ー12ー
「シャアアアアッ!」
乾いた砂を蹴立てて、異形の群れが押し寄せてくる。
蛇のように長くしなる首と胴。全身は硬質な鱗に覆われ、陽光を弾いて鈍く光っている。
頭部からは細く鋭い角が二本伸び、裂けた口の奥から、鋭い牙と二又の舌がちろちろと覗いていた。
猛禽のような鉤爪の後ろ足二本をつかい前傾姿勢で立つそれは、小型の肉食恐竜を思わせる。
それが一体や二体ではない。
十数体。群れをなして砂丘の陰から次々と湧き出してくる。
Cランクモンスター『ムシュフシュ』。
その異形の群れの中央で、より強烈な異彩を放つ存在がまるで踊っているかのように滑らかに動き回る。下半身は一対の大きな鋏と毒針の尾を持つ巨大な蠍、上半身は燃えるような赤髪の美しい女性、Aランクモンスター『ギルタブリル』。
先頭のムシュフシュが跳びかかる。ネルは避けなかった。
ガキンッ、と。
迎え撃った鋏が、その顎を真正面から受け止め、そのまま万力のように締め上げる。硬質な鱗が、粘土細工のようにぐしゃりと潰れた。
「懐カシイ味ダナー」
一口噛りムシュフシュだったもの放り捨てる。骸が地につく前にもう次のムシュフシュが次々にネルへ襲いかかる。
ネルはその巨躯が砂の上を滑るように疾走する。
彼女の八本の脚は砂地を的確に捉える。砂漠に生まれ、砂漠に育った身体だ。
この地形において彼女の機動力を上回るものはいない。
左の鋏が横合いから飛びかかった個体の首を刈り取る。返す動作で背後の一体を尾で薙ぎ払う。
前後左右、全方向から襲い掛かるムシュフシュを掴み、躱し、剃らし、迎撃し、彼女は笑っている。
ネルの背から高々と持ち上がった尾の先端。そこに備わる鋭く湾曲した毒針が、稲妻のように獲物を捕らえる。
貫かれたムシュフシュは、悲鳴を上げる間もなく、針が抜かれた時には既に事切れている。
毒針に刺された死体の鱗下の色が変わり始めている。体内で製造された猛毒が、瞬く間に全身を巡ったのだ。
「……うっわ」
深月はアイリスの背の上で、思わず声を漏らした。
『砂時計』たちと顔合わせを終えた深月たちは、ノエルと荷物(マンドラゴラーズ含む)をギルドに預かってもらい、早速砂漠へと現地調査に来ていた。
改めて大立回りするネルの姿を観察する。
鋏で潰し、尾で薙ぎ、毒針で仕留める。無駄がなく、容赦がなく、そして圧倒的に速い。
普段、深月の前でお菓子をねだったり、ハンバーガーに感動したりしている、あのネルと同一人物とは思えない。
「……砂漠の覇者ってのは、伊達じゃねぇんだな」
「本当に、その通りです」
深月の隣で、サティが呆然と同意を呟いた。
「これが、ギルタブリル……。私たち砂漠の冒険者の間では、常識なんです。砂漠でギルタブリルを見かけたら、絶対に戦うな、できるだけ息を殺し、目を合わせるな、静かに逃げろ、と」
「あー……、うん。正しい判断だと思うわ、それ」
「こりゃあ、今まで逃げてきて本当に正解だったな」
ハキムもしみじみと頷いている。過去に遭遇して逃げた経験があるらしい。
シェドも金色の瞳を丸くして、無言でこくこくと頷いていた。
「――深月様」
と、その時。
それまで戦況を静観していたレーベが、不意にす、と表情を消した。
「アイリス、深月様を乗せたまま後方へ」
「え? あ、はいっ!」
問答無用の声音にアイリスが慌てて後退する。
「なんだよ、どうした」
「来ます。下からです」
レーベが砂の一点を睨みつけた、その直後。
「足元! 来ます!」
「っ、ハキム! ワームが来る!」
遅れて、アレンとシェドも気付き、シェドは鋭く警告を発した。砂漠になれている偵察役でもレーベより一拍遅れた形になった。
「散れっ!」
ハキムの号令で、『砂時計』のメンバーが一斉に散開する。
ドドド、と。
深月にも、はっきりと感じ取れるほどの震動が、地面を伝って這い上がってきた。腹の底を揺さぶるような、重く、不吉な唸り。それが、急速に、近づいてくる。
そして。
――ドォンッ!
