ー19ー
封印が完全に砕けきるほんの一拍前。
歴戦の冒険者が先んじて動いていた。
――『聖なる炎』
アレンだ。
膨大な魔力量と、それを寸分違わず操る繊細な制御。
その二つを極めた者だけが到達できる、全てを焼き浄める神の炎の再現。彼の切り札の一つ。
消え残った封印の残滓が魔法の妨げにならない、絶妙のタイミング。この一瞬を選び取れるあたり、彼が最高の冒険者と呼ばれるに値する。
白い焔が生まれたばかりの災厄を包み込む。
そして、アレンの魔法にほんの一拍遅れて。
――『天陽降臨』
ナラシンハの頭上に小さな太陽が生まれた。
これまで封印の維持に注いでいた魔力を丸ごと攻撃へ転じた、ノエルの大魔法。
擬似的な小太陽が宿敵めがけて落ちていく。守護結界越しの深月ですら、肌が焼けそうな熱量を感じる。
「カァァァッ!!」
だが裂帛の咆哮とともに、ナラシンハから魔力が吹き荒れた。神の炎も偽りの太陽もまとめて吹き飛ばされる。
そこへ生じたわずかな綻びへ。
間髪入れず、レーベと倉木が飛び込んでいく。
「お手並み拝見といこうか!」
ドラゴンすら一撃で沈める、神気を纏ったレーベの拳。それをナラシンハは四本の腕で真正面から受け止めた。
「後ろ、もーらいっ! ――ッ!」
倉木が逆側の死角から迫る。
だが残る二本の腕が握る槍に腹部を貫かれ、動きを止められた。
――『不死王の吐息』
串刺しにされたその体勢のまま、倉木は容赦なく腐蝕の霧を吐きかける。
「――ガァッ!!」
しかしそれすらも魔力の籠った咆哮にかき消され、倉木は槍から引き抜かれるように吹き飛ばされた。
レーベと倉木の相手をする一瞬の隙。砂漠の暗殺者が音もなく忍び寄っていた。ネルだ。
振るわれた毒針。だがそれすら容易く受け流され、逆に反撃の刃が彼女の首を狙う。
「――ネル!」
レーベの拳が横合いから叩き込まれ、ナラシンハの体勢を崩す。刃はネルの喉元寸前で引かれた。
「無理をするな、ネル」
レーベが鋭く言い置く。
「焦って攻めるな、もっと隙を伺え。ここぞという時にその毒を撃ち込め。前衛は私と蘭で受け持とう」
「ウン。気ヲツケル」
ネルが珍しく張り詰めた顔で頷く。あのいつも呑気なネルが、緊張を露わにしている。
それだけで相手の格が知れた。
「……おかしい。最初の奇襲でいくらか削れる算段でした。それがほとんど効いていない。……まさか、封印されている間に力をつけたとでも?」
ノエルが訝しげに眉を寄せて呟く。
「お腹貫かれた時にさー」
吹き飛ばされた倉木が、けろりと起き上がりながら間延びした声を上げる。
「お返しにあいつの武器、腐らせてやろうとしたんだけど。……たぶん無理! 武器破壊は諦めてー」
六本の腕から繰り出される猛攻を、レーベが真正面から捌く。受け、逸らし、避け、返す。その余波だけで、見ているだけの深月のもとへ幾つもの衝撃波が飛んできた。結界がなければ掠っただけで命はない。
やがて両者が正面からぶつかり、拮抗する。
「はっ。久々に、骨のある相手だ!」
レーベがナラシンハの眼を睨み付けながら、獰猛に犬歯を剥き出し、笑った。
「我が武勇を振るうに申し分ない」
ナラシンハは何も答えない。ただ憎悪の唸りだけを漏らしている。
「……黙りか。つまらん奴だ!」
鍔迫り合いの体勢から、レーベが大地を踏み抜いた。震脚。足裏から放たれた衝撃がナラシンハの巨躯を真下から突き上げ体勢を崩し、大きく吹き飛ばす。
ノエルの放った黄金の炎輪が、追撃となって吹き飛ばされたナラシンハ襲いかかっていく。
「結界のせいで、大地を操る術が使えんのは惜しいがな」
レーベが口の端を吊り上げる。
「お陰でたっぷり楽しめそうだ」
「あまり無茶はしないでください、レーベ」
ノエルがすかさず釘を刺す。
「この結界は構造上、ナラシンハ以外からの干渉に弱くなっています。……壊さないよう、絶対に気をつけて。フリじゃありませんよ、本当に!」
