ー5ー
二日にわたる行軍の末、キャラバンはついに、大規模クエストの拠点に到着した。
「うっわ、すげー」
アイリスの背から身を乗り出して、深月は思わず声を漏らした。
砂漠の入り口に広がっていたのは、立派な前線基地だった。
先に到着していた騎士団や冒険者たちの手によるものだろう。頑丈な木組みの防壁がぐるりと巡らされ、内側には無数の天幕がずらりと立ち並んでいる。物見櫓が突き出し、炊き出しの煙が上がり、負傷者を運ぶための区画まで整然と設けられていた。
まるで、一つの小さな町がそっくり移動してきたかのようだ。
「たった数日でこれだけのものを作ったのか。人間ってすげーな……」
「九十一年ぶりの国家的な大事ですからね。国も本気ってことですよ」
隣にいたアレンが、感心する深月に解説を添える。
キャラバンが運んできた食料や物資が、慌ただしく基地の中へと運び込まれていく。その搬入作業の喧噪の中を、一人の男が、まっすぐこちらへ歩み寄ってきた。
磨かれた鎧に、魔法騎士を示す意匠のマント。実直そうな顔つきの壮年の男だ。
「お待ちしておりました。この前線基地の維持・管理を任されております、第二魔法騎士団隊長、マーカスと申します」
男は深月とアレンに向かって、折り目正しく敬礼した。
「名高き『優者』殿に、直接お会いできて光栄です。此度のクエスト、貴殿のご助力を心強く思っております」
「いえ、こちらこそ。基地の運営、ご苦労さまです。オレたちも精一杯やらせてもらいますよ」
アレンもいつもの腰の低さで応じる。
マーカスの視線が、ちらりと深月にも向けられた。値踏みするようなものではない。純粋に「これが噂の」という、興味と、わずかな戸惑いが混じった目だ。
「よろしくお願いします。ボクは深月。こっちがボクの使い魔たち」
「……はっ、承知しました。よろしくお願いいたします」
こないだの差別的な貴族とは違い、この隊長は少なくとも礼儀をわきまえているらしい。
「早速ですが――現在の前線の状況を、ご覧いただけますか。言葉で説明するより、その目で見ていただいた方が早いでしょう」
マーカスに促され、深月たちは最前線へと向かうことになった。
◇
基地を出て砂漠を少し進む。
そこは、すでに戦場だった。
視界の先に、まとまった集団を成したデーカストの群れが、いくつも押し寄せてきている。まるで、本隊に先んじた先遣隊とでも言うように。その中には、ひときわ大きな影――イノシシほどもある、デーカストキングの姿も、ちらほらと混じっていた。
「散開! 第三射、来ます!」
号令とともに、後方に控えた魔法騎士や、魔法を操れる冒険者たちが、一斉に詠唱を紡ぐ。
次の瞬間、炎が、雷が、氷塊が、群れの中心へと叩き込まれた。爆発。飛び散る羽と外殻。大規模な魔法が、押し寄せるバッタの塊を、まとめて薙ぎ払っていく。
そして、その爆風を掻い潜って生き残った討ち漏らしを、前衛の冒険者たちが剣や槍で一匹ずつ確実に仕留めていく。
魔法で数を削り、剣で漏れを狩る。よく統制された連携の取れた迎撃だった。
「へー、ちゃんと組織立ってんだな」
感心しかけた深月だったが。
ふと、その視線が戦場のはるか彼方へと吸い寄せられた。
――――――地平線が、黒い。
砂漠の果て、空と大地の境目が、まるで墨を流したかのように真っ黒に染まっている。それがじわじわと、こちらへ向かって蠢いていた。
「……マーカスさん。あの、遠くの黒いの、何?」
深月が指さすと、マーカスは静かに、しかし重々しく答えた。
「あれがは全てデーカスト、敵の本隊です」
「…………はぇ?」
深月の喉が、ひゅっと鳴った。
あの、地平線を埋め尽くす黒い塊が。全部。バッタ。
今、目の前で繰り広げられている激戦は、その本体からこぼれ落ちた、ほんの先っぽに過ぎないというのか。
「……マジかよ。スケールがバグってんだろ……」
あまりの物量に、深月は思わず乾いた笑いが出そうになる。
数百万匹という言葉は聞いていた。だが実際にこの目で見る「数百万」の圧は、想像の遥か上をいっていた。
さらこの中でに大きくうごめくデーカストキングの群れ。一匹一匹がC級モンスターに迫る危険度を持つという化け物。それが、あんなに。
