ー16ー
「よし。それじゃあ、まずは他のみんなと合流して、作戦会議だな」
ナラシンハとの決戦に向けてまずは情報を共有しなければならない。
そう考えて深月がノエルと一緒にこの場所を出ようと、出口へ向かおうとする。
「あ、待ってください。私はこの場所を離れられないのです」
ノエルが申し訳なさそうに袖を引く。自身が封印の要である以上、聖域を空けるわけにはいかない、ということか。
「昔は自由にこの国の中を散策出来ていたのですが、ここ最近はナラシンハの力がどんどん強くなってきていて」
「あー、そっか。じゃあボクがみんなを呼びにい――」
「なりませんっ!」
深月が言い終わるより早く、それまで平伏していたアムテプが、がばりと顔を上げた。
「御使い様自らが下界へ足を運ぶなど、恐れ多い! そのような俗事はどうか! このアムテプめにお任せくださいっ!」
下界て。
「いやいや、そんなのなんか顎で使うようで悪いし。自分で呼びに行くって」
「いいえ、なりません! 御使い様のお手を煩わせるなどあってはならぬこと!」
鼻息が荒い。ついさっきまであれほど深月を睨みつけていた男とは思えない、手のひらの返しっぷりである。
「まあまあ、深月」
と、ノエルがにこにこ割って入った。
「皆さんを、この聖域までお連れするには他の神官たちの目もあります。ここは神殿のみながよく知るアムテプに任せた方が話が早いでしょう」
「……それもそうか。じゃあ悪ぃけど頼むわ、アムテプさん」
深月がぞろぞろモンスター娘たちを連れて、神殿の奥へとずかずかと踏み込んでいくと、絵面は完全に侵略者になる。
「はっ! お任せをっ!」
アムテプは感激した面持ちで深々と一礼した。そして去り際に、きらきらとした目で深月を振り返る。
「御使い様! この私にさん付けなどという敬称は不要です! 是非、呼び捨てで! なんなら犬とお呼びください!
これからはいつ何時でも、このアムテプにお声掛けくださされば! 御使い様の身の回りの一切のお世話! 是非、この私めにさせていただきたく――!」
「していただきたくないんだけど!」
深月は反射で全力の拒否を叩き込んだ。
崇拝がなんか変な方向に振り切れている。純粋な信仰と言えば聞こえはいいが、口には出さないが正直ちょっと、いや、かなりキモい。
しばらくして。
アムテプに先導され、仲間たちが聖域へとやってきた。
レーベ、アイリス、ネル、倉木。そしてアレンと、『砂時計』の三人。
「うおぉ……、ここが奥の院の聖地、俺なんかが……」
「せ、聖獣様の、御膝元……。わ、私、こんなところに、立ち入っていいんでしょうか……!」
『砂時計』の面々は、この国の守り神が坐す聖域に足を踏み入れて、完全に萎縮しきっていた。信心深いサティなど、今にも卒倒しそうな顔で、がちがちに固まっている。ハキムも、シェドも、借りてきた猫のように大人しい。
その一団の先頭。レーベが泉の畔に佇むノエルの姿を認めて、ぴたりと足を止めた。
「久しぶりですね。『ベヒーモス』」
ノエルが静かに微笑みかけ、レーベの深紅の瞳が鋭く細められた。
「……貴様、『シャルベーシャ』か」
低い、確かめるような声。
「まあ」
ノエルの猫耳が、嬉しそうにぴくりと動いた。
「覚えていてくれたのですかっ。正直に言えば、少し意外です。あなたは昔から自分以外の、周りのことになどまるで興味を示しませんでしたから」
「貴様個人ではない」
レーベがそっけなく返す。
「この空間だ。……この忌々しいほど頑丈な結界。これには覚えがある」
「あなたらしい」
ノエルの笑みがどこか懐かしむものに変わった。
「そういえば、昔。暴れて手のつけられなくなったあなたを他の者たちと協力して、このような結界に閉じ込めた。なんてこともありましたね」
「……どうだかな。もう、覚えていない」
レーベが、ふい、と視線を逸らした。
その頬はほんのわずかに赤い。
これは、こいつ身に覚えがあるな。
どうやら都合の悪い過去は記憶にないことにする方針らしい。
「しかし。……よくは覚えていないが貴様、そんな喋り方だったか?」
レーベの眉が訝しげに寄る。
「もっとこう……、自由でいけすかない奴だった気がするが」
