ー11ー
「まずはこの国の置かれている静かな危機から、状況の説明しようか」
アーザードはキセルの灰をとん、と落としゆっくりと話し出した。
「この国じゃあ、昔から人とモンスターの生息域ってのがきっちり分かれていてね。ここから先は人の土地、ここから先はあいつらの土地。互いにそれを守って、無闇に侵さない。だからこそこの過酷な砂漠で、どうにか共存してこられたのさ」
「へえ、そりゃすごい。何か柵とか作ってるとかじゃないんだろ」
「そうとも。誰が決めたわけでもないが、おそらく何百年と守られてきた不文律さ。……ところが、だ。ここ最近、その線が崩れ始めてる」
「崩れる?」
「そう。モンスターどもが異常に凶暴になってきてね。今までなら絶対に近寄らなかった境界を無視して、街のすぐそばまで押し寄せてくるようになった。隊商が襲われる、水汲みに出た村人がやられる、放牧してた家畜が丸ごと消える。……被害は日に日に増える一方さ」
「うっわ、それやべぇじゃん」
深月は顔をしかめた。
だけど少し腑に落ちないこともある。
「でも街に入ってきた時、そんな緊迫した感じは全然なかったぞ? みんな普通に市場で買い物したり、子供も外で遊んでわらったり」
凶暴化したモンスターが街の近くまで来ているというなら、もっとぴりぴりしていてもよさそうなものだ。だが、到着した際に目にしたテーベリスの街は驚くほど穏やかだった。
「ああ、それはね、この国は聖獣様に守られているからさ」
アーザードはごく普通のなんでもないことのように返す。
「聖獣様?」
深月の脳裏にオアシスで別れた行商人の顔が浮かんだ。
そういえばサジルさんも言っていた。この国にははるか昔から国を守る聖獣様がいらっしゃると。
「あんたたちこの国の成り立ちは知らないだろう? なら、少しばかりこの国のおとぎ話に付き合いな」
アーザードはキセルをくゆらせ、語り始めた。
「遥か昔。神話の時代のことさ」
その声はいつの間にか、語り部のそれになっている。
「この世界を丸ごと支配しようと目論んだ、一柱の悪魔がいた。そいつがあまりに手に負えないもんだから、魔物と獣の祖である原初神、アイネロウス様がこれを討つために、一体の聖獣を遣わされた」
「アイネロウス……」
深月は思わずレーベを振り返った。
レーベをこの世に生み出した神。神話の時代の原初の神。こんなところでまたその名を聞くとは。
「そしてその聖獣様の名を、『バステト』様という」
アーザードも一度ちらりとレーベの方へ目を向けてから続ける。
「バステト様と悪魔の争いは、それはもう、途方もなく長きに渡った。大地が裂け、空が焼け、幾度も世界が滅びかけたと伝わっている。……そしてついに、バステト様はこの地に悪魔を封じ込めることに成功なされた」
「封印なのか」
聖獣様バステト様とやらがそんなに長い間戦って、退治するでもなし、封印。
現在でもレーベや蘭と同じXランクに分類されているバステトが。
「そうさ。だが封印は放っておけば緩むもの。だからバステト様はその封印を守るために、この地に留まることを選ばれた」
アーザードの口元から紫煙が立ち上る。
「やがてそのお姿を慕って、バステト様の周りには人が集まるようになった。集落ができ、村になり、街になり、そうしてやがてこの国ができた。ラシュダールってのはそういう国さ。聖獣様の膝元で生まれ、今もその加護に守られている」
「……へー」
感嘆の声が漏れる。
国そのものが一体の聖獣を中心にして生まれた、壮大な建国神話であった。
深月は背後を振り返り、レーベに声をかける。
「レーベと同じ神話の時代の話らしいぞ、なんか知らねーの?」
ここにいるボクの僕筆頭のレーベも、なにせ二万年を生きた三神獣である。
同じ時代の話なら、心当たりの一つや二つあってもおかしくない。
「バステト……」
レーベはその名を確かめるように一度口の中で転がしたから答える
「……いえ。聞き覚えは、ありませんね」
「ありゃ、レーベが知らねーか」
「そうですね、記憶にはバステトという名前はありません。……ただ、何分、二万年も昔のことですので」
「まあ、そうだよな」
そもそも記憶なんてすごく怪しいもの。
ボクなんて小学校の担任の名前すら怪しいしな。
