表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
15/24

第十三話「継母の最後の賭け」

 三日目の朝は、静かだった。

 静かすぎた。

 フィオナは朝早くに目が覚めて、天井を見つめた。いつもなら朝の支度の音や使用人の足音が聞こえる時間なのに、今日は何も聞こえない。

 屋敷全体が、息を潜めているようだった。

 カサンドラが昨夜出て行って、まだ帰っていない。

 フィオナは起き上がった。金のクリスタルを確認する。今日——四日目ではなく、今日この朝に——何かが動く気がした。

 その予感は、午前十時に的中した。


 地下室の扉が、ノックもなく開いた。

 ベアトリスだった。

 でも昨日とは別人のような顔をしていた。青白さは消えて、代わりに何か固い決意のようなものが顔に張りついていた。化粧を丁寧に直している。髪も整えている。

 昨夜、何かを決めた顔だ。

「フィオナ。着替えなさい」

「……はい?」

「今から、ヴォルフハルト公爵邸に行きます。あなたも来なさい」

 フィオナは一秒だけ止まった。

(来た)

 ベアトリスが何をしようとしているか、大体の予想はついていた。

 娘二人が失敗した。クラリスの失敗は公式記録に残った。カサンドラの昨夜の動向は不明だが——おそらく、同じ結末を迎えているだろう。

 最後の手は、フィオナを「差し出す」ことだ。

 本物を連れていくことで「うちの家にいた本物を、今ここに連れてきました」という形にする。恥を取り繕いながら、フィオナの技術を最後にもう一度利用する。

 七年間、ずっとそうだった。

(でも今日は——利用されてあげましょう)

 フィオナは立ち上がった。

「……分かりました。ただし」

「なに」

「正式な装填師の服装で参ります。少し、準備させてください」

 ベアトリスが一瞬だけ眉を動かしたが、頷いた。


 馬車の中で、ベアトリスは一度もフィオナを見なかった。

 窓の外を見ている。手袋をした手が、膝の上で微かに動いている。

 フィオナは黙って座っていた。

 ルーシーが仕立ててくれた深緑のワンピース。「公式の場用に一着持っておきなさい」と言って作ってくれた服を、今日初めて着た。髪は丁寧に編んで、金のクリスタルは内ポケットに入れてある。

 窓の外を、帝都の朝の街並みが流れていく。石畳の道。並木。露店の準備をしている人たち。

(今日——全部、公式の記録に刻む)

 七年間、灰にまみれて積み上げてきたもの全部を。


 公爵邸の正門で、馬車が止まった。

 降りようとしたベアトリスを、門番が止めた。

「アポイントメントをお持ちですか」

「アルトマン伯爵家のベアトリスです。補佐官のセバスチャン様にお取次ぎを」

「少々お待ちください」

 門番が中に入った。

 五分ほど待って、戻ってきた。

「セバスチャン様より、伝言でございます」

「なんですって?」

「『本日のご来客はお一人様のみお受けできます。フィオナ・アルトマン様、こちらへどうぞ』と」

 ベアトリスが、固まった。

 フィオナは門番に向かって静かに頭を下げた。

「ありがとうございます。参ります」

「フィオナ!」

 ベアトリスの声が、背中に刺さった。

 フィオナは振り返らなかった。


 案内されたのは、大応接室だった。

 第三応接室とは全く別の場所だ。天井が高い。窓が三つ。正式な会議用のテーブルと椅子が並んでいる。

 そして——テーブルの端に、二人の男が座っていた。

 帝国装填師協会の立会人だ。黒い制服に、銀の徽章。書記用の羊皮紙を前に、無表情で待機している。

 セバスチャンが入口でフィオナを迎えた。

「お越しいただきありがとうございます」

「前と、場所が違いますね」

「はい」

セバスチャンが静かに言った。

「クラリス様の記録を受けて、協会側が関心を持ちました。本日は正式な認定試験として、記録に残します」

 フィオナは部屋の立会人たちを見た。

 羽ペンを持って待機している。この場で起きることが全部——記録される。

(偽物の失敗と、本物の成功を。同じ記録に残す)

 それが、最も鮮やかな決着だ。

「準備はよろしいですか」

 フィオナは内ポケットの金のクリスタルを、指先で確かめた。

「はい」


 テーブルの中央に、クリスタルが置かれていた。

 無色透明の、小さな原石。クラリスの憎悪の魔力を受けて少しだけ乱れていたはずの——でも今は、静かに待っているクリスタル。

 セバスチャンが、正式な口調で述べた。

「ヴォルフハルト公爵家専属装填師認定試験。フィオナ・アルトマン様です」

 フィオナは全員に向かって、静かに頭を下げた。

「フィオナ・アルトマンと申します。亡き母エリン・ヴェインの理論を継いだ装填師です」

 立会人の一人が、顔を上げた。

「エリン・ヴェイン——白金級の」

「はい」

「……続けてください」

 フィオナは椅子に座った。

 手袋はしていない。最初からしていなかった。

 テーブルの上のクリスタルに、素手の指先で触れた。

 瞬間——「声」が、聞こえた。

 静かで、澄んだ声。フィオナが設計した回路の声。

(ちゃんと覚えていてくれたのね)

