ー8ー
そして
あれほど大地を覆い尽くしていたデーカストの大群は、その大部分が駆逐された。
砂漠は今や、見渡す限りおびただしい数の死骸で埋め尽くされている。
九十一年ぶりの悪魔の年は、たった数体の使い魔の手によってあっけなく幕を下ろした。
時折瓦礫の下で、かろうじて動いているデーカストの姿も見えるが。
「ま、あの辺の始末は、他の冒険者に任せりゃいっか」
深月は大きく伸びをした。
討ち漏らしの掃除まで独り占めしては、他の連中の仕事がなくなってしまうし、完璧を目指しすぎたら確認作業に途方もない時間がかかる。
「レーベ、蘭、お疲れさん。めちゃくちゃ頑張ってくれたな」
戦場から悠々と戻ってきた二人を深月は労った。
「もったいなきお言葉。深月様のご威光を示せたのなら、この身の働きなどなんということもありません」
「ありがとー、深月ちゃん。疲れたっていうか、退屈だったなー。流石に相手が弱すぎて単純作業になっちゃうからさ」
汗ひとつかいていない二人である。
数百万の災厄を「退屈」と評する神獣と不死王に、深月は乾いた笑いしか出ない。
「アイリスも、ネルも。ずっとボクのこと守っててくれて、ありがとな。助かったわ」
「いえ! 当然のことをしたまでですっ」
「深月ノ護衛ハ、ネルノ役目。当然。デモモット褒メロー」
褒められたアイリスが馬耳をぴんと立て、ネルが鋏を誇らしげに掲げる。
みんな無事だ。それが、何より一番いい。
仲間の状態を確認し安堵し、ふと周囲を見回した深月は気づく。
なーんか、めちゃくちゃ避けられてね?
周囲の冒険者や騎士たちが、深月たちと距離を保ったまま、遠巻きに、恐る恐るこちらを窺っている。災厄そのものを見るような、あるいは神を見るような、畏怖の眼差し。うっかり目が合うと、びくりと肩を跳ねさせて、そそくさと視線を逸らす始末だ。
「……あー。これ、完全にやりすぎたかな」
無理もない。目の前で数百万の群れが数時間で消し飛ぶところを見せられれば、そうもなる。
実力を証明する、という目的は完璧に果たしたが、その代償に深月たちは「近寄りがたい何か」になってしまったらしい。
「よーう、クソガキ! 生きてたかー!」
そんな重苦しい空気を破って、能天気な声が飛んできた。
「そっちも無事でよかったよ、おっさん」
「誰がおっさんだ! ……つっても、まあ、心配して損したぜ。とんでもねぇもん見せてもらったからな」
近づいてきたのは、『昼の影』のアルザだった。その後ろには、回復役のカミラや、他のメンバーの姿もある。彼らは深月たちを恐れる素振りもなく、むしろ好奇心いっぱいの顔で駆け寄ってきた。
「想像以上。改めてあの時はアルザの両腕を飛ばすだけで許してくれて、感謝しかない」
「お前たちならすぐに俺たちを越えて、もっと上のランクにいくだろう。願わくば今後もいい関係でいたいものだ」
「ホントですね、今までは先輩風ふかさせて貰えてましたが。皆さんならすぐに伝説のXランクに届くと思います」
「お前ら規格外にも程があるだろ。これだけ集まった冒険者や騎士様がたどうすんだよ」
アルザがたち『昼の影』は心底呆れたように、しかしどこか楽しげに接してくれる。
深月は内心でほっとしていた。
こうしていつもと変わらず軽口を叩いてくれる知り合いがいる。それが今はありがたい。
このおっさん、口は悪いが何気にこういうところで気を遣ってくれるのだ。
「あんたたち、無事だったみたいだねぇ」
そこへ、大楯を背負ったイリーダも、部下を連れて合流してきた。
「いやはや、大した見世物だったよ。おかげで、あたしらの出番は、討ち漏らしの掃除だけさ。楽させてもらったねぇ」
「あはは。なんか、すいません」
「なーに、謝ることはないさ。……ま、あんたらこれで完全に有名人だね。良くも悪くも」
イリーダは、ちらりと、遠巻きにこちらを見ている冒険者たちへ視線をやり、それから、あえて大きな声で、深月の肩を、ばしんと叩いた。
