第2話「首都ルピアール」
関西空港からシンガポールで乗り換え、2時間。
ルマニア共和国、ルピアール・ヌーヴォー国際空港。
「旧『美の国』の植民地だっけ?」
「そうだよ。第二次大戦後、元宗主国『美の国』と独立戦争して独立したのが『ルマニア共和国』ってWikipediaで説明されてた」
コンベアからキャリーケースを探しながら梓が答える。
入国審査は驚くほど簡素だった。日本という国はそれだけ『信用』されているという事だろう。
梓は持っていた紙幣を両替しようとしてやめた。
『1ドル=400,000,000ルピア』
しかも横の売店の価格はこの国の通貨であるルピア表記とは別に『ドル』『人民元』の記載があるから、ドルがあれば『使える』という事だろう。
水のペットボトルを2本買う。
0.8ドルを1ドル紙幣で払う。
店員は慣れた手つきでレジを打ち、引き出しを開けた。
戻ってきたのは、分厚い紙の束がふたつ。
「お釣り」
ルピアだ。
梓はそれを受け取る。
軽い。
紙は新品のようにパリパリで、まだインクの匂いがする。
「……これ、いくら分?」
「計算しても意味ないよ」
沙織が言う。
「明日には変わる」
梓は札束をキャリーケースのポケットに押し込む。
財布に入れるという発想は、もうなかった。
タクシーで市内中心部へ。
空港を出た瞬間、熱気がまとわりつく。
道路脇には未完成の高層ビルが並んでいる。
ガラスは入っていない。
骨組みだけが空に突き刺さっている。
側面には巨大な看板。
『人民建設集団』
「……あからさまだね」
「資本は入ってる。でも完成しない」
信号は壊れたまま。
交差点には銃を持った兵士が立っている。
タクシーの運転手がバックミラー越しに言う。
「チップ込みで10ドルでどう?」
「地の果てでも行くよ!」
どうやら、破格の提示だったらしい。
沙織がポツリと言う。
「どうやら3日分の売り上げ額らしいよ」
運転手は笑っていない。
「ドルは、神様だ」
タクシーは中心部へ入る。
通りは妙に整っている。
街路樹は剪定され、歩道は清掃されている。
さっきの未完成ビル群とは明らかに空気が違う。
車は白い外壁のホテル前で止まった。
『HOTEL BEL ÉTOILE』
『美の国』語だ。
「完全に旧宗主国趣味だね」
「支払いはドルのみ、だって」
フロントは冷房が効きすぎている。
大理石の床。笑顔のスタッフ。
英語は流暢。
「2泊で240ドルです」
高い。
この国の平均月収を考えれば異常だ。
梓はカードで払う。端末は最新型。
Wi-Fiは高速。
エレベーターの中で沙織が言う。
「ここは『別の国』だね」
「うん。通貨も、空気も」
部屋の窓から見えるのは整備された大通り。
しかし一本裏は、暗い。
夜。
ホテルの外に出る。
徒歩15分。
匂いが変わる。
舗装が荒れ、街灯が減る。
発電機の唸る音がする。
市場だ。
屋台が連なる。
肉、魚、野菜。
そして大量の紙幣。
値札はルピアではない。
『人民元のみ』
『ドル紙幣使えます』
『ルピア決済不可』
梓が野菜を指差す。
「これいくら?」
「12元」
市場の奥。
煙が立ち上る簡易食堂。
プラスチック椅子。
鉄板で焼かれる肉。
スープの匂い。
梓が指をさす。
「ここ、安いね」
値段は『15元』
2人は座る。
出てきたのはスパイスの効いた肉と米。
普通に美味しい。
梓がドル札を出す。
店主が首を振る。
「元だけだ」
「カードは?」
「停電中だ」
沙織が小声で言う。
「発電機、動いてるけど?」
店主は決済端末を見せる。
「故障中だ。修理代もない」
梓はキャリーケースから空港でもらったルピア束を出す。
店主はそれを一瞥し、鼻で笑う。
「紙くずだ」
空気が少し張る。
その時。
「彼女たちの分は私が払おう」
低い声。
振り返ると、くたびれたシャツ姿の中年男性。髭は整っている。目は鋭い。
彼はポケットから人民元を出し、無造作に置く。
店主は何も言わず受け取った。
梓が立ち上がる。
「ありがとうございます。後でお返しします」
「ドルなら要らない。ここでは嫌われる」
男は座ったまま言う。
「観光か?」
「実はスーツケースがこちら行きの飛行機に乗ってしまって、取り返しに……」
梓が取り繕った嘘を言う。
この国に観光客など少ないだろう。
まして日本人観光客などは。
沙織がじっと男を見る。
数秒。
梓はその沈黙に気づく。
「……どうしたの?」
「この人、軍人」
男が少し笑う。
「元、だ」
梓が目を細める。
「階級は?」
「大佐」
一瞬、周囲の喧騒が遠のく。
男はスープを一口飲み、淡々と続ける。
「君たち、日本人だな」
「なぜわかるの?」
「目だ」
沙織が言う。
「あなたは軍人だけど、軍だけじゃない」
男は今度ははっきりと笑った。
「よく見ている」
彼は立ち上がる。
「俺はユーリ=シトロエン」
梓の動きが止まる。
資料の最初のページ。
国家元首の名前。
ユーリ=シトロエン。
「……大統領?」
市場の喧騒は何も変わらない。
だが空気だけが変わる。
男は肩をすくめる。
「肩書きは飾りだ。この国ではな」
沙織が言う。
「あなた、ここで何してるの?」
「国を見るには、上からでは見えない」
彼は市場を一瞥する。
「君たちは何を見に来た?」
梓は一瞬迷う。
嘘は通じない。
沙織がいる。
「国を買いに」
ユーリの目が細くなる。
「面白い冗談だ」
「本気です」
沈黙。
発電機の音。
遠くで人民元を数える音。
ユーリは言う。
「ならば明日、官邸に来い」
ポケットから紙切れを出す。
直筆の住所。
「この国を救うと言うなら、まず『敵』を知れ」
男は背を向け、雑踏の中へ消えた。
梓が小さく言う。
「……いきなり最終ボス出てきたね」
「うん」
沙織は静かに呟く。
「この人、悪人じゃない。でも——」
「この国の『原因』の一部」
市場の灯りが瞬く。




