ー7ー
まだ夜が明けきらぬ、闇が混じる明け方。
砂漠の地平線を、真っ黒な津波のように埋め尽くすデーカストの大群を前に、冒険者と騎士団は粛々と配置についていた。
張り詰めた静寂。誰もが来たるべき濁流の瞬間を、固唾を呑んで待っている。
その最前線で、深月はアイリスの背に乗っていた。
傍らには、ネルと、倉木。少し離れて、白い剣を携えたアレン。そして馬上で全軍を睥睨するシュテルジュ・ラッシュホードの姿。
「全軍、傾聴せよ!」
シュテルジュの声が、明朝の空気を裂いて戦場に響き渡った。
「九十一年ぶりの災厄、悪魔の年! だが恐れることはない! 我らはこの日のために幾年もの備えを重ねてきた! 一匹たりともこの砂漠より先へは通さぬ! 我らの後ろには、守るべき民の暮らしがあることをゆめ忘れるな!」
おおおおっ、と。地鳴りのような鬨の声が、シュテルジュの鼓舞に応えて上がる。
……くそ、悔しいが、様になってやがる。
深月は内心で舌打ちした。あの傲慢な男が、こうして全軍を鼓舞する姿は否定しがたい「強者」の風格を纏っていた。人を率いる者の声というやつだ。
「さあ。宴の始まりだ」
シュテルジュは片手を高々と掲げると、朗々と魔法の詠唱を紡ぎ始めた。
「我が指に灯るは、万物を灰塵に還す焔。業火よ、審判の名のもとに、この地を浄めよ」
その手のひらに、太陽が生まれたかと錯覚するほどの、膨大な熱と光が凝縮していく。
「『煉獄審判)』」
放たれた灼熱の奔流。
それは巨大な火焔の柱となって、押し寄せるデーカストの群れの中心に叩き込まれた。
ドオオオンッ、と。大地を揺るがす爆音。渦を巻く紅蓮が、無数のバッタを一瞬で炭に変えていく。
そしてそれを皮切りに。
「――放てーーーーッ!!」
後方に控えた魔法騎士と、魔法を使える冒険者たちが一斉に詠唱を解き放った。
炎が、氷が、雷が、風の刃が。深月たちの頭上を越えて、雨あられと敵陣へ降り注ぐ。砂漠の空が色とりどりの破壊で埋め尽くされた。
「オレもいきます」
その光の下で、アレンが静かに白い剣を天へと掲げる。
その刀身に清冽な風が集い、渦を巻き白銀に輝いていく。
「巡り、集え、天上の風。一陣の刃となりて、我が敵を薙ぎ払え。『天翔ける白刃』!」
振り下ろされた剣先から、巨大な風の斬撃が、真空の弧を描いて飛翔する。それは地を這うように疾走し、デーカストの群れを一息になぎ払った。列を成していたバッタがまとめて宙へと吹き飛ばされる。
「すげぇ……っ!」
そのあまりに壮絶な光景に、深月は思わず恐怖も忘れて興奮の声を上げた。
魔法。剣技。人の身が振るう、規格外の力の奔流。ゲームや映画でしか見たことのなかった光景が目の前で、現実として展開されている。単純にかっこよかった。
やがて濛々と立ち込めた土煙と熱気が、風に流されて、晴れていく。
その先に広がった光景を見て深月の興奮はすぐに引いていく。
「あれ……、減ってなくね……?」
確かに最前列は焼き払われた。おびただしい数のデーカストが骸となって砂に転がっている。
だがその後ろから。
空いた隙間を埋めるように。また黒い群れが変わらぬ密度でじりじりと押し寄せてくる。
まさに焼け石に水。海の一滴。あれほどの魔法の飽和攻撃を叩き込んでなお、群れの総量は目に見えて減った気がしない。
それが数百万という数の暴力だった。
「さて」
馬上のシュテルジュが深月を振り返る。
その口元には、あの薄い笑みが浮かんでいた。
「お手並み拝見、といこうか。テイマー殿」
「言われなくても」
深月は不敵に応じてみせた。
正直、内心はすでに全力で仲間任せである。
深月自身は、せいぜい『ミツキフェロモン』を使ってバッタを半数呼び寄せることしかできない。深月が戦えばデーカストキングには歯が立たないだろう。
だが、今はそれでもいい。
なにしろ仲間が規格外なのだから。
だったら胸を張って任せるだけだ。いっそ清々しいほどに。
「レーベェッ!! 頼んだッ!!」
その無責任な丸投げとも言える号令に。
レーベはこの上なく嬉しそうに微笑む。
「お任せください。この一番槍の栄誉、確とお応えいたしましょう」
そう言うと、レーベはおもむろに着ていた学ランの上着を脱ぎアイリスへと手渡す。
レーベのその完成された肢体が露になる。
「アイリス、頼む」
「あ、はい。お預かりします」
そしてレーベは、一歩、前へ進み出る。
深く、大きく息を吸い込んだ。
「『誓いをここに。大地よ。ただ、君を愛した、アイネロウスの』」
――――――ドクンッ。
