エピローグ
神殿の大扉を押し開けると、外の光が目に刺さった。
そして深月の目に入ってきたのは人、人、人。石畳の広場を埋め尽くし、大通りの果てまで見渡す限りの人だかり。国中の人間が残らず集まったのではと思うほどの群衆がそこにいた。
誰もがこの神殿を見つめていた。避難もせず祈り続けたままずっと。
その最前列にノエルの姿を認めた瞬間。
波が引くように、群衆が膝をついた。数万の頭がいっせいに垂れる。衣擦れの音だけが広場をさざめいて渡っていった。
「……うわ」
深月は思わず後ずさった。この光景の中心に立つことは耐えられなかった。
「で、勝ったのかい?」
その空気をぶち壊す、けだるい声。
振り返ればアーザードがキセルをふかして笑っていた。この人は本当にぶれない。
「ほら、ノエル。お前から言った方がいいだろ」
深月はノエルの背中を軽く叩き、前へ押し出した。
白い衣の裾を翻し、ノエルが階段の上へ進み出る。
その姿を見上げ広場が静まり返る。
「聞きなさい、我が愛しき民たちよ」
凛と澄んだ声が広場の隅々まで通った。
「神話の時代より、この地の底に封じられていた悪魔ナラシンハ。……その名は今日この日をもって、この世から永久に失われました」
ざわり、と空気が揺れた。
「封印ではありません。二度と目覚めることのない、完全なる滅び。悪魔は滅びたのです」
――うおおおおおっ!!
地を揺るがす歓声が爆発した。抱き合う者。泣き崩れる者。天を仰いで神の名を叫ぶ者。二万年この国の底に眠り続けた恐怖が、消え去ったのだ。
ノエルは片手を掲げ、みんなを制する。
「これよりこの地を蝕んでいた災いは絶えます。狂わされていた獣たちは正気を取り戻し、あるべき縄張りへと還るでしょう。……もうあなたたちが夜に怯える必要はありません」
再びの歓声。
「そして、これは私一人の功績ではありません」
ノエルが傍らを振り返る。
「ここにいる神の御使い、緒方深月。そして深月が率いた僕たち。この者たちこそが我が国を救ったのです!」
群衆の視線が、いっせいに深月へ注がれた。
「うぇっ!?」
ノエルに任せて傍観していた深月は驚く。
「あなたたちの祈りも確かに届いていました。逃げもせず、この神殿の前で膝を折り続けたあなたたちの声が。私を、そして彼らを確かに支えたのです。だから胸を張りなさい。これはこの国に生きる全ての者の勝利です」
その言葉に広場が沸き立ち、群衆の間から嗚咽が漏れた。
「バステトさまーっ!」「御使いさまーっ!」「深月さまーっ!」
自分の名が数万の声で叫ばれている。
深月は真っ赤になって、その場で縮こまった。
「……いや、ちょっとっ、ボクなんて何にもしてないのに恥ずかしすぎる」
「なんの。深月様がナラシンハの権能を破り、ここに居れたからこそ、我らが力を振るえるのです。この喝采を受けるのは当然のこと」
レーベが腕を組み満足げに胸を張る。アイリスもネルも倉木もみな、我がことのように誇らしげだった。自分たちの主が讃えられる。それがこの仲間たちにとっては何よりの報酬らしい。
そしてそう思ってくれていることが、深月にとっては情けなくも幸せなことに間違いない。
「そして」
ノエルが声を張った。
「これよりラシュダールは災いなき国となります。痩せた大地には実りを。乾いた大地には水を。これまで封印へ注いでいた我が力、今日からはあなたたちのために使いましょう。この国は栄えます。永きにわたり豊かに健やかに。それをこの私が約束します」
万雷の歓声。
深月も素直に感心していた。さすが長いことこの国の守護神をやってるだけあって、演説が堂に入っている。あの嘘泣きしたり抱きついてきたりする駄猫と同一人物とは思えない。
「――――ここに宣言します!」
ノエルが高らかに両腕を広げた。
「これから私は御使い深月と二人、力を合わせ。この国を、永久に続く楽園とすることを!」
「はぇっ!?」
深月の絶叫は爆発した歓声に綺麗さっぱりかき消された。
バステトさまばんざーい。深月さまばんざーい。
なんてみんなすっかり乗り気だ。