地面が、爆発した。
噴き上がる砂柱。その中から、ぬらりと現れたのは、巨大なミミズだった。
体色は砂と同じ黄土色。胴回りは大人が数人で手をつないでようやく囲めるほど。目はなく、代わりに開いた口には無数の歯が、螺旋状にびっしりと並んでいる。
その巨大な頭部が、獲物を求めて、大きく振りかぶった。
しかし。
「今、深月様がネルの活躍をご覧になっている最中だろうが」
それが飛び出してくるのと、ほぼ同時。高く飛び上がったレーベが既にその頭上にいた。
濃密な魔力を纏った拳が、無造作に振り下ろされる。
パンッ、と。
まるで熟れた果実が弾けとんだような、あっけない音がして。
サンドデスワームの頭部は原形も留めず、砂の上に叩き潰された。
ズシン、と。巨体が崩れ落ちる。
一撃だった。
「…………は?」
ハキムたちの口から、間の抜けた声が漏れた。
「びっくりしたー。レーベお疲れさん」
「はっ。この程度、造作もありません」
深月の労いに、レーベが恭しく頭を下げる。その尻尾はぱたぱたと嬉しげに揺れている。
「……今の奴を一発かよ?」
ハキムは頭の布を掻きむしる。
「そいつぁ『サンドデスワーム』だ。ランクC+。砂の下から不意打ちしてくるもんだから、毎年何人も冒険者が食われてる、この砂漠の嫌な意味での名物みてぇな厄介者だ。それを、あんたらは……」
ぶつぶつ言いながらも、ハキムは慣れた様子で解体用のナイフを取り出し、ワームの死骸から討伐証明部位と、金になる素材をてきぱきと切り出していく。
「おっ、こいつぁいい。この牙、削って砥石にすると高く売れるんだ。……ま、素材が無事な分、ありがた」
流石砂漠の冒険者、商魂も逞しかった。
「……なあ」
深月は額の汗を拭いながら、誰にともなく聞く。
「なんかさっきから、めちゃくちゃ高ランクモンスター出るじゃねぇか。リーカーシャの周りじゃこんなにランク高いの滅多にいなかったろ。この国いつもこんな感じなのか?」
深月がまだFランクという一番低い冒険者であることも差し引いても、街の周囲でDランクを越えるモンスターにはなかなか会えない。
「いえ、それは違うと思います」
深月の問いに答えたのはアレン。
「オレもこの国には何度か足を運んだことがありますが。……前はここまでモンスターとの遭遇率は高くありませんでした。移動中に一度か二度、警戒すれば済む程度でしたよ」
「そりゃまあ、当然だ」
ハキムは解体の手を止めずに言った。
「今日はわざわざモンスターとの遭遇率が高い場所を選んで連れてきてるからな。あんたたちに現状を見せるのが目的だ。……だが」
彼は取り出した素材を袋に詰めながら、表情を曇らせる。
「ここがその『遭遇率の高い場所』ってのが、問題なのさ。半年前までここは安全地帯だった。ここいらは人の領分で、あいつらは絶対に踏み込んでこなかった。……それが今じゃこの有様だ」
「ギルドで聞いたように、境界が押し下げられてるってことか」
「そういうこった。日に日にあいつらと街との距離が、近くなってやがる」
深月は無意識に手首の腕輪に触れた。
――まさか、ボクのフェロモンのせいで集まってきてる、なんてことは。
一瞬そんな最悪の想像が頭をよぎったが、すぐに打ち消す。深月個人を狙って集まってくるということはない。このギルドマスターからの腕輪はちゃんと機能している。
つまりこれは深月がこの国に来る前から、ずっと続いている異常なのだ。
「終ワッタヨー」
と、そこへ。
ムシュフシュの群れを綺麗さっぱり片付けたネルが、遠くからのんびりと声をかけてくる。
「おー! お疲れさん、ネル。すげー格好良かった」
「フフン。深月ノ役ニ立テタナラ、ヨカッタ」
褒められて、ネルが得意げに鋏を打ち鳴らす。
「ネルちゃん、お疲れさまー」
蘭がひらひらと手を振りながら、ネルの方へと歩き出した。
「討伐部位の回収、手伝おうかー? 結構な数だしさ」
のんびりとした足取りで、群れの残骸が散らばる方へと向かっていく。
最初に気づいたのはレーベ。
ふと顔を上げ、空を見る。
次いでネルが、次にアレン、それからシェド、一斉に頭上を仰ぐ。
「え、なに?」
深月とアイリスもつられて空を見上げた。
のんびり歩いていた倉木の足元に、大きな、大きな影が落ちる。
「……ん?」
蘭が不思議そうに空を見上げた、その瞬間。
ゴウッ、と風を切る音とともに、巨大な鳥が急降下してきた。丸太のような鉤爪が、倉木の小さな身体をむんずと掴み上げる。