大地の深い底から。まるでこの星そのものの心臓が、脈打ったかのような、巨大な鼓動が確かに響いた。
レーベの手足を覆っていた、あの黒い鉱物のようなもの。それが、生き物のように蠢き、彼女の身体のラインに沿って、どんどん広がっていく。腕を、脚を、胴を包み込み――やがて、漆黒に輝く神々しいまでの一領の鎧となった。
『神気』
そして次の瞬間、辺り一帯を神話の気配が支配する。
あまりに濃密な生き物としての「格」の波動。その場に居合わせた冒険者も、騎士も、あのシュテルジュでさえも、根源的な畏怖に打たれ、思わず膝を屈したくなる衝動に襲われる。
そしてそれは、敵とて同じ。
あれほど猛り狂って押し寄せていたデーカストたちが、虫の浅い知性でもなお抗いようのない恐怖に、ぴたりと、動きを止めた。
深月がこの姿のレーベを見るのは二度目だ。
かつて、彼女が倉木蘭と殺し合うように戦った、あの時以来。
……相変わらず、めちゃくちゃかっこいい。まるで、黄金○闘士みてー。
この期に及んで、深月の感想には緊張感の欠片もない。
「深月様。どうかご覧ください」
神話の鎧を纏ったレーベが静かに告げる。
「私が『大地の化身』と、そう呼ばれる、その所以を」
そしてレーベは、トン、と、右の踵で砂漠の大地を静かに踏み鳴らした。
――刹那。
彼女を中心に、砂漠の砂がざあっと巻き上がり、意思を持ったかのように、次々と「形」をなしていく。
鋭い大きな角を持つ、トラともサイとも似る四つ足の大型の獣。その姿を象った砂の塊が、一体、また一体と、地面から起き上がる。
それは瞬く間に、見渡す限りを埋め尽くす、数え切れぬほどの砂の獣の軍団となった。
「夢か、これは……」
誰かが呆然と呟いた。
そして砂の獣たちは、レーベの意思のままに、津波と化してデーカストの群れへと殺到する。角で貫き、牙で噛み砕き、爪で引き裂き、その巨躯で圧し潰す。
無数の砂の獣が、災厄の群れを逆に蹂躙し始める。
「な……なんだ、あれは……」
馬上でシュテルジュが絶句していた。彼だけではない。居並ぶ騎士団の誰もが、目の前の非現実的な光景に言葉を失っている。
「この姿の私にとって、大地とは手足の延長線のようなもの。石も、砂も、土も。触れる大地の全てが私の意のままに動きます」
「これゴーレムってやつ!? すげぇ! レーベすげー!!」
一方、深月だけは恐怖も忘れて、無邪気に大興奮していた。
さっきからひたすら驚いて興奮しかしてない。
褒められたレーベは鎧姿の凛々しさとは裏腹に、喜びで頬を紅潮させる。
「ふふっ。深月様、こんなこともできます」
嬉しさを隠しきれない様子で、レーベがもう一度踵を踏み鳴らした。
すると今度は。
砂がより高く、より大きく、天を衝くほどに盛り上がり、一体の巨大な人型が形をなしていく。
そしてそれはなんと、深月の姿をそっくり象った、砂の大巨人だった。
ずしん、ずしんと大地を踏みしめ、その巨大な深月がデーカストの群れを片端から踏み潰していく。
「……なにこれ?」
なお、その表情は心なしか、本物よりも凛々しく、雄々しく仕上がっている気がする。
「オーーーッ! 深月ダーッ!! スゴイ!! カッコイイーッ!!」
ネルが、鋏を打ち鳴らして、大興奮している。
「……いや。これは、ちょっと……」
自分そっくりの巨人が砂漠を蹂躙する光景に、深月はなんとも言えない、微妙な表情になった。
恥ずかしいような、いたたまれないような。
わかりやすくいえばセンスが悪い。
「深月様、深月様。このデーカスト駆除が無事成功した暁には、この巨大深月様の像を、記念にこの地へ残しておきましょうか」
「絶対やめろ!!」
アイリスがにっこり笑いながら、とんでもないことを言い出したので全力で拒否した。
こんなダサいものを砂漠に建立されてたまるか。
砂の獣の包囲を掻い潜って、時折こちらへ飛び出してくるデーカスト。それらはネルがしなやかに尾と鋏を振るうたびに、無造作にその身体を四散させていった。深月の護衛は万全である。
「おい、サボるな新入り」
ふとレーベが後方に佇む倉木へと、鎧越しに声をかけた。
「いやー、だってさぁ」
倉木は頬をかきながら、へらりと笑う。
「先輩があんまりにもスゴすぎるせいで、私の出る幕、なくない?」
「抜かせ、後輩」
レーベは、ふん、と鼻を鳴らした。
「悔しいがな、今回のような数だけが頼りの相手なら、私の力ではどうしても多少の討ち漏らしが出る。その点、貴様の力は数だけの有象無象とは相性がいい。深月様のご威光をあまねく轟かせるため、しっかり励め」
「はいはい、わかりましたよ、パイセン」