「いやいやいやっ、待て待て待てっ! 何言ってんだお前!」
「そして!」
ノエルは深月を無視して止まらない。
「私と深月が仲睦まじく寄り添う姿を、この広場に像として建てなさい!」
「アホかーーっ!!」
深月はノエルの胸ぐらを掴み、前後に激しく揺さぶっていく。
そんな恥ずかしいもの建てさせるわけないだろ。
「貴様は今回足を引っ張っただけだろうが! 像を建てるなら深月様と私のラブシーンにしろ! 舌も入れろ!」
「いいえっ! ここはケンタウロスである私に跨がり、凛々しくポーズを取る深月様の勇姿にすべきです!」
「銅像イイナ! スゴクイイ! ネルモ銅像建テテ欲シイ!」
「まってまって! 深月ちゃんはツンデレなんだから、そんないちゃつく銅像は解釈違い! そもそも深月ちゃんは私のだし!」
「誰も何も建てんな、っつって言ってんだろ!! なんでお前らはいちいちボクの銅像を建てようとするんだ!!」
お祭り騒ぎの群衆をよそに、階段の上で繰り広げられる醜い言い争い。深月は頭を抱えた。
「まあまあ、皆さん」
そこへアレンが苦笑いしながら穏やかに仲裁へ入ってくれる。
「とりあえず一度帰りましょう。ギルド本部への報告もありますし」
「そうだ! だいたいボクたちはこれからもXランクを目指してクエストを受けなきゃならねーんだぞ。この国にずっと居るみたいなこと言ってどうすんだよ」
こんな大勢の前であんな世迷い言。どうやって撤回させようか。
このままでは本当に銅像が出来てしまう。
「……――――全ての条件は整ったにゃ」
「ん? なんか言ったか?」
辛うじて聞き取れるかどうかの音量で、ノエルがぼそりと呟いた。
「とーーーぅっ!!」
「ぎゃーーーーっ!?」
深月の身体が宙に浮いた。
気がつけばノエルの小脇に抱えられ、そのまま神殿の中へ、猛烈な勢いで跳んでいく。
「にゃーーーはっはっはっ! この時を待っていたにゃーっ!!」
「血迷ったかノエルーーっ!!」
レーベを先頭に仲間たちが慌てて追いかける。
「民たちにも神官たちにも、深月が御使いさまだという認知が完全に行き渡ったにゃ!」
深月を抱えたままノエルは神殿の回廊を疾走する。
「ナラシンハの封印に注いでいた魔力はそっくり手元に戻ったにゃ! つまり今のにゃーは全盛期の力を取り戻しているのにゃーっ!」
「ぐ、ゆ、揺らすな……気持ち悪い……」
高速で上下に揺すられ続け、深月の顔は青を通り越して白い。
「貴様、やはり今まで猫を被っていたな!!」
背後からレーベの怒号が飛んでくる。
「何が長い時間で変わるものだ! 待てクソ猫ーっ!!」
「ノエル、待ちなさい! これからのクエストはどうするつもりなんですか!?」
「深月ヲ返セー!」
「返さないとお仕置きするよー?」
「知らないにゃ!」
ノエルは深月を抱えたままけらけらと笑う。
「にゃーはもう何万年も働いたにゃ! これからは深月とずっと引きこもって、遊んで暮らすのにゃーっ!」
「そんな事許すわけないだろう! 少々お灸が必要なようだ。――なっ!」
追いついたレーベの拳が真横から叩き込まれる。
だがその一撃は透明な障壁に阻まれた。
「甘いにゃ!」
「悪あがきをっ! 魔力による障壁など私には意味を持たんと忘れたか!」
レーベの右腕が、グラトニードア、あの巨大な顎へと変わりノエルの魔力障壁へと迫る。
「そう来ると思ったにゃ!」
ノエルは足を止め懐から最後に残っていた宝玉を取り出し砕いた。
――『金猫聖域』
黄金の光が深月とノエルを包み込む。
牙がその光へ食らいつこうとして、届く手前で、ぴたりと止まった。
「なに!?」
「レーベが私の結界を破ったなんて何年前の話にゃ?」
ノエルは実にいい笑顔で振り返る。
「操られている時ならいざ知らず。当然、レーベ用の対策くらい考えているに決まっているにゃー! 食い破られるのなら、斥力を使ってそもそも届かせなければいいのにゃ!」
にゃーはっはっ、と悪そうな笑顔で高笑い。全力の煽りである。
お前、ナラシンハとの戦いでちゃんと本気出してたんだろうな!?