「もう! 昔の話はやめてください。恥ずかしい」
ノエルがぱたぱたと手を振った。
「二万年もあれば猫だって性格くらい変わりますよっ」
「昔の話を持ち出したのは貴様だろうに。……だが、それもそうか」
レーベは深月を見ながら穏やかに話す。
「完成形として産み出されたこの私ですら、深月様と出逢い、この世界の素晴らしさと尊さを教えてもらった。我らでも変わるものだな」
しみじみと、真っ直ぐ深月を見つめるレーベに、深月は面映ゆい気持ちが止まらない。
周りに人がいなければ、こいつぅ! と抱き締めていたかもされない。
「ああ、それと名前だ」
と、レーベが思い出したようにノエルに問う。
「何故バステトなどと名乗っている? 貴様の種族名は確かに『シャルベーシャ』だったはずだ。個体名は覚えていないが、バステトなどではなかったはずだが」
「あー……。それは、ですね」
その問いにはノエル本人が少しばつが悪そうに、頬を掻いた。
「この地で封印を守りながら、人々を手助けしているうちに、いつの間にか皆が私を『バステト様』と呼ぶように、なっていまして。……いちいち訂正するのも、面倒でしたし、そのまま定着してしまったのです」
ですが、と。
ノエルは深月の隣に寄り添うと、その腕にそっと触れた。
「今の私には深月が付けてくれた、『ノエル』という、素晴らしい名前があります。……種族名でも、崇められるだけの名でもない。私だけの大切な名前。これからもどうか『ノエル』と呼んでください」
またストレートに好意を向けられる。
深月はなんだかまたこそばゆくなる。周りの目がなければ撫で回していただろう。
「――えぇっ。ノエルちゃん、なんですか、これ!?」
と、そこでようやく状況が少し整理できたアイリスが素っ頓狂な声を上げた。
「あのいつも一緒にいた仔猫のっ、ノエルちゃん!?」
「はい。そのノエルですよ、アイリス」
「そんなっ、あんなにちっちゃかったのに、こんな綺麗な人に……!」
「オー! ヨロシクナー、ノエル!」
ネルが鋏を上げてあっけらかんと挨拶する。
種族が違おうが、相手が聖獣だろうがネルの距離感はいつも変わらない。
ちゃんとバステトが子猫のノエルだと認識しているのか、少し心配になる。
「むむむ……」
一方、倉木は腕を組んでじっとノエルを、いや、その豊かな胸元を睨んでいた。
「おっぱい、おっきい。しかも美人。これはまた、強力なライバルの登場!」
「お前は何を張り合っているんだお前は」
早速、ハーレム内の勢力図を警戒し始める倉木に、深月はすかさず突っ込んだ。
最近はなぜか深月がおっぱいスキーとして見られている節があるが、まったく不名誉な濡れ衣である
「――で、だ」
深月は、ぱんっと手を打って空気を切り替えた。ここからは、遊びではない。
「みんな色々と受け止めきれないのはわかる。ボクも正直まだ頭がついてってねーし。けど今はじっくり考えて整理してる時間はない」
深月の言葉に場の空気がと引き締まる。
「ここにいるバステトこと、ノエルが二万年もかけて、この地に封印してきた、ヤバい悪魔がいる。『ナラシンハ』ってやつだ。それがそろそろ封印を破って、甦りそうなんだと」
深月がこれまでの経緯を掻い摘んで説明する。凶暴化の原因。緩んだ封印により漏れ出す魔力。その、すべての元凶。
「悪魔『ナラシンハ』ですか」
話を聞き終えたアレンが思案げに顎に手を当てた。
「恥ずかしながら、オレはその名に聞き覚えがありません。……これは一度ギルド本部に確認を入れた方がよさそうですね。何か記録が残っているかもしれない」
「もし俺たちが建国神話で聞いてる、あの悪魔のことなら」
ハキムの声が緊張に掠れている。
「それはそれは恐ろしい存在だったと伝わってるぜ」
と、そこでアイリスが小首を傾げる。
「でもその悪魔、ノエルが一度倒したんですよね?」
いきなり「ノエル」呼びで、聖獣に馴れ馴れしく話しかけれているアイリス。
深月は、こいつ意外と肝が据わってるよな、と思う。
普段は自分は常識人枠です。みたいな顔してる癖に、要所要所で深月が驚く物怖じのしなささと、図太さをみせる。
「いいえ」
ノエルが静かに首を横に振った。
