表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/64

ー15ー

 

 重い扉が、音もなく内側へと開いていく。

 その先にあったのは、しんと静まり返った青白い光に満ちた空間だった。

 壁も、床も、天井も、見たことのない滑らかな石で組まれ、中央には清らかな水を湛えた小さな泉。その畔に供物でも祭壇でもなく、ただ一人の女性が佇んでいた。

 褐色の滑らかな肌。腰まで届く金色の髪。そこから、ぴんと立った猫の耳。そしてこちらを見つめる、美しい深い翠の瞳。

 清楚で、それでいてどこか浮世離れした、神々しいまでの美貌。


 ――こいつが、聖獣バステトなのか。


 深月がその姿に見惚れ、言葉を失っていると。


「にゃ」


 頭の上のノエルが、ぴょん、と床に降り立った。

 そしてとてとてと、まるで飼い主のもとへ帰るようにその女性へと歩み寄っていく。


「お、おい、ノエル?」


 女性がそっと両腕を広げた。

 ノエルは迷いなくその腕の中へ飛び込むと、甘えるように身を丸め、溶けるようにその輪郭を失っていく。

 金色の光の粒子となって女性の身体へと吸い込まれていく。


「――は?」


 深月の口から、間の抜けた声が漏れた。

「え、ちょ、ノエル!? 消え……いや、溶けた!? どこ行った!? な、なんだ今の、手品か!? ノエル!!」


 あまりのことに頭が追いつかない。大事なの子猫が目の前で美女に吸収された。字面だけ見れば完全な怪事件である。


「ふふ」


 その深月の狼狽ぶりを見てなのか、女性の唇から鈴を転がすような笑みがこぼれた。


「まったく。……どうやらここへ辿り着くまで、あの子は自分の使命などすっかり忘れていたようですね」


 その声は慈愛と、ほんの少しの呆れを含んで、どこまでも澄んでいた。


「ですが――よく、よくぞ間に合ってくれました。それにベヒーモスだけでなく、まさか不死の王(ノーライフキング)まで連れてきてくれるとは。……本当に、思いがけない幸運です」

「え、あ、いや、あの……」


 混乱の極みにある深月に、彼女は深く深く頭を下げる。


「結果としてあなたを騙すような形になってしまったこと、どうか許してください」


 そして顔を上げまっすぐに深月を見つめる。その翠の瞳が、なぜかひどく馴染み深いものに感じられた。


「私が、ノエルです。深月」


 しん、と。

 聖域に沈黙が落ちた。


「…………はい?」


 深月の思考が先ほどの、猫耳の言葉を繰り返し流すが頭に入ってこない。



「――待て待て待て! ちょっと待ってくれ!」


 我に返った深月は片手で頭を抱えて、もう片方の手で何かを制止するように伸びる。


「ノエル!? お前が!? あのうにゃうにゃ言ってた、食い意地の張ったちっこいノエル!? その、ノエルにこう言っちゃなんだが、どう見ても神様みたいなアンタと全く繋がらないんだが!」

「信じがたいのも重々承知です。順を追ってお話しします。少し、長くなってしまいますが」


 彼女は泉の畔に腰を下ろすと、静かに語り始めた。

 その内容は深月の理解の遥か上をいくものだった。

 それは神話の時代の話。

 この地の奥深くに封じられた、世界を支配せんとする悪魔――『ナラシンハ』――の封印の要が自分自身であるということだった。


「悪魔って……。あの、この国の建国神話の?」

「ええ。おそらくあなた方が伝え聞いた通りです。神話の時代から、私はあの悪魔と対峙し、やっとの思いでこの地に封じ続けてきました」


 だが、と、続けていくうちに、彼女の声に陰りが差し始めた。


「あまりに長い時が経ちました。……約二万年もの間、私は封印が破られないように魔力を注ぎながら、自分を慕ってくれるこの国の人々のために、幾度も力を使ってきました。日照りには雨を。飢えには実りを。災いには守りを。そうやって少しずつ、少しずつ、私が悪魔を封じるために割くべき力は、削られていった」

