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この恋は上書き保存できない  作者: 永井一花
第五章 さよなら、運命の恋
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第二十六話

「光莉」

 美宙の声に顔を上げる。

「私に遠慮することないから、美宙。早く戻って大智くんを安心させてあげて」

 けれど、美宙はその場から立ち去ろうとしなかった。

 私の目をじっと見て、

「聞いて。私、ずっと光莉に隠してたことがあるの」

「隠してたこと?」

 このタイミングで話すってことは、ずっと大智くんが好きだったとか?

 思えば、遠足での彼女はらしくなかった。いくら私を嫌いな男子とくっつけないためとはいえ、あそこまでするなんてちょっと異常だ。

 何を言われても揺らがないと思っていた。でも、

「あの呪い、本当はとけることもあるんだ」

「え?」

「でも、それには条件がある。本当の恋を見つけること」

 彼女の言うことがすぐには理解できなかった。

「本当の恋?」

「その定義は詳しくはわからないけど……きっと、自分よりも相手のことを深く想うことなんじゃないかって思うの。もうきっと他にその人以外好きな人が現れないくらい、そんな運命の恋をしたら呪いは解けて――すべて思い出せる」

「そんな……知ってたなら教えてくれたって……」

「教えてたら、自分は本当に愛されてないんじゃないかって不安になったんじゃない?」

「あ……」

 あの時の私はずっと大智くんを疑っていた。私以外の人を好きになるんじゃないかって。もし美宙から呪いが解ける条件を聞いていたら、呪いがかかっているからきっと彼は自分を心から好きじゃないんだって疑心暗鬼になっていたかもしれない。

「でも、もし大智くんの初恋が本当に私だったら? そうしたら、呪いが解けたかなんてそもそもわからな――」

「わかるよ。だって、渡会くんの初恋は私だから」

「嘘……」

 美宙に言われて私はようやく気がついた。私と大智くんが神社に願ったのは、小学校の卒業式の前日だった。そして、大智くんが美宙を忘れたのは卒業式当日。

 ――どうして今まで気がつかなかったんだろう。

「そっか。じゃあ大智くんは美宙を忘れたけど、また好きになったんだね。それくらい、美宙が好きだったんだ……」

 大智くんを公園で待っていた時、私のことを忘れていなかった。すぐに来てくれると言ってくれた。三浦さんも大智くんは忘れたふりをしているだけなんじゃないかといっていた。

 だから、私はまた大智くんとやり直せると思ってしまった。でも、電話をして来てくれたのも、たまたまその時私を思い出しただけだった。もしかしたら大智くんは、明日には本当に私のことを忘れ去っていたのかもしれない。

 そして、事故に遭って記憶を失っても、美宙には好意を持っているようだった。

 本当は私と付き合ったのが間違いで、美宙と結ばれる運命だったのかもしれない。

「ううん、違うの。文化祭の日、渡会くんに告白されたけど」

 あの時のことは一生忘れられそうにない。大智くんとは上手くいっていると思っていたからすごくショックだった。

「後から言われたんだ。『光莉に本当は呪いがかかってないこと話そうと思ってるんだ。でも、光莉は椎名に自分はかなわないと思ってて、もし俺が椎名を好きだったって知ったら不安になると思うから相談したかった。椎名は呪いにも詳しそうだし』って」

「美宙を好きだったって、じゃあ……!」

「うん、過去の話だよ。それに渡会くんはそのことを思い出した。光莉のことを本当に好きになったから」

「そん、な……」

 そういえば、あの告白の現場を見る前、大智くんは私に呪いにかかっていないと言おうとしていた。私が前に好きだったのは誰かと聞くと、彼は口ごもっていた。あれは……私を不安にさせないようにしていたんだ。

「渡会くんは、私にフラれようとしてたみたい。私がはっきりと断ったら、光莉も安心するだろうって」

 どうしてちゃんと彼の話を聞かなかったんだろう。私は自分が忘れられるんじゃないかって、そればかりだった。

 まさか本当に私を好きになったから呪いが解けて美宙のことを思い出したなんて、想像もしていなかった。

「大智くん……!」

 大智くんは過去に美宙が好きだった。でも、それから私を好きになって――ずっと私のことを想ってくれていたんだ。

 三浦さんからのメッセージで誤解した私は、突然彼の連絡を絶った。あの時の彼は一体どんな気持ちだったんだろう。

 でも、彼は怒るより何かあったんじゃないかと私のことを心配してくれていた。

 私が大智くんを忘れても、彼は私に『初めまして』って手をさしのべてくれた。

 凪くんを好きになっても、私に自分の想いを伝え続けてくれた。

 呪いのことで不安になった私を安心させようと、神社に祈ってくれた。でも、私はいつも不安で、彼を信じられなくて、事故に遭いそうになった時は自分を犠牲にしてでも助けようとしてくれた。私のために、別れる決意をして忘れた演技をしてくれた。