「お前ら! こいつは化け物なんかじゃないよ! ちょーっと、連れてる使い魔がヤバいだけの、フツーの生意気な新人さ! なあ?」
「フォローしてくれてるんだろうけど、めちゃくちゃ痛い!!」
周りからの畏怖の視線を少しでも和らげようとしてくれているのだろうが、本気でで痛い。
だがその心遣いは本当に嬉しいものである。
強さに怯えるでも擦り寄るでもなく。ただいつもの一人の同じ冒険者として接してくれる。
なんともありがたい先達たちだ。
「……ありがとな」
「あん? なんか言ったか?」
「なんも言ってねーよ!」
恥ずかしくて小声で言った、ほぼ独り言のような感謝の言葉。
照れ隠しに深月はそっぽを向いた。
『昼の影』や『女神の楯』との談笑が一段落した頃、アレンが笑顔で歩み寄ってきた。
「お疲れさまでした。……見事な、なんて言葉じゃ足りませんね。本当に圧倒されました」
「アレンこそ、あの魔法かっこよかったぞ。……で、なんか、話がありそうな顔してんな」
「ええ、鋭いですね」
アレンは少しだけ声を潜め、真剣な面持ちになる。
「実は折り入ってお伝えしたいことが。……深月さんたちにはこのまま南へ、砂漠を越えた先にある国、砂漠の国ラシュダールへ向かってほしいんです。そこで次のXランク昇格のためのクエストを受けてください」
「ラシュダール? そりゃまた急だな。なんでまたそんなに、慌ただしく次の国へ?」
アレンは周囲を憚るように、一歩、深月へ近づいた。
「今日のこの働きを見て、リーカーシャ王国は間違いなく、深月さんたちを『脅威』だと感じます」
「脅威、ねぇ……」
「はい。数百万の災厄を数体で殲滅する力。それは見方を変えれば、一国の軍隊すら容易く相手取れる力ということです。国の上層部がこれを放っておくとは思えません。……懐柔するか、あるいは排除するか。何らかの手を必ず打ってくるはずです」
アレンの視線が、ちらりと、遠くの本陣の方へと向けられた。そこには、あの傲慢な貴族の姿があるはずだ
「今日の活躍を間近で見ていた方々もいます。少なくとも、この国が深月さんたちの出国を妨害してくる可能性が高い。手元に囲い込もうとしてくる」
「……そりゃまぁ、そうなるか」
「だからこそ、この国が本格的に動き出す前に、今のうちに次の国へ発ってほしいんです」
「でも逃げ回るだけじゃ、キリがなくね? 次の国だって同じことを考えるかもしれないだろ」
「その通りだと思います。ですが、そこに活路があるんですよ」
アレンは静かに、しかし力強く続ける。
「一つの国だけが、深月さんたちの力を知っているなら独占しようとするでしょう。ですが、もし、あらゆる国が深月さんたちの力を知り、そして喉から手が出るほど欲しがったらどうなると思います?」
「取り合いになる、のか?」
「その通りです。どこか一国が無理に囲い込もうとすれば、他の国が黙っていない。互いに牽制し合い、結果として誰も手を出せなくなる。……各国で力を示し、『どの国も深月さんを敵に回したくない』と思わせること。それこそが、逆説的に深月さんたちの自由を守る、一番の盾になるんです」
深月は感心した。
なるほど。一つの籠に入れられないよう、あえて、あらゆる場所に顔を売って回る。強さを、鎖ではなく、翼に変えるための戦略だ。
「なるほど、納得したわ。むしろそれしかないって感じ。……わかった。ラシュダールだな」
「はい。話が早くて助かります。向こうにギルドの職員が控えていますので、詳しい道順やらラシュダールへの紹介状は、後で――」
と、アレンが言いかけた、その時だった。
「――素晴らしいっ!!」
場違いなほど、興奮しきった声が、割り込んできた。
振り返ると。
両の目を爛々と、それはもう、ぎっらぎらと輝かせた、シュテルジュ・ラッシュホードが両手を拍手させながら大股でこちらへ歩いてくるところだった。
「素晴らしい! 実に、実に素晴らしいぞ! 大地を統べる神の如き威! かの不死の王の如き、死を司る絶技! 数百万の災厄をまさに掌の上で! いやはや、感服したっ!」