「バステト、バステトですか……」
「うにゃ……?」
レーベは何度も聖獣の名前を繰り返し、思案している。
すると深月の頭の上で、それまで丸くなっていたノエルが、むくりと顔を上げた。
金色の耳がぴくぴくと動く。
まるで何か思い出したかのように、遠くの何かの音を聞き取ろうとするように。落ち着かなげに、しきりに街の中心の方角へとその小さな鼻先を向けていた。
「ん? どうしたノエル。腹減ったか?」
「にゃぁ……」
深月が撫でてやると、ノエルはまた丸くなった。
だがその尻尾は何かを気にするように、ゆらゆらと揺れ続けている。
「で、その聖獣バステト様ってのは」
深月は話を戻す。
「伝説として伝わってるだけで、今も実際にいるわけじゃないんだろ? 神話の時代の話なんだし」
二万年前の存在が今も生きている。そんなのは馬鹿な話なのだが、深月は自分の後ろに二万歳と不死者がいることを思い出す。
我ながらすごい奴らがボクを支えてくれているな。
「今もいらっしゃる。この街の中心にある大神殿。その奥深く。誰も立ち入れぬ聖域に鎮座されて、今もなお、封印を守り続けておられる」
「マジで? 実在すんの?」
「あんたたち、リーカーシャから来たんだろう?」
アーザードは逆に問い返してきた。
「なら不思議に思わなかったかい? どうしてこの国が、あのデーカストどもに食い散らかされていないのかって」
「――あ」
深月は思わず声を漏らした。
言われてみればその通りだ。
九十一年ぶりの悪魔の年。地平線を埋め尽くすほどの、あの数百万の群れ。あれはリーカーシャ王国の南の砂漠のはてから発生したものだ。つまりこの国の方がよっぽど発生源に近い。
それなのにこの街は無傷だった。市場には食料が溢れ、人々は笑っていた。
「そういうことさ」
アーザードはにやりと笑った。
「あいつらはこの国には近づいてこない。聖獣様のお力のお陰で近づけないのさ。それだけじゃない、こんな砂漠のど真ん中の小国が、今日まで他国に飲み込まれもせず、独立を保っていられるのは、なぜだと思う?」
「……その聖獣様のおかげ、ってことか」
「ご名答」
深月はぞくりとした。
国を守り、災厄を退け、大国の侵略さえ思い留まらせる。それほどの存在がこの街のどこかに、確かにいるんだ。
レーベや蘭と同じ格の。Xランクの怪物が。
「……支部長」
それまで黙って話を聞いていたアレンが、静かに口を開いた。
「今回起こっているというモンスターの異変。……それは聖獣バステトと何か関係があると。支部長はそうお考えですか?」
アーザードは片眉を上げて、口元を歪める。
ぴん、と。
部屋の空気が、張り詰めた。
「はっ、あんたは相変わらず勘が働くねぇ。可愛げがないったらないよ」
褒めているのか貶しているのか、わからない口調だった。
「言っておくが、この国の神官どもは絶対に認めないだろうさ。『聖獣様の御力に翳りなどあるはずがない』ってね。口に出しただけで不敬だと騒がれる」
彼女はキセルの吸い口を噛んで皮肉げに続ける。
「けどね、現場でモンスターどもと直で向き合ってる冒険者どもは、口には出せないが、みんな思ってるよ。この異変が始まった時期と、この国の守りがどこか噛み合っていないってことをね」
深月はなんとなくだが、わざわざ国を越えこの国まで呼ばれた理由がわかってきた。
「つまりそういう、この国の人間じゃ口にするのも憚られるような疑いを調べるのが、ボクたちの仕事ってわけだ」
「話が早くて助かるよ」
深月の言葉にアーザードは満足そうに頷く。
「余所者だからこそ、しがらみなく踏み込める。神様の御膝元を遠慮なく掘り返せる。そういう連中があたしは欲しかったのさ」
「人使いが荒いなあんた」
「Xランクを目指すんだろう? その程度で音を上げるんじゃないよ」
おっしゃる通り。
どうすればいいかも、どれだけ期間がかかるのかも、どれほどの難易度の事なのかも、何もかもわからない無茶振りのようなクエストだが、FランクからXランクへ一足飛びにいこうというのだ。
多少の無理無謀なんかは簡単にはね除けねばならない。
「とはいえ、だ」
アーザードはキセルを灰皿に置いて立ち上がる。