 今になってようやくわかった。私はずっと大智くんに深く愛されていたのだと。

 ――ふと、鞄につけられた水色のイルカのキーホルダーが目に入った。

 その瞬間、記憶が脳内にあふれ出していく。

『なぁ、マジでこれつけんの? 恥ずかしいんだけど』

 彼は水色のイルカを見て、ちょっと不機嫌そうだった。

『えー、いいじゃん。今クラスでカップルでおそろいの持つの流行ってるんだよ?』

『やだ。こんなのつけられっかよ』

 大智くんはキーホルダーをお土産屋の元の場所に戻した。

『じゃあもういいよ』

 水族館からの帰り、私はずっと無言だった。

 せっかく付き合って初めてのデートなのに、こっちはすごく気合入れたのに。これじゃ幼なじみだった頃となにも変わらない。

 イルカショーでは思いっきり水がかかって体が冷えていた。私がくしゃみすると、大智くんは私に着ていたジャケットをかけてくれた。

 私と同じくらい濡れてしまった大智くんは寒そうだった。

 返そうとして、私はポケットに何か入っていることに気がつく。取り出すと、それはピンクのイルカのキーホルダーだった。

 驚いて彼を見る。そっぽを向く彼の鞄には、いつの間にか水色のイルカのキーホルダーがゆれていた。

『大智。買ってくれたの?』

『まぁな。光莉に根に持たれても嫌だし』

 勇気を出して私は彼の手を握った。彼は変わらず私から顔をそむけたままだったけど、その耳はまっ赤だった。

 やがて、思い切ったように私の手を握り返してくる。私はますますうれしくなって、

『大智、大好き。ずっと一緒にいようね』

 彼は照れたように『おぅ』と返事した。その声が小さくて、恥ずかしそうで、私は声を上げて笑った。

 しあわせな記憶だった。

 でも、このキーホルダーは……。

「ごめんね、私が早く言えばよかったよね」

 美宙の声で現実に引き戻される。

「でも、意地悪しちゃった。どうせ渡会くんは光莉が大好きで、すぐに仲直りするんだと思ったから」

「美宙……」

「私、ずっと渡会くんが好きだった。私が光莉と仲良くなる前から、ずっと」

「じゃあ、神社で祈ろうとしてたときに好きだった人って……?」

「うん、渡会くんのことだよ。光莉たちが別れたら嫌だと思って祈れなかったけどね」

 あの時美宙は、『別れるのが怖いから』祈れないと言っていた。

 私はずっと、美宙が自分の好きな人と引き離されるのが怖いのかと思っていた。でも、私たちのことを思ってくれていたなんて……。

 美宙はそこまで大智くんが好きだったんだ。それに、私のことまで大切にしてくれていた。彼女はいつから気づいていたんだろう。大智くんに忘れられたのは自分を好きだったからだって。

 そして、相手が自分をようやく思い出したのは、もう絶対に自分に心変わりしないと知ってしまったら……。

「もっと早くちゃんと光莉に話してたら、渡会くんが事故に遭うこともなかったのに」

 美宙の目に涙がうかぶ。彼女はまるで自分には泣く資格がないのだというように唇を噛んだ。

「ううん、そもそも私が神社に願おうとしなければ、光莉たちが呪いに巻きこまれることもなかった……私なんていなければよかった……」

「それは違う!」

「え?」

「大智くんは突然私に話しかけてくるようになった。私が悪口言われてる女子をかばってたのを見て、ヒーローみたいだって言ってくれた」

「ヒーロー……」

「それって、自分が好きな子をかばったからそう見えたんじゃない?」

 なんとも思ってない人をかばったところで、『ヒーロー』なんて思わなかったんじゃないか。

「大智くんはそれがきっかけで私を好きになってって言ってた。大智くんとはずっと違うクラスだったし、もし美宙がいなかったら私たちが仲良くなることはなかったと思う」

「光莉……」

「それにね、私は呪いにかかってよかったって思うよ」

「え?」

「もし呪いがなかったら、三浦さんからのメッセージで勘違いして大智くんを嫌いになって、再会しても避けてたと思う。それで凪くんを好きでいても、きっと今みたいに凪くんと仲良くなることもなかった。それに、美宙とだって仲良くなれなかった」

「光莉ぃ……ごめんね……!」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、美宙は私に抱きついてきた。