「……え、な、なに? どうしたのあの人」
あまりの豹変ぶりに、深月は思わず後ずさった。
つい先ほどまで「捨て駒」だの「婦女子」だのと見下していた男が、別人のように褒めちぎってきている。
端的にいうと恐い。
「そして何より! それほどの力を一手に束ね、従えている、貴様だ! テイマー! いや――我が伴侶よ!!」
シュテルジュは深月の眼前まで詰め寄ると、感極まったように、その手を握らんばかりに叫んだ。
「貴様のその力! そしてその血! 是非とも我がラッシュホード家に欲しい! ――俺の子を、産め!!」
「…………は?」
理解デキナイ、否、したくない。
「はぁ!? できるわけねーだろ!?」
深月は反射的に絶叫した。物理的に。何がどうあっても。逆立ちしたって不可能である。
「案ずるな! 身分の違いなど気にする必要はない! たとえ貴様がどれほど賤しい生まれであろうと、俺は一向に構わん! この俺が、公爵家の一員たる俺が、貴様を娶ると言っているのだ! これ以上の栄誉があるか!」
「そういう問題じゃねぇ!! つーかテメー、頭くるってんのか!? ボクは男だ! 気持ち悪りぃっ!!」
「バカなことを言うな女、身に余る栄誉に混乱してついつい嘘を言ってしまうとは。貴様のように魅力的な男なぞいるものか!」
「――ひぇっ」
全身にぶわっと鳥肌が立つ。深月はたまらず、傍らのレーベの背中へと、ぴゅっと隠れた。
全く話が通じない、おぞましいにも程がある。
もうすでに先程までの怒りは忘れ、この男に対する恐怖しかない。
「下がれ下郎! 汚ならしい手で深月様に降れるなっ! 深月様と子を成すのはこの私だッ!!」
と、盾にされたレーベがこれ幸いとばかりに吠えた。
「ちょっと待ちなさいよレーベちゃん! そういうのは、幼馴染で初恋の私が最優先でしょ!?」
「お二人ともそういう話は抜け駆け禁止だって来ないだの第27回しもべ会議で決まったじゃないですか!! 私だって……!」
「深月ー! ネルモ子供ホシイ! 『邪危宇』チーム作ルゾー」
「なんでお前らまで張り合ってんだよ!!」
突如始まった深月を巡る泥沼の争奪戦。事態はどんどん収拾がつかなくなっていく。深月はもう頭を抱えるしかなかった。
なんでボクはこんな砂漠のど真ん中でこんなことになってるんだ、しかも一人は男だ……。
「お待ちください、ラッシュホード様」
そんな混沌に涼やかな、しかし確かな芯のある声が、割って入った。
アレンはいつの間にか深月とシュテルジュの間に、すっと身体を割り込ませていた。穏やかな笑みは浮かべたまま。だがその眼差しは笑っていない。
「いくら貴方が公爵家のご令息とはいえ。……嫌がる相手にその物言いは、あまりに横暴が過ぎるのではありませんか」
「……『優者』。貴様、俺の邪魔をするのか」
シュテルジュの声から、すっ、と熱が引き、代わりに冷たい怒気が滲む。
「退け。これは俺と、その女の極めて個人的な話だ」
「いいえ。退けません」
アレンは静かに、しかし断固として首を横に振る。
なんて頼りになる男だ、流石王国の最高の冒険者。
シュテルジュの腰から鈍い輝きを放ち、剣が抜き放たれ、その切っ先が、まっすぐアレンへと向けられる。
「二度は言わん。退け、と言っている。邪魔だてするなら――斬る」
「……やれやれ。困った方だ」
アレンもまた背中の白い剣を、静かに抜いた。二人の視線が、火花を散らして、正面からぶつかり合う。
一触即発の張り詰めた空気。
「深月さん」
剣を構えたまま、アレンが背後の深月へと静かに告げる。
「ここはオレが引き受けます。今のうちに、ラシュダールへ」
「マジで助かる。なんかアレンには助けられてばっかりだないつも」
アレンは振り返らずに、ふっと笑った。
「その言葉だけで十分です。行ってください、貴方が無事にラシュダールへ着くことが、オレにとっては一番の褒美ですから」
その迷いのない言葉を聞いて、アレンにこの場を任せようときめる。
