前。さっき聞いたけど、おむつが必要になる程、悪化していくのでしょう?少しでも優しい人間になれるようにね。1度だけ学校で失敗した時助けてくれたの。それとワインからしばらく離れたい」
ここでも2人ともピンときてないようだ。
「ワインの原料のぶどうの品種の名前なのよ。正確にはそれをもじって名付けてる」
こうして軽部寧々は岸本梓となった。