「……深月様。お顔が真っ青ですが」
「うっさい! ビビってねーし! ちょっと想像の十倍は数がいたな、って思っただけだ!」
「ビビってるなんて誰も言ってないよ深月ちゃん」
完全にビビっていた。
と、その時だった。
前線の一角で、大規模魔法の掃射を掻い潜った一匹のデーカストキングが、砂を蹴って跳躍した。狙いは詠唱を終えたばかりで、無防備になった後衛の魔法使い。
鋭い顎が、獲物めがけて襲いかかる。
「危ないっ!」
深月が思わず叫んだ、その刹那。
パキィンッ、と。
澄んだ音とともに、デーカストキングが宙で凍りついた。
跳躍の姿勢のまま、一片の氷像と化して、どさりと砂の上に落ちる。
「……え?」
深月は転がった氷漬けのデーカストキングへと近づき、まじまじと観察する。
近くで見ると、その巨体とぎらつく複眼、鋸のような顎の凶悪さがより際立つ。こんなものが万の単位でいると思うと、背筋が寒い。改めてこいつらが「悪魔」と呼ばれる理由を肌で理解した。
「なんや、自分らが来たんか」
少し気だるげな、聞き覚えのある関西訛りが背後からかけられた。
振り返ると、そこにいたのは楕円形の眼鏡をかけた無表情の青年。手には開いたままの本が一冊。
「お、テオじゃん! 久しぶり!」
『氷の男』テオ・ラークス。
今の氷漬けはこいつの精霊術か。
「お前、今度は『邪危宇』来いよなー。あれ絶対楽しいのに、なんで来なかったんだよ」
「アホか」
テオは心底うんざりした顔で息を吐く。
「『ツインエッジ』の双子が、危うく死にかけたとか言うとったぞ。どんな遊びやねん。……まあ、気ぃ向いたらな」
「絶対来いよー! 約束だからな!」
「気ぃ向いたら言うとるやろ」
にべもない。だがその口調に棘がないのは深月にもわかる。この無愛想な男なりの親しみの表現なのだろう。
と、テオの視線が深月の後ろに控えるレーベと倉木の姿を捉えた。
その瞬間、彼はぱたんと本を閉じくるりと踵を返した。
「……自分らが来たんなら、もうええやろ。帰るわ。ほな」
あっさりと帰り支度を始めるテオに、慌てたのはマーカスだった。
「お、お待ちください、テオ殿! 貴殿ほどの魔法使いに帰られては、前線が持ちません! どうか、もうしばらく」
「知らん、オレの出番はもう終わりや。あとはソイツらに任せとけばええよ」
そんな押し問答が繰り広げられる。
「下賎な冒険者風情など、捨て置け」
冷たく、傲慢な声が割り込んできた。
お供の騎士を数名引き連れて現れたのは、あの貴族だった。キャラバンの道中で、深月やしもべたちを見下し「匹」呼ばわりした、あの男である。
「これはシュテルジュ様! ご到着、ご苦労様でございます!」
マーカスが弾かれたように姿勢を正し、深々と敬礼した。
シュテルジュ。ようやくあの貴族の名前が知れた。
だが当のシュテルジュは、忠実に頭を下げるマーカスには一瞥もくれなかった。彼の視線は、まっすぐにアレンへと注がれていた。
「久しいな、『優者』」
「……お久しぶりです、ラッシュフォード様」
アレンが丁寧に、しかしどこか硬い声で応じる。
二人は知り合いらしい。それも、あまり穏やかではない類の。
「どうだ。我が国へ――我が騎士団へ仕える決心はついたか?」
やはり、そういう話か。深月は二人のやり取りを黙って見守った。
リーカーシャ最強に近いと言われる冒険者。それをこの国の貴族が放っておくはずもない。
アレンは少しの沈黙の後、静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「そのお話は、以前もお断りした通りです。オレの力は弱い立場の人のために使いたいので」
「ほう?」
シュテルジュの片眉が、不快げに跳ね上がる。
「それは我が騎士団が弱き民の助けにならぬと、そう言っているのか?」
「そんなことはありません」
アレンは慌てず、言葉を選んで続けた。
「騎士団は、国を、民を守る、立派な盾です。それは、オレも尊敬しています。……ですが、オレはもっと自由に人を助けたいんです。国境も、身分も、関係なく。困っている人がいれば、どこへでも駆けつけられる。そういう形で在りたい」