 魔力を流した。

 ごく自然に。川が流れるように。設計した通りに。

 クリスタルが——金色の光を放った。

 深く、静かに、内側から湧き出すような光。

 部屋の全員が、息を飲んだ。

 立会人の一人が、椅子から少し身を乗り出した。

「……これは」

「静寂化配列です」

フィオナは静かに答えた。

「クリスタルの内部構造に合わせて、魔力の流れを外から整えるのではなく、内側から最適化する設計思想です。母の遺した理論を基に、独自に発展させました」

「舞踏会でヴォルフハルト公爵の魔力を制御したのも、この理論で?」

「はい」

 羽ペンが、一斉に動き始めた。


 試験が終わった後、白髪の七十がらみの認定官がフィオナに近づいた。

「少し、よろしいですか」

「はい」

「エリン・ヴェインの理論書を、あなたは読んでいる」

「はい。地下室で、七年間」

 男性が、フィオナを見た。

「協会は、あの理論書を封印した。危険思想として」

「存じています」

「あなたは、それを使った」

「はい」

「危険だとは思わなかったのですか」

「危険なのは」フィオナは答えた。

「理論ではなく、理論を理解せずに使う人間だと思います」

 沈黙があった。

 それから——男性が、静かに笑った。

「エリンも、同じことを言っていた」

 フィオナは止まった。

「ご存知でしたか、母を」

「若い頃に、一度だけ。同じ目をしているな。あの、全部見透かすような目が」

 男性が頭を下げた。

「フィオナ・アルトマン殿。本日の試験結果は、協会として正式に記録します。白金級見習いとしての認定申請を、推薦しましょう」

 フィオナは——一瞬だけ、言葉が出なかった。

 白金級。母が持っていた、最高位の認定。

「……ありがとうございます」

 声が、少しだけかすれた。

 男性が去っていった後、フィオナはテーブルの上のクリスタルを見た。

 金色の光は消えていた。でもクリスタルの内部に——かすかな温もりが残っていた。

(お母さん。聞こえてる?)

 心の中だけで、問いかけた。

 答えはなかった。

 でも、クリスタルが、ほんの少しだけ、温かかった。


 公爵邸を出る前に、セバスチャンが言った。

「フィオナ様。閣下よりお願いがございます」

「はい」

「アルトマム家の件を——正式に、調査したいとのことです」

 フィオナは止まった。

 先に言われた。自分が頼もうとしていたことを。

「……閣下が、そうおっしゃったのですか」

「はい。七年分の記録を、明るみに出すべきだと」

 フィオナはしばらく、廊下の先を見た。

「……私からも、お願いがあります」

「承っております」

「全件。父の遺産の横領から、私の労働の搾取まで。全部の記録が、地下室にあります」

「承知いたしました」

 セバスチャンが頭を下げた。

「それから」

セバスチャンが続けた。

「閣下が直接お礼を申し上げたいと」


 案内された部屋で、アリスターが待っていた。

 窓際に立っていた。フィオナが入った瞬間に振り返った。

 金色の目が、フィオナを——上から下まで、一度だけ見た。

「……服が、違う」

「今日は正式な場でしたので」

「そうか」

 アリスターが、フィオナに近づいた。

「試験は」

「通りました。白金級見習いの推薦をいただきました」

「当然だ」

 フィオナは少しだけ目を細めた。

「当然、とは随分な言い方ですね」

「事実だ」

 アリスターが、フィオナの右手を取った。

 傷だらけの、タコだらけの、装填師の手。

「この手が——今日、公式の記録に残った」

 フィオナは答えなかった。

「七年分が、ようやく」

 アリスターの声は、低くて、静かだった。

 フィオナは視線を自分の手に落とした。

 七年分。

 そう言われると——胸の奥で、何かが動いた。

「……はい」

 声が、また少しだけかすれた。

 アリスターが、フィオナの手を——両手で、包んだ。

 温かかった。

 フィオナは顔を上げなかった。

 でも、握られた手を——少しだけ、握り返した。


 帰り際、フィオナは正門の外でベアトリスと鉢合わせた。

 馬車の傍で待っていたベアトリスは、フィオナの顔を見た瞬間に何かを読み取った。

「……何を、したの」

「調査が入ります」

フィオナは静かに言った。

「ヴォルフハルト公爵家からの、正式な調査が。七年分、全件」

 ベアトリスの顔が、みるみる青くなった。

「あなた——」

「馬車で帰りましょう、継母様」

 フィオナは先に馬車に乗り込んだ。

 ベアトリスは、しばらく動けなかった。

 それから、ゆっくりと、重い足取りで乗り込んできた。

 馬車が動き出す。

 二人の間に、言葉はなかった。

 窓の外を、帝都の街並みが流れていく。

 フィオナは金のクリスタルを、ポケットの中でそっと握った。

 温かかった。

 公爵邸の窓から、白い鳥が一羽、空を横切っていった。

 フィオナは目で追った。

 見えなくなるまで。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