「倒したわけではありません。封印するのが精一杯でした。それもこの国に伝わっている話とは少し違います。私は一人であの悪魔を封じたのではなく、『ティアマト』の力を借りました」
「ティアマト……、また大物の名前が出ましたね」
アレンが苦笑しながら、一つ大きな息を吐いた。
最古竜『ティアマト』。
以前アイリスに教えてもらった、現存するXランクモンスター。
またしても規格外の名前が飛び出して、深月もため息をつく。伝説の存在だなんだと言っていたが、案外この世界には、Xランクが思っているよりごろごろいるのかもしれない。
「ナラシンハは姿形こそ人に近いですが、恐ろしいほどの怪力。そして多くの腕を持ち、その一本一本で幾つもの武具を同時に操ります」
ノエルが続ける。
その声には悪魔を封じた時の死闘の記憶が滲んでいるようだった。
「それだけでも十分に厄介なのですが、あの時代の悪魔というものは、みな、周囲の魔物を意のままに操る権能を持っているのです」
――魔物を、支配下に置く。
その言葉に深月の脳裏にはどうしてもミツキフェロモンがよぎった。
人外のメスを否応なく惹きつけるこの体質、似ているのだろうか。いや。
ボクは別に、意のままに操れてるわけじゃねーしな。
むしろ最近は全然言うことを聞いてくれず暴走することの方が多い気がする。
そう考えて、嫌なその連想をそっと打ち消した。
「レーベは何か覚えてるか? そのナラシンハってやつ」
「いえ、期待に応えられず申し訳ないのですが、あの時代には邪神の手先である悪魔が、何匹も暴れておりましたので。……大昔のことでもあり、どれがどれやら」
邪神て。
さらっと、またとんでもない単語が出てきた。
どうやら過去には、邪神呼ばれる存在は実在したらしい。
この世界の神話は掘れば掘るほど物騒である。
深月は聞かなかったことにした。今抱えきれる問題ではない。
「そこで、です」
ノエルが一同を見回して、本題を切り出す。
「私はただ封印が破られるのを待つつもりはありません。どうせ破られるのなら、私自身も戦えるだけの余力を残したまま、こちらからわざと封印を解きたいのです」
「わざと、ですか?」
アレンの声に緊張が混ざる。
「ええ。不意を突かれて消耗しきった状態であれと相対するのが最悪です。ならば、こちらの態勢が万全に整えたその上で迎え撃つ。周囲に被害が及ばぬよう、私が結界を張り、その中で決着をつけます」
理にかなっていた。後手に回るより先手を打つ。座して滅びを待つより、遥かにいい。
「封印の強度や、私の残りの魔力を考えると、残された時間はおよそ三日ほど。……それまでに、どうか万全の準備を整えていただきたいのです」
「三日後、か」
深月はちらりと仲間たちを見る。皆、それぞれの顔で静かに頷いている。異論はないようだ。
「わかりました」
アレンが代表して応じる。
「その三日でオレはギルド本部にナラシンハの情報を照会し、助力をお願いします。冒険者ギルドも総力を挙げて、ナラシンハ討伐をサポートさせていただきます」
深月は頷いた。
「一旦、解散! 各自三日後の決戦までにできる限りの準備をしとけ! いいな!」
こうして決戦への短い猶予が決まった。
誰もが来たるべき戦いに思いを馳せる。そんな緊迫した空気の中。
「あぁ。そんな。行ってしまうのですか、深月」
しゅん、と。
ノエルがこの世の終わりのような顔で、深月の袖を、きゅっと掴んだ。
「いや行くだろ。ボクだって装備の準備やら、ギルドへの報告やら、色々あんだよ」
「さみしい。深月と、離れたくない。……よよよっ」
「嘘泣きすんな! 目、一滴も濡れてねぇぞ!」
顔を覆ってさめざめと泣く真似をするノエル。だが指の隙間から、しっかりと深月の反応を窺っている、その抜け目のなさよ。
「ちぇっ。バレましたか」
「バレるわ! ……ったく」
あっさりと嘘泣きをやめて、けろりと舌を出すノエルに深月は呆れてため息をつく。
この聖獣、神々しいのは見た目と、最初の数分だけだったなと。
そんな深月の内心の嘆きなど、露知らず。
ノエルの口元が彼に見えない角度で、ほんの少しだけ、ひそやかに弧を描いていた。