「なるほどねー。それじゃ私の『全てに等しき安らぎの園』も、封印かな。まぁ、この格の相手にあれがどこまで効くかも怪しいけどさ」
倉木が頬を掻いて、一つ身体を伸ばす。
態勢を仕切り直し、レーベ、倉木、アレンが再び攻めに転じた。
絶対の鎧を纏うレーベと、不死の肉体を持つ倉木が前に立ち、盾となる。アレンはその二人の陰に身を置き、決定打にはならずとも絶妙の呼吸で刃を差し込む。無駄がなく、決して足を引っ張らない。連携の妙だ。
そして気配を殺しきっていたネルが、ここぞと動く。
毒針がナラシンハの胴を深く一突き。刺した瞬間にはもう離脱している。
「ネルちゃん、ナイス!」
「ンー。デモ、全然効イテナイ」
「いや!」
レーベが即座に否定する。
「たとえ神話の悪魔だろうと、貴様の毒を受けて完全に無傷で済むとは思えん。表向き変化がなくとも、その身は確実に蝕まれ続けている。このまま続けろ」
神話さながらの死闘を、深月はただ見つめていた。
自分にできることは何もない。ただ拳を握りしめ、声を張り上げ、仲間の勝利を祈ることしか。……それが、悔しくないと言えば嘘になる。
だが戦いの趨勢は、着実に傾いていた。数に勝る深月たちの側へと。
やがて。
レーベの繰り出した手刀が、ナラシンハの左の腕を二本まとめて斬り飛ばした。
「――ッ!」
ナラシンハが大きく後ろへ跳び、距離を取る。四本になった腕でなおも武具を構えながら。
「勝負あったな」
レーベが静かに告げる。
「封印から解き放たれた直後に奇襲させてもらい、おまけに多勢に無勢。だがこちらも全力を出しきれているとは言い難い。許せ」
「……くっ。くくくっ」
ナラシンハが初めて、声を発した。
今までの濁っていた咆哮とは違う明確な言葉を。
「久方ぶりに解き放たれたというのに。……ままならぬものよな。まったく、口惜しい」
仲間たちが油断なく、その巨躯を囲む。
「此度は封印では済ませません。完全に滅させていただきます。……何か言い残すことはありますか?」
「忌々しき、猫めが」
ナラシンハの金色の眼がノエルを睨む。
「またしても、貴様にしてやられるとはな。だが、無駄だ。我が魂を滅することなどできはせぬ。この身が滅びようと、魂は主のもとへ返るのみ」
主のもとへ。
その揺るぎない忠義の響きに、深月の胸がちくりと痛んだ。二万年の封印を耐え、滅びを前にしてなお、主を想う。その姿は悪魔と切り捨てるにはあまりに気高かった。
「……なあ」
気づけば深月はナラシンハに声をかけていた。
「お前たち悪魔や、その主の邪神ってのは。……いったい何が目的なんだ。どうして世界を滅ぼそうとする」
純粋な問いだった。
「――はっ!」
ナラシンハが吐き捨てる。
「我らをあろうことか悪魔と呼び。挙げ句、我が主を、邪神だと!? ……口惜しい。口惜しいわ! いかにも卑劣な原初神どもが考えつきそうな作り話よ!」
幾つもの傷を負い、ぼろぼろの身体を辛うじて支えながら、ナラシンハは深月を睨み据えた。
「よく聞け、矮小なる人間よ。我が主は真のこの世界の創造主であり、人々をより高き位階へと導かんとする――」
その言葉が、途中で止まった。
金色の双眸が大きく見開かれる。深月を、まっすぐに凝視して。
「――馬鹿な」
声が震えていた。憎悪でも怒りでもない。純粋な驚愕と、戦慄に。
「貴様は……。貴様、だけは……」
六本の、否、四本の腕がわなわなと震え出す。
「存在してはならぬ。この世に、決して! ――世界の 不具合めがァッ!!」
その慟哭のような絶叫とともに。
ナラシンハが残る全ての力を振り絞り、深月めがけて跳んだ。
仲間たちの意識の外。狙いは後方の深月ただ一人。
「――ッ!」
レーベが。ネルが。倉木が。アレンが。ノエルが。
その全員が、深月を守るために各々動いた。
だがそれが致命的な隙を生んだ。
深月を守ろうと結界へ全魔力を注ぎ込んだノエル。
その無防備な腹部へ。
投擲された一本の金剛杵が。
深く、深く突き刺さった。