ここで自分が残っても混乱を加速させるだけだし、何より一刻も早くこの変態貴族から離れたかった。
「恩に着るぜアレン。この借りは、いつか絶対返すからな!」
「ええ、楽しみにしています」
「みんな行くぞ! ラシュダールだ!」
深月はアイリスの背に飛び乗り、レーベたちを引き連れて駆け出した。傲慢な変態ホモ貴族の魔手から逃れるために、砂漠の南へひた走る。
「待て女ぁっ!! 俺は諦めんぞ!! 必ずお前を子をに産ませてやる!!」
深月はしばらく悪夢にうなされることとなった。
◇
深月たちの姿が、砂煙の彼方へと完全に消えると。
剣を交えたまま睨み合う、二人の男だけが、その場に残された。
「……逃がしたか」
シュテルジュが忌々しげに舌打ちをし、探るようにアレンを見据えた。
「なぜそこまでする。……貴様、あの女に惚れているのか」
その問いにアレンは、少しだけ返答に窮した。剣先を下ろさぬまま、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……まだ自分でも、よくわからないんです。この気持ちが何なのか」
正直な答えだった。
「ですが。……深月さんにはいつも笑っていてほしい。理不尽に脅かされることなく、あの人らしく自由に笑っていてほしい。それだけは心の底からそう思っています」
「くっ……くくっ」
シュテルジュが堪えきれないとばかりに、喉を鳴らして笑った。
「それを世間では惚れている、と言うのだ。何を初心なことを」
彼は構えをとき、剣を鞘に収めながら嘲るように続けた。
「だが甘い。甘すぎるぞ『優者』。あれほどの力を手にした者が、平穏になど暮らせるものか。あの力はあまりに過ぎた力だ。……いずれあの者自身を、周囲を、食い潰す。それが力というものの宿命よ」
「……」
「だからこそ、大いなる力には相応の器と、居場所と、使い道を、与えてやらねばならん。それこそが力に飲まれぬ、唯一の救い。俺はそれを与えてやろうと言っているのだ。これは慈悲ですらある」
「それが貴方の考えですか」
アレンは静かに息を吐き、剣を収める。
まっすぐにシュテルジュを見返した。
「オレはそうは思いません。……貴方は深月さんの『力』しか見ていない。どう使うか、どう飼い慣らすか、そればかりだ」
無意識に握った拳に力がこもる。
「オレは力なんてどうでもいい。……オレはただ、あの人自身の幸せを祈っているだけです。誰かの道具としてじゃなく、あの人があの人のままで笑って生きられることを」
「現実をまるで見ていない綺麗事だな」
シュテルジュの目が剣呑に細められ、アレンを一瞥したあと自分の指揮する騎士団の方へ戻っていく。
そしてその一部始終を、
少し離れた岩陰から、ドン引きした顔で見つめる冒険者たち。
「……なあ、カミラ。ありゃ一体なんの茶番だ?」
「私に聞かれても困る。とりあえず、めちゃくちゃキモい」
『昼の影』の面々である。
「元を辿れば、お前たち2人がアレンが性別を勘違いした時に訂正しなかったからだろ……」
「そうは言ってもよ、ジェイクだって結局アレンに言わなかったじゃねぇかよ」
「そうそう。私たちは4人みんな同罪、共犯者」
「えぇ!? 私もっ?」
「当たり前だろ、ククミだって結局アレンにあのガキが男だって言ってねーだろ」
「1人だけ逃げようとしても無駄。私たちは全員一蓮托生」
「言おうとしても、アルザとカミラが邪魔したんじゃないですかーっ」
あのガキを見た者は、男も女も、種族すらも超えて、次々と虜になっていく。動物だろうとモンスター娘だろうと、公爵家の跡取りだろうと、この国最強格の冒険者だろうと。
最初のうちは深月をめぐる勘違いだらけの色恋沙汰を「面白い見世物」と笑って眺めていたアルザたちだったが。
「……あのガキ、ホントにヤバいフェロモン出てるんじゃねぇだろうな。ちょっと洒落にならねぇぞ」
もはやそれは一種の災厄と言っていいかもしれない。
深月という存在の底知れぬ「魔性」に、4人は今更ながら背筋を冷たくするのであった。




