第十四話「実家の破滅」
調査は、恐ろしく早かった。
ヴォルフハルト公爵家が動くとは、こういうことか——とフィオナは思った。
公爵邸から戻った翌日の朝、すでに帝国監査局の役人が二人、アルトマン伯爵家の門を叩いていた。黒い制服に、金の徽章。「調査令状」と書かれた羊皮紙を携えて、笑顔ひとつない顔で玄関に立っていた。
ベアトリスが対応するために居間に降りていく足音を、フィオナは地下室で聞いていた。
それからすぐに、クラリスの声。カサンドラはまだ自室で休んでいる。
フィオナは作業台に座ったまま、母の書物を開いていた。
でも、文字は頭に入らなかった。
入らなくていい、と思った。今日は——ただ、聞いていればいい。
調査は三日間続いた。
一日目。帝国監査局の役人たちが、屋敷の書類を全て持ち出した。財務記録。使用人の雇用記録。土地の権利書。父が遺した遺言書の写し。
フィオナが父の死後に「地下室に移された」記録も、そこにあった。
二日目。役人が増えた。今度は魔導器管理局からも来た。フィオナが製作した魔導器の記録、クリスタルの調達記録、装填師協会への届け出の有無——全部が洗われた。
フィオナには届け出がなかった。当然だ。ベアトリスがそういう手続きをするわけがない。フィオナの技術は「家の備品」として、無償で、記録もなく使い続けられてきた。
三日目。今度は帝都の銀行から人が来た。
その日の夕方、ベアトリスが地下室に来た。
ノックはなかった。でも、今日のベアトリスは——扉を開けた後、しばらく何も言わなかった。
フィオナが顔を上げると、ベアトリスは老けていた。
三日間で、十歳老けたような顔をしていた。
「……全部、あなたが仕組んだの」
問いかけではなかった。確認だった。
「はい」
フィオナは短く答えた。
「いつから」
「舞踏会の計画を立てた時から、おおよそは。でも——」
フィオナは少しだけ考えた。
「本当の意味では、七年前からです」
ベアトリスが目を閉じた。
長い沈黙があった。
フィオナは続けた。
「父の遺産の横領。私の労働の無償搾取。装填師資格の不正使用。全部、記録があります。私が七年間、つけ続けた記録が」
「……そんなものを」
「地下室は、鍵がかからなかった。でも誰も来なかった。だから安全でした」
ベアトリスが、フィオナを見た。
その目に浮かんでいたのは、怒りではなかった。
もっと複雑な——後悔に似た何かだった。
でも、フィオナはそれを受け取らなかった。
後悔は、七年前にしてほしかった。
五日後。
帝国監査局から、正式な通知が届いた。
アルトマン伯爵家の爵位、剥奪。
理由は「被後見人の財産横領、および労働搾取の事実認定」。
屋敷と土地は帝国に没収。動産は債権者への返済に充てられる。ベアトリスとクラリスは、アルトマン家の縁者が所有する地方の小屋を住まいとして与えられる。カサンドラは、視力の回復が見込めないため、福祉施設への入所が手配された。
フィオナは、その通知書を居間のテーブルで読んだ。
いつもは座れない、上座の椅子に座って。
誰も、止めなかった。
ベアトリスは別室にいた。クラリスは荷物をまとめている音がした。カサンドラは——静かだった。
フィオナは通知書を最後まで読んで、テーブルに置いた。
窓から、庭が見えた。
ハシバミの木が、朝の光を受けて静かに葉を揺らしていた。
(終わった)
そう思った。
でも——思ったより、軽くなかった。
七年間、この日を待っていた。この日が来たら全部終わると思っていた。
でも実際には、終わったのではなくて——始まる前の状態に、ようやく戻っただけなのだと、フィオナは気づいた。
失ったものは、戻らない。七年間は、戻らない。母は、戻らない。
それでも。
(前には、進める)
フィオナは立ち上がった。
屋敷の片付けが始まった日、フィオナはハシバミの木の前に立った。
根元の石。母の名前が刻まれた、小さな石。
「終わりましたよ、お母さん」
声が、少しだけかすれた。
フィオナは石の前にしゃがんで、雑草を抜いた。最後に一度だけ、丁寧に。
「私は——どこへ行けばいいのかしら」
答えは、当然なかった。
でも、風が吹いた。ハシバミの葉が揺れて、木漏れ日がフィオナの手元に落ちた。
それだけだった。
それだけで——十分だった。
フィオナが屋敷の荷物をまとめ終えた頃、門の外に馬車が一台止まった。
ヴォルフハルト公爵家の紋章が入った、黒い馬車。
セバスチャンが降りてきた。
「フィオナ様。閣下よりお迎えに参りました」
フィオナは、自分の荷物を見た。
小さな鞄一つ。金のクリスタル。母の書物。着替えが数枚。七年間の全財産が、それだけだった。
「……断ることは、できますか」
「閣下は『できない』とおっしゃっています」
セバスチャンの顔は、真剣だった。でも、眼鏡の奥の目の端に、ほんのわずかに——困ったような色があった。
フィオナは少しだけ考えた。
行く先は、ここしかないのは分かっていた。爵位も家もなくなった今、フィオナには帝都に居場所がない。ルーシーの店に転がり込むことはできるが、それは迷惑だ。
そして——アリスター・ヴォルフハルトのデバイスは、まだ本修理が終わっていない。
(仕事は、仕上げるべきね)
職人として、それだけは本当のことだった。
「分かりました」
フィオナは鞄を持った。
「ただし」
「はい」
「道具を一式、用意していただけますか。装填師用の」
セバスチャンが、今度こそはっきりと——目の端を緩めた。
「既にご用意しております」
馬車が動き出した。
フィオナは窓から、遠ざかっていく屋敷を見た。
灰色の石造りの外壁。くすんだ窓。端に追いやられたハシバミの木。
小さくなって、見えなくなった。
フィオナは窓から視線を外した。
膝の上の鞄を、一度だけ確かめた。金のクリスタルの重さが、指先に伝わる。
温かい。
馬車は、公爵邸へ向かって走っていた。
フィオナは、窓の外の帝都を眺めた。
知らない街角。知らない人々。七年間、ほとんど出ることのなかった場所。
(これからは、もう少し、外を歩けるかしら)
そう思ったら——ほんの少しだけ、口元が緩んだ。
笑顔と呼ぶには、小さすぎる表情だった。
でも確かに、そこにあった。