深月の喉まで出かかった抗議は、せり上がってくる酸っぱいものの為に出なかった。
「またぞろ鬱陶しい真似を……!」
「バカノエルー! こないだまたたびあげたのに!」
「深月独占、ダメ! 絶対!」
「ちょっとイタズラが過ぎるかなー。お姉さん怒っちゃうぞ」
「何とでも言えばいいにゃ!」
ノエルの深月を抱える腕に力を込もる。
「深月との幸せラブらぶ生活は誰にも奪わせないにゃ!」
「……どうやら本気で痛い目を見ねばわからんようだな」
レーベの周囲に神気が吹き荒れ始めた。ノエルもまた、魔力を練り上げる。神殿がみしりと軋んだ。
このままではせっかく守った神殿が消し飛ぶ。
「……おい、ノエル」
吐き気がわずかに収まった深月がノエルの小脇から抜け出し、静かに声を絞り出す。
そして両手で猫耳頭をがっしりと掴み。
「え。そんにゃ、ダメにゃよ……。みんな見てるにゃ……」
なぜか頬を染めるノエル。
「でも深月が望むなら。にゃーはいつでも、どこでだって応えるにゃ」
うっとりと目を閉じ、唇を突き出す。むちゅー、と。
こいつら全員似たような反応するよな。バカめ。
深月はその頭をしっかりと固定した。魔力で身体能力を底上げし、上体を大きく反らして、渾身の力を溜める。
「バカ猫ーーーーッッ!!」
深月の必殺技。ヘッドバット。
「に゛ゃーーーーーっ!? !?」
完全に無防備で受けたノエルは白目を剥き、その場にくらくらと崩れ落ちた。金色の結界がふつりと消える。
「アレ、痛イヨネ」
「わかるー」
かつて同じものを食らった経験のあるネルと倉木の2人が、しみじみと頷き合う。
「……帰るか。疲れたー」
まったく最後はとんだ茶番だった。と深月は砂まみれの髪をかき上げ歩き出す。
「さすが深月様。惚れ惚れするほど見事な頭突きでした」
レーベ恭しく一礼し深月に続く。
「え。ノエル、ここに置いていくんですか?」
「ネルちゃん、持てる?」
「イイヨー」
こうしてこの国が二万年崇め続けてきた守護神は、蠍の尾に引っかけられ、ズルズルと引きずられ神殿を後にすることとなった。
外ではまだ歓声が続いている。
悪魔は滅び、聖獣は解き放たれ、国は救われた。
誰も知らない。気が遠くなる程の時間、たった一人でこの国を守り続けた聖獣は今、頭にたんこぶを作って、どこか幸せそうな顔で引きずられていることを。
第三章お読みいただきありがとうございました。
面白かった、また読んでやろうじゃないかと思って頂けるなら感想、評価等頂けると何よりの励みになります。
久し振りに活動報告なども書きましたので、よければ読んでやってください。我ながら面白い内容になったかなと。