「……あ、まさかそれで。封印が緩んで」

「はい。緩んだ封印の隙間から、あの悪魔の魔力が、漏れ出しています。それがこの地の生き物を狂わせ、凶暴化させている元凶」

「宝玉は魔力の回復のため……?」

「そうです。本当に少しではありますが、僅かに封印の寿命を伸ばすことができます」


 凶暴化の正体。神殿が宝玉を欲しがる理由。全ての謎が、この一室で氷解していく。


「そして、もう、そう長くは保ちません」


 彼女は静かに、しかし避けられない事実を口にした。


「封印が完全に破られる前に、なんとか助けを呼ばねばならなかった。ですが私はこの場所を一時も離れることができない。ならば、と」

「分身を作った。……それがノエルか」

「ええ。この国から比較的近く、そして確かにそこにいると分かっていた、わたしの知る最も力ある存在『三神獣』ベヒーモスのもとへ。私の分身を送り出したのです」


 彼女の表情がどこか困ったように、それでも満足げに優しくなる。


「もっとも、分身を作るような術は本来私の苦手とするところ。私が得手とするのは、治癒やあくまで守るための結界。残り僅かな力を、ギリギリまで振り絞って、ようやくあの小さな器を生み出せた」

「……それであんな可愛い仔猫の姿になってしまった、と」

「お恥ずかしい話です。その、言葉を選ばずにはっきりといいますと――少々おバカな子になってしまったのです」

「たしかにっ」


 深月は思わず口元を弛ませた。

 あの能天気に飯を食い、腹を出して爆睡していたノエル。あれがまさか世界の命運を背負った聖獣の決死の分身だったとは。


「いやいや、笑っちゃ悪いか。でもさ、マジでこれっぽっちもそんな感じしなかったんだぞ? 毎日腹いっぱい食って、ひっくり返ってヘソ天してすやすや寝てたし。ボクや仲間たちだけでなく、宿や他の冒険者連中にもめっちゃ可愛がられてたし」