「余所者のあんたたちだけじゃ、土地勘もない。この砂漠は知らない人間には、少しばかり厳しいからね。だから助っ人を用意してある」
彼女は支部長室の扉に向かって、遠慮なく声を張り上げた。
「おーい! 『砂時計』の連中はいるかい!? いるなら、さっさと入ってきな!」
「――呼ばれて飛び出てきましたよ支部長!」
アーザード支部長の声とほぼ同時に、扉がバンと開いて三人の人影が目に入ってきた。
先頭に立つのは、頭に布を巻いた、緑の鱗が光るリザードマン。瞬膜がある爬虫類独特の瞳。腰に反りの強い曲刀を提げている。
そのリザードマンは深月たちの方は見もせず一直線にアーザード支部長の方へ向かっていく。
「お呼びですか麗しき支部長! 貴女のハキムがやって来ましたよ!」
大きな尻尾をぶんぶんと振り回し、支部長へ一直線へ。
「お前ずっと扉の前で準備してたろ。お前の熱意はわかったから、さっさとこいつらに挨拶しな」
「はいっ!」
大きく元気よく返事をするリザードマン。
なるほど。ここの支部長はなかなか慕われているようだ。
「わざわざこんな暑い国によく来てくれた。俺ぁハキム。この『砂時計』のリーダーをやってる。ランクはB+の戦士だ。見ての通りリザードマンでな、まあこの国じゃそこそこの名の知れた方だ。元は砂漠の案内人でね。この辺りの地形と獣道なら、たいていのことは頭に入ってる」
「はじめまして、アレンです。今回はお世話になります」
「お、おう、よろしくな。ボクは深月」
ハキムは、にかりと大きく笑いながら握手を順番にしてくれる。
いい笑顔なんだろうが、どうしても大きなトカゲというものに慣れてなくて腰がひけてしまう。
隣のアレンはにこやかに握手してる、流石だ。
「『優者』に、なんとまさかギルタブリルを従えるテイマーとは! 本当によく来てくれた。他のメンバーも紹介しよう」
ハキムは扉こ前で待機してた残りのメンバーを呼び寄せる。
「私はサティです。回復と支援を担当しています」
遅れて、ハキムの隣に並んで丁寧に頭を下げたのは白い衣を纏った若い女性だった。胸元には猫の意匠をあしらった護符を提げている。
「……あの。先に、一つだけ、申し上げておきます」
サティは真剣な顔で、深月をまっすぐに見た。
「私はバステト様を、心から信仰しています。この国の民として、当然のことです。……ですから、今回の調査で、万が一にも聖獣様を疑うような真似をなさるのなら、私は良い気持ちはしません」
「サティ」
「……ですが」
ハキムが咎める声より早く、サティは、ぐっと拳を握って続けた。
「それ以上に、私はこの国の人が傷つくのを見たくありません。だから協力します。……よろしく、お願いします」
信仰と現実。その板挟みの中で、それでも前を向いいる。まっすぐな子だ。
「……シェド」
最後の一人はぼそりと名前だけを名乗った。
褐色の羽毛に覆われた腕。鋭い金色の瞳。頭部は、隼のそれだった。背には大きな弓。
鳥の獣人だ。
リザードマン、人間、鳥の獣人のパーティ。リーカーシャ王国の冒険者たちでは、あまり見られない光景だ。
深月の中で言葉に出来ない感動が広がる。
「シェドは口下手でな。だが空からの偵察と弓の腕は、この国でも一、二を争う。それに中々の美女だろう」
「……よろしく」
こくり、と小さく頷くシェド。
その金色の瞳がじっと深月を見つめ、くん、と小さく鼻を鳴らした。
深月は思わず身構えてしまった。
――やべ。フェロモンでてたか。
相手が女性で獣人ならば、いつもこの瞬間に相手がぽーっとなるか、いきなり詰め寄ってくるかの二択であるが。
どうだ。
「…………?」
シェドは不思議そうに小首を傾げただけで、それきり視線を外した。
おお、もしやもらった腕輪がちゃんと効果を出してくれているのか。
深月は手首の無骨な銀のブレスレットをこっそり撫でた。
ギルドマスターからの『ミツキフェロモン』を抑えるという代物。半信半疑だったが、どうやら本当に仕事をしてくれているらしい。
「よし、それじゃあ、さっそく行くとするか」
ひと通りの顔合わせを終えて、ハキムが手を打った。
「ぐだぐだここで話をするより、まずは現場を見た方が早い。さっそく街の外へモンスターどもを見にいこうか」