その言葉に嘘や気負いはなかった。ただ、この男の生き方がそのまま滲み出ていた。
ああ、こいつは。本物のお人好しだ。
深月は内心でアレンを見直した。迷子を助けて遅刻するような男だとは思っていたが、その根っこは、こんなにもまっすぐだったのか。
「……まあいい」
シュテルジュはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「いずれ貴様にも分かる。助けられる者にも、順序というものがあるのだとな。その青臭い理想はいつか貴様の身を滅ぼすぞ」
言い捨てると、シュテルジュはおもむろに片手を掲げ、朗々と詠唱を紡ぎ始めた。
その手のひらに膨大な魔力が収束していく。
次の瞬間、基地へ近づきつつあったデーカストの一団めがけて巨大な爆炎が撃ち出された。
ドオンッ、と。凄まじい熱波と轟音。
群れは一瞬で炎に呑まれ、跡形もなく焼き尽くされた。灰すら残らない圧倒的な火力。
……悔しいが、強い。あの傲慢さがただの虚勢ではないと認めざるを得なかった。
「此度の作戦、要となるのはこの俺や、貴様のような強者だ」
シュテルジュは焼け野原を背に、深月へとちらりと冷たい視線を投げた。
「精々、上手く使ってやることだ。――そこの、捨て駒どもをな」
言うだけ言って、彼は再び悠然と去っていった。
捨て駒。
その言葉が深月の中で、ぐつり、と煮え立った。
この際自分のことはいい。何を言われようが慣れている。だがレーベを、ネルを、アイリスを、蘭を。こいつらのことを、道具みたいに――「捨て駒」と。
「…………上等じゃねーか」
深月は、ぽつりと呟いた。
それから後ろを振り返り、仲間たちを見据えて――にぃ、と、好戦的に口の端を吊り上げた。
「なあ、みんな。……今回だけは、特別に許可する」
深月がめったに口にしない、その言葉。
「――本気で、いくぞ」
レーベの瞳が爛々と輝いた。まるでずっとこの言葉を待ち焦がれていたかのように。
「はっ! お任せください、深月様!」
レーベは感極まったように胸に手を当て、天を仰いだ。
「必ずや、深月様の御名を、天高く響かせてご覧に入れましょう! あの無知蒙昧な輩どもに、深月様がいかなる御方か骨の髄まで、わからせて差し上げます!」
「あの態度は、さすがにムカつくもんね。深月ちゃんの凄さ、みんなに見せつけてやろーよっ」
「イッパイ、チョンパ、ヤルゾー!」
倉木もネルも手と鋏を高々と掲げて、やる気満々である。
「……いや」
その想像以上に燃え上がった三人を見て、深月の顔から、す、と血の気が引いた。
「別にボクの名前を有名にしてほしいわけじゃ……つーか、むしろ目立ちたくないんだけど……あれ? ボク、なんかはやまった?」
勢いで言ったはいいものの。この暴走特急みたいな面々に「本気」の許可を出すということが、何を意味するのか。深月は、早くも少しだけ後悔し始めていた。
「あ〜〜〜……もう、知りませんからね……」
その隣で、事の顛末を悟ったアイリスががっくりと頭を抱えている。
誰よりも常識を弁えた彼女には、これから何が起きるのか手に取るように見えているのだろう。
「チーム深月、ファイトー! オー!」
ネルの音頭で、レーベと倉木、諦めたアイリスが拳を突き上げる。
「「オー!」」
妙な結束を見せる、暴走気味の仲間たち。
その気合い十分な光景を、深月は乾いた笑いとともに眺め、そして、遠く地平線を埋め尽くす、黒い悪魔の群れへと、視線を戻した。
「ま、なるようになるか」
九十一年ぶりの悪魔の年。
誰による、誰を相手とした、誰にとっての悪魔の年になるのか。
深月ですら知らない、深月パーティの「本気」が、いよいよ、この砂漠で解き放たれようとしていた。
もうしばらく毎日投稿できる、はず、
前話のシュテルジュの台詞を少し変更しました。
以下、変更後の文
「なんだ。たかがAランクのギルタブリルが一匹と、あとは亜人と獣人を数匹侍らせているだけの女だとはな」
匹、女。
その言葉に深月の頭の中がカチンとなった。
亜人も獣人も、人と同じように言葉を話し、笑い、深月の大切な人たちである。それを「匹」と。
しかもよりにもよって女扱い。
深月の地雷ツートップだ。




