第二十話「共鳴」
帝国議会の式典は、白鳳宮の大広間で行われた。
舞踏会と同じ場所だった。
フィオナは馬車の窓から会場の正面玄関を見て、一ヶ月前のことを思い出した。荷馬車の荷台。裏口の搬入口。薄暗い控え室。
今日は正門から入る。
アリスターの隣に、専属装填師として。
「……感慨深いですね」
思わず口に出たら、向かいに座ったアリスターが眉を上げた。
「何が」
「一ヶ月前は荷馬車で裏口から入りました」
「知っている」
「え」
「調査の時に記録を見た」
フィオナは少しだけ黙った。
「全部、読んだのですか」
「全部」
アリスターが、窓の外を見た。
「七年分」
それだけだった。
フィオナも何も言わなかった。
馬車が正門に近づいていく。
フィオナは膝の上の手を、一度だけ握った。
大広間に入った瞬間、視線が集まった。
舞踏会の夜と同じ感覚——でも、種類が違う。あの夜は「誰だ」という視線だった。今日は「やはりあの女か」という視線だ。
一ヶ月の間に、噂は広まっていた。
ヴォルフハルト公爵の魔力を制御した謎の装填師。舞踏会で公爵の手に靴を残して消えた金色のドレスの女。アルトマム伯爵家の、灰かぶりの娘。
全部、繋がって、帝都の社交界を駆け巡っていた。
フィオナはその視線を、まっすぐ受けた。
逃げる必要はない。今日のフィオナは、ヴォルフハルト公爵家専属装填師だ。金のチョーカーが喉元で光っている。金の刺繍の入った深緑のドレスは、セバスチャンが用意してくれた。
隣にアリスターがいる。
その事実が——不思議と、重さになっていた。支えるような、圧のような、でも悪くない重さ。
「緊張しているか」
低い声が、耳に近いところで言った。
「していません」
「嘘だ」
「……少しだけ」
「そうか」
それだけだった。
でも、アリスターの歩く速度が、少しだけ遅くなった。フィオナに合わせるように。
フィオナは気づいていないふりをした。
式典の前半は、帝国の高官たちの挨拶が続いた。
フィオナはアリスターの少し後ろに立って、会場全体を見渡していた。
装填師として来ているのだから、仕事をする。それがフィオナの今日の目的だ。アリスターのデバイスの状態を監視して、何かあれば即座に対応する。
デバイスは安定していた。
でも——会場には、他にも多くの魔導器がある。高官たちの護衛用デバイス。照明用の魔導灯。空調用の魔力回路。全部が、緩やかに魔力を消費しながら動いている。
その中で——フィオナはひとつ、気になるデバイスを見つけた。
会場の東側。護衛の一人が持っている、剣型の魔導器。魔力の流れが——微かに、不安定だった。
(整備不良、ね)
このまま放置すれば、式典の最中に誤作動する可能性がある。
フィオナはセバスチャンに近づいた。
「東側の護衛、三番目の方のデバイスが不安定です。式典後に確認を」
「……気づかれましたか」
「声が聞こえたので」
セバスチャンが、眼鏡を押し上げた。
「承知しました。式典後、その護衛をフィオナ様のところに伺わせます」
「よろしくお願いします」
それだけの会話だったが——近くに立っていた初老の高官が、聞こえていたらしく振り返った。
「今の——」
「はい」
フィオナは頭を下げた。
「ヴォルフハルト公爵家専属装填師のフィオナ・アルトマンと申します」
「フィオナ・アルトマン……エリン・ヴェインの娘か?」
フィオナは止まった。
「ご存知でしたか」
「知っているとも」
老高官が目を細めた。
「君の母は、私が若い頃に一度だけ会ったことがある。同じ目をしているな。あの、全部見透かすような目」
フィオナは何も言えなかった。
「エリンは天才だったが——頑固でな。装填師協会と折り合いが悪かった。でも、腕だけは本物だった」
「……はい」
「君も、そうらしいな」
老高官が微笑んだ。
「エリンの娘が、ヴォルフハルトの『バグ』を制御した。聞いた時は信じられなかったが——なるほど、納得した」
老高官が去っていく背中を、フィオナはしばらく見送った。
全部見透かすような目、と言われた。
(お母さん、私は——あなたに似ていますか)
心の中だけで、問いかけた。
式典の後半、フィオナは会場の端で護衛のデバイス修理をしていた。
細工刀が動く。クリスタルの位置を微調整する。声を聴く。整える。
五分で終わった。
「ありがとうございます」
護衛が頭を下げた。
「気づかなかったです、自分では」
「整備は定期的に。特に大きな式典の前には」
「はい。肝に銘じます」
護衛が戻っていった。
フィオナは細工刀を拭いて、道具入れに戻した。
「仕事をしていたのか」
背後から声がした。
アリスターだった。
「護衛の方のデバイスが不安定だったので」
「式典中に」
「放置する方が問題です」
アリスターが、少しだけ――また、目元まで笑った。
「君は、どこでも装填師だな」
「それ以外の何かのつもりはありません」
「そうか」
アリスターがフィオナの隣に立った。
二人で、会場を見渡した。
広間の中央では、高官たちが話し合っている。魔導灯の光が満ちている。遠くで、弦楽の演奏が始まった。
「一ヶ月前、ここで」
フィオナは言った。
「逃げました」
「知っている」
「今日は逃げません」
アリスターが、フィオナを見た。
「今日は、ということか」
「今日は」
「明日は」
「明日は——まだ分かりません」
アリスターが、また口の端を動かした。
「正直だな」
「嘘をついても——」
「仕方がない」
二人同時に、言った。
フィオナは少しだけ、目を細めた。
笑ったのか笑わなかったのか、自分でも分からない、そういう表情で。
アリスターが静かに言った。
「フィオナ」
「はい」
「ここにいてくれ」
命令ではなかった。
今まで聞いたことのない、穏やかな声だった。
フィオナは前を向いたまま、答えた。
「……いますよ」
「今日だけか」
「今日は、確実に」
「明日も」
「明日も——たぶん」
「明後日も」
「明後日は——まあ、おそらく」
アリスターが、低く笑った。
フィオナも、今度こそちゃんと——笑った。
小さく、静かに、でも確かに。
弦楽の音楽が、広間に満ちていた。
一ヶ月前、この場所で嵐を鎮めた。
今日は——嵐の隣で、静かに立っている。
それが、不思議と——心地よかった。
帰りの馬車の中。
フィオナは窓の外を見ていた。夜の帝都が流れていく。
隣に——アリスターが座っていた。向かいではなく、隣に。
いつからそうなったのか、フィオナには分からなかった。気づいたら、そうなっていた。
二人の間の距離は、近かった。
金のチョーカーが、胸元で静かに光っていた。
「セバスチャンさんに言われました」
フィオナは言った。
「籠の扉は開けておくと」
「知っている」
「あなたが言ったんですよね」
「ああ」
「……なぜですか」
アリスターが、少しだけ考えた。
「開けた籠の中に、自分からいてくれる方がいい」
フィオナは窓の外を見たまま、答えた。
「賢くなりましたね」
「君のせいだ」
「私の?」
「正直に言えと、教えてくれた」
フィオナは窓の外を見たまま、また——笑った。
今度は、隠さなかった。
馬車が公爵邸へ向かって走っていく。
夜空に、白い鳥が一羽。
フィオナは目で追った。
見えなくなるまで。
それから、静かに目を閉じた。
(ここにいる、お母さん)
心の中だけで、呟いた。
馬車の中の温度が——少しだけ、温かかった。