「あーれーーーー……」
そして怪鳥は蘭を掴んだそのまま、悠々と空へ舞い上がっていった。
少し間の抜けた倉木の悲鳴が遠ざかる。
「ロック鳥だ!」
ハキムが叫ぶ。
「らーーーーーんっっ!?!?」
深月は思わず絶叫した。
あまりに一瞬の出来事だった。
仲間が鳥にさらわれた。日常生活で絶対に遭遇しない類の緊急事態である。
「レーベ! なんとか撃ち落とせ! いや待て蘭ごと落ちる! どうすんだよこれ!」
「深月様、落ち着いてください。蘭なら大丈夫です」
『ドレインタッチ』。
直接触れた対象から、生命力を根こそぎ吸い上げる、不死王の権能。
見上げれば、遥か上空でロック鳥がびくんと痙攣しており、倉木の細い腕がその脚にぺたりと触れている。
巨鳥の身体からみるみる力が抜け落ちていく。翼が畳まれ羽ばたきが止まり、そして。
二つの影が、絡み合うようにして砂漠へと落ちてきた。
ドサッ、という重い音とともに、ロック鳥の亡骸が砂に沈む。
その隣に倉木が「あでっ」と尻もちを着きながら着地した。
「もー、いきなり掴むんだもん。びっくりしたー!」
スカートの砂を払いながら、けろりとした顔で、こちらへ戻ってくる。
「無事か蘭! 怪我はっ、……まぁあるわけないか」
「もちろんないよー。むしろちょっと得しちゃった。空の散歩、空中から見る砂漠めっちゃきれいだった!」
深月はゆっくりと脱力する。仲間が誘拐されるという事態は初めての事で少しテンパってしまった。
「おお、無事でよかった」
ハキムが驚きつつも感心したように頷いた。
「今のはロック鳥だな。ランクC+。上空を旋回して、地上の獲物を探して、真上から一気に掴んで持っていく。……大人一人くらいなら、軽々と運んでいくからな。砂漠で旅人が突然消えたって話の半分はこいつの仕業だ」
「うっわ、こっわ。空にまで気を配らなきゃならんのかよ」
「本来なら、ロック鳥が出るのは、もっと奥地なんですが……」
ハキムたちの表情が、また一段渋くなった。
「モンスターが襲ってくる頻度ヤバすぎだろ。一時間で何回目だよ。……ちょっと一回、休もうぜ」
精神的な疲労が凄まじい。まだ何の調査もできていないのに既に三度の襲撃である。
「あ、深月様! 少し離れていますけど、向こうにちょうどいい大岩がありますよ!」
アイリスが嬉しそうに前方を指さした。
見れば確かに。砂丘の向こうにごつごつとした表面の、こんもりとした大きな岩が鎮座している。
あの陰なら日差しも遮れるし腰を落ち着けられそうだ。
「お、ホントだ。ラッキーじゃん」
深月の心が、ぱっと明るくなった。日陰。休憩。素晴らしい響きである。
「よし、行くぞお前らー」
「待ってください!」
一行が歩き出してすぐ、鋭い声が飛んだ。アレンからだ。
「あれは岩じゃない。……モンスターです」
「はい?」
深月の足が止まる。
「うおっ、たしかに……」
ハキムが慌てて目を凝らし、それからげんなりした顔になった。
「ありゃ『サンドドラゴン』だ。ランクB+の大物だぞ。……岩とそっくりの背中でな、ああやって砂漠に埋もれて、じっとしてやがる」
「ランクB+!? あんなでかいの!?」
「安心しろ、基本的にあいつは滅多に動かん。日がな一日、あの姿勢で寝てるだけだ。こちらから無闇に近づいて刺激しない限り、襲ってくることはねぇ」
「なんだ、じゃあ関わらないようにしよう――」
か、と続けようとした深月の横を影が通り過ぎた。
「深月様を謀ろうとは、無礼千万」
レーベである。
その瞳は完全に据わっていた。
「深月様、ほんの少しだけお待ちください。あの愚か者の頸、今すぐ取って参ります」
「待て待て待て! 向こう寝てるだけだろ」
「深月様に休息の期待を抱かせ、それを裏切った。万死に値します」
そこへアイリスが、ぱたぱたと手を挙げた。
「あ、レーベさん! ランクB+なら宝玉が手に入ると思いますので! なるべく傷つけないようにお願いしますね!」
「いってらっしゃ~い」
「頸、チョンパー!」
倉木がのんびりと手を振り、ネルが元気よく鋏を掲げる。
誰も止めない。
悠然と、しかし確実な足取りで大岩、もといサンドドラゴンへと向かっていくレーベの背中を見送りながら。
深月は乾いた声で呟いた。
「……修羅の国過ぎる」
その隣で『砂時計』の三人が揃って言葉を失っていた。
誤字報告いつもありがとうございます。
これからもよろしくお願いしますm(._.)m