倉木は肩をすくめて、それからふっと目を細めた。
「深月ちゃんのためなら、ま、ひと働きしますか」
そう言うと倉木は、まるで公園を散歩でもするかのような、のんびりとした足取りで、あろうことかデーカストがひしめく戦場の、ど真ん中へと歩み出していった。
「いちおー、指向性を持たせるように、練習はしてきたんだけどね」
群れのただ中で、倉木は深月の方を振り返り、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「もし、ちょっと気持ち悪かったらごめんね、深月ちゃん」
その言葉を合図に。
――――『|《全てに等しき安らぎの園』
世界が、変わった。
倉木を起点に、朝が、夜へと塗り替えられる。あたり一帯が昏く、深く、静かな死の気配に覆い尽くされていく。
その空間にいるだけで、生命がそのものが蝕まれ、奪われていく。存在することさえ許されない、絶対的な死の領域。
以前、深月が目にした時には、この魔法は倉木を中心に全方位へと展開された。だが今回は違う。
彼女はそれを明確な「指向性」をもって、デーカストの群れが蠢く前方へと、扇状に、広範囲に解き放っていた。
効果は劇的だった。
あれほど頑強なデーカストキングでさえ、その身を苛む死の気配に、動くことも、息をすることすら、ままならなくなる。
そしてFランクに過ぎない無数のデーカストには抗う術もなく、ただ静かに命の火を消していく。
倉木はその死の空間の中を、たった一人、悠然と歩く。
時折、動けずにいるデーカストキングに、そっと触れる。
「ばいばーい」
彼女の指先がが触れた個体から、直接生命力が吸い上げられる。
『ドレインタッチ』
抗いようもなく、キングはその活動を終えていく。
「……ぁ……」
シュテルジュが、騎士団が、そして、深月と不死王のダンジョンを冒険していない大勢の冒険者たちが。
目の前で繰り広げられる、あまりに現実離れした光景を受け止めきれずにいた。
神獣が大地を操り、死の女王が戦場を枯らしていく。まるで覚めない悪夢のようだと。
「それでは深月様」
その地獄のような戦場を背に、レーベが深月へと振り返った。
「まだしばらく時間が掛かりそうですので。私も行って参ります」
「おう。気をつけてなー。怪我すんなよ」
あまりに常軌を逸した光景を前に、深月の感覚は逆に麻痺して、妙に落ち着いていた。
まるで近所へ買い物にでも送り出すような、気軽な返事になる。
「はっ。お心遣い、ありがとうございます」
レーベは恭しく頭を下げ、それから少しだけ、恥ずかしそうに、言いづらそうに、もじもじと口を開いた。
「その……つきましては。この虫けらの駆除が終わりましたら、今回のご褒美を、頂きたいと……」
褒美。
ああ、なるほど。これだけ働いてくれたんだ、何か報いるのは主人として当たり前のこと。
何か欲しいものでもあるのだろうか。
「もちろん、いいぞ。今回はめっちゃ頑張ってくれてるしな」
深月は鷹揚に頷く。
「なんでも買ってやる。……ま、あんまり高すぎるものは、勘弁な」
「ありがとうございますっ!」
レーベはぱあっと顔を輝かせ、拳を握りしめ、高らかに宣言した。
「深月様とのべろちゅーのため、一層っ、励みますッ!!」
「はぁ!? そんなこと一言も言ってねーだろ!?」
「ネル、アイリス! 深月様の護衛、頼んだぞッ!」
「都合の悪いことは聞こえないふりすんな!!」
深月の絶叫を綺麗に黙殺し、レーベはもう一度踵を鳴らす。砂の獣を、巨大深月を、さらに増産する。
そして。
「では、深月様。貴方の一番の下僕の活躍を、どうか篤とご覧ください」
颯爽と戦場へと身を躍らせた。
漆黒の鎧を纏った神獣が、恐ろしいほど魔力で強化されたただの徒手空拳で、デーカストの群れを、殴り、蹴り、次々と彼方へと吹き飛ばしていく。
もはや大地を操るまでもない。その一挙手一投足のひとつが災害だった。
「レーベさんだけずるいっ!!」
深月を乗せていたアイリスが、ぷんすかと声を上げた。
「私だって、私だって、深月様とべろちゅーしたいですーっ! しかも、どさくさに紛れて『一番』を名乗ってませんでした!? 大事なのは、出会った順番じゃないですからね!? 私だって!!」
「ベロチュー、イイナー。ネルモ、欲シイ。深月ー、ベロチュー!」
背後で繰り広げられる、姦しいベロチュー争奪戦。
その声を遠く聞きながら。
深月は地獄と絶技の入り混じる戦場を、ただただひどく遠い目で見つめるのだった。
「今回もボク、なんもしてねぇなー」