「その様子はこうして一つに戻った今、私の中にもしっかりと残っています」

「えっ? 記憶あんの?」

「もちろん。あの子は私の写し身であり、分身。深月、あなたと過ごしたあの温かな日々は、一つも欠けることなく、今もこの私に受け継がれています」


 彼女はそっと胸に手を当て、想い出に浸るように目を瞑る。

 その仕草があんまりにも大切そうで、深月はなんだかこそばゆくなった。


「……で。話を戻すけど」


 深月はこほんと咳払いを一つしてから本題に切り込んだ。


「その『ナラシンハ』って悪魔、これからどうするんだ、バステト様? 」


 バステトと呼ばれた彼女の表情がしゅん、と曇った。まるで親とはぐれて不安がる子供のようだ。


「……バステト、様、ですか?」

「え? あ、いや、そう呼ぶだろ」

「以前はもっと気安く呼んでくれたではありませんか」


 上目遣いにじっと見つめてくる翠の瞳。その顔にはあからさまな寂しさが滲んでいた。

「どうか、他人行儀な呼び方はやめてください深月。以前と変わらぬように。『ノエル』と、貴方が付けてくれた何よりも大事な名前で、そう呼んでほしいのです」

「い、いや、そう言われても……。ついさっきまで猫だったやつを、いきなりノエル呼ばわりってのは……」

「……だめ、ですか?」


 しおしお、と猫耳が力なく垂れ下がる。

 そのあまりにわかりやすい落ち込みっぷりに、深月は頭を掻いた。神々しい美女がこの顔をするのは反則である。


「……っ、わかった! わかったからその捨てられた子猫みたいな顔すんな! ノエル! ノエルな!」

「……! はいっ!」


 ぱあっ、と。垂れていた猫耳が勢いよく跳ね上がった。

 無邪気な笑顔に、思わず先ほどまで頭の上にいた子猫が思い浮かんだ。


「本当に、本当に、感謝しているのです。深月」


 ノエルはいそいそと立ち上がると、なぜか、深月のすぐ隣に立ちぴったりと引っ付いてきた。そして当然のようにその肩に、こてん、と頭を預けてくる。


「お、おい」

「あなたがあの子を、私の半身を慈しんでくれた。見捨てず、名前をくれて、傍に置いてくれた。……あの時の温もりがどれほど今の私にとっても救いになったか」


 しなだれかかる身体は、驚くほど柔らかく、温かい。ふわりと香る甘い匂いに、深月の心臓が不覚にも跳ねた。


「ちょ、近い、近くないですかノエルさんっ。少し離れていただいても!」


 思わず深月も敬語になる。


「いやです」


 猫のようにするりと、深月の腕に絡みついてくるノエル。押しても引いても離れる気配がない。この甘え上手、猫の頃と一切変わっていなかった。


「一つの同じベッドの上で、何度も肌を重ねて一緒に寝たではないですか……、深月は忘れてしまったのですか?」

「はいぃ!? それはお前が人型じゃなくて完全に猫だった時の話だよねぇっ!」

「ひどいっ! 姿形がなんだっていうんです、獣人差別です!!」


 わざとらしく、めちゃくちゃあざとく上目遣いで顔を覗き込んでくるノエル。


「なにが差別だ! お前わかっててからかってるだろ!」

「一緒に裸でお風呂にも入ってくれたというのにっ!」

「猫の姿の話だろーーっ! 人聞きの悪いこと言うな! 他の奴に聞かれたらどうするんだよ! ただでさえボクの評判は悪いんだぞ!?」


 自分で言っていて悲しくなるが、もう既に変態鬼畜テイマーと呼ばれいるのだ、もっと気をつけていただきたい。

 焦る深月とは裏腹にノエルは楽しそうに猫ミミを揺らしクスクスと笑っている。


「時に」


 と、ノエルが顔を上げ、扉の外へと声をかけた。


「メンフィス。そこにいるのでしょう? 入ってきてください」

「――は、はっ!」


 扉の陰から、恐る恐る、大神官メンフィスとその補佐のアムテプが姿を現した。

 二人ともこの世のものとは思えぬ光景を目の当たりにして、腰が抜けたように、へっぴり腰である。


「聖獣、バステト様……っ! 本当に、御身が我らの前に……!」


 アムテプは感極まった様子でその場に平伏した。長年仕えてきた信仰の対象が、今目の前に顕現しているのだから無理もない。

 メンフィスも同じく地に伏せ平伏している。


「頭を上げなさい、メンフィス、アムテプ。長きにわたる、そなたたちの奉仕。感謝しています」


 そう労うノエルの声は、先ほどまでの深月に甘える調子とは打って変わって、聖獣としての荘厳な響きを纏っていた。

 器用なものである。


「そして、よくお聞きなさい」


 ノエルは隣にいる深月の肩を、ぐっと引き寄せると、高らかに宣言した。


「この者、深月こそ原初神様が我らのもとへ遣わされた、私の代弁者です」

「……は?」

「な……っ!」


 メンフィスとアムテプが同時に息を呑む。

 深月本人も「はぁん?」と、間抜けな声を上げた。


「この者の言葉は、すなわち私の言葉。この者の意志は、すなわち私の意志。……ゆめゆめ無礼のないように。よいですね?」

「ちょ、おい、ノエルさん!? 何勝手にっ」

「ははーっ! 承知いたしました!」


 深月の抗議はメンフィスの絶叫にかき消される。

 見ればあれほど深月を警戒していたアムテプまでもが、蒼白な顔で床に額を擦りつけている。


「せ、聖獣様の、代弁者とも知らず……! か、数々のご無礼、平にご容赦を……!」

「いや、あの、頭上げて! 全然っ、そんなんじゃないから! なあノエル! 変なこと言うなって!」

「事実です」

「事実じゃねーだろ!?」


 深月の必死の否定も、聖獣のお墨付きの前ではまるで意味をなさない。むしろ「代弁者様はご謙遜までなさる」と、二人の平伏がさらに深くなる始末である。


「……あー、もう」


 深月はがっくりと天を仰いだ。

 厄介事からできるだね逃げてきたはずが、また一つ、とんでもない肩書きを背負わされてしまっている。しかも、今度は神様公認である。


「……なあ、ノエル」

「はい、なんでしょう、深月」


 にこにこと、幸せそうに肩を寄せてくる、元・子猫の聖獣を深月はじとりと睨んだ。


「お前、絶対猫の頃より質が悪くなってる」

「ふふ。褒め言葉として、受け取っておきますね」


 悪びれもしないその満面の笑みに。

 深月は、深く深くため息をついた。


 ――――くふっ、こうやって外堀を埋めていくのにゃ。


 誰にも聞こえなかった小さな呟き。

 ノエルの口元が、深月に見えない角度で、今までとは違うニヤリとした笑顔になった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