 私は彼女を抱きしめ返し、

「だから美宙。私はもう十分もらったから――今度は美宙が幸せになって。ずっと呪いのことでつらい思いさせてごめんね」

 私は呪いで記憶を失ったり大変な思いをした。でも、それが自分のせいだって美宙は気に病んで私以上に苦しんでいたはずだ。それに、彼女はずっと大智くんが好きだった。

「大智くんを幸せにしてね」

 きっと美宙なら大丈夫だ。それに、大智くんの呪いは解け、もう美宙を忘れることはないだろう。

 あの神社に願ってから、美宙と話した。別になにもなかったことを話すと、美宙は笑って『やっぱり私、自分の力で頑張ってみる。目黒さん、ありがとう』と笑った。彼女はやっぱり私たちが別れてしまわないように神社に願わなかったんだ。

 もしかしたら、彼女はあの時大智くんに告白するつもりだったのだろう。

 でも、大智くんに忘れられたことでそれはできなかった。

 呪いがなかったら――大智くんはまた美宙を好きになっていたかもしれない。

 だから、元の運命に戻るだけだ。全然、つらくなんかない。

「ごめん、お母さんが心配してるからちょっと連絡してくるね」

 私は最後に美宙の頭をなで、立ち上がる。これ以上この場にいたら泣いてしまいそうだった。

 美宙には、私が思い出したことは話さない。これからもずっと。

 病院の廊下はしんと静まりかえっていた。

 大智くん、大智……!

 最後まで、あなたのことを信じられなくてごめんね。もし少しでも早く私が自分のことだけじゃなくて大智くんを想えていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 きっと今記憶を失ったのは、美宙と結ばれるためだったんだ。

 最後まで、あなたにふさわしい彼女になれなくてごめんなさい……。

 私は鞄についている水色のイルカのキーホルダーに触れた。大智くんに最初にもらったものは、凪くんの言うとおり私は捨ててしまっていた。もしも時間を戻せたら、絶対に捨てなかったのに。何があっても大事にしたのに。

 ――でも、もう全部手遅れだ。

「ひっく……うぅ……」

 嗚咽が漏れる。泣いちゃだめだ、と思っても涙が止まらない。

 嫌だ。大智くんを諦めたくない――!

「……どうして泣いてるの?」

 聞き慣れたやさしい声。空耳かと思ったけど、ふり返ると凪くんが眉をひそめてじっと見ていた。

「凪、くん……」

 そうだ。あの時も同じだった。

 大智くんにフラれたと思い込んで泣いていた日。

『これ、よかったら使って』

 公園のベンチに座り一人泣いていると、男の子が遠慮がちにハンカチをさし出してきた。

 私が驚きながらもそれで涙をぬぐうと、

『ねぇ、どうして泣いてるの?』

 彼はとても痛々しそうな顔をしていた。なんでこの人は見ず知らずの私をこんなに気にしてくれるんだろう。

 私は気がつくと話していた。

『彼氏に、フラれたの。それも、もう彼女いるからって……どうして、そんな急に……』

 その時のわたしは大智くんに突然拒絶され動揺していた。

 私は凪くんに大智くんとのこれまでのことを話した。本当は誰かに聞いてもらいたかったんだと思う。でも、美宙や家族に話したら、大智くんにフラれたことを受け入れざるを得なくなりそうで、私は誰にも相談できなかった。

『そっか。それは辛かったね』

 そんなやつ、別れた方がいいよ。きっとそう言われるんだ。

 でも、凪くんが私にかけた言葉は私の予想を裏切るものだった。

『でも、そんな風に人を好きになれるってうらやましいな』

 凪くんは私をまぶしそうな目で見ていた。彼氏に一方的にフラれた私を、決して可哀想な目で見なかった。

『うらやましくなんていないよ。こんなに辛いのに』

 その時はわからなかったけど、凪くんは楓ちゃんのことで精一杯で、恋愛で悲しんだりしている余裕はなかったんだろう。

『これ、捨てようって思うのに捨てられなくて。こんなに未練がましくて、バカみたい。大智なんて、好きにならなければよかった』

 握りしめたピンクのイルカの上に、私の涙が落ちた。

 あの冷たいメッセージが頭をよぎり、怒りがわいてくる。

 ――私がこうやって苦しんでいる間も、大智は新しい彼女とラブラブなんだ。そう思ったら悔しくて、私はその思いをふりきるように少し遠くにあるごみ箱に向かって投げた。

 普段はこういうのは外すくせに、その時は一発で入った。まるで彼との関係も終わりだと告げられているようで、乾いた笑いが漏れる。

『あなたに会えてよかった。私、もうあいつのことは忘れる!』

『――そっか。応援してるよ。新しい恋、見つかるといいね』

 凪くんは私に笑いかけた。その時はじめてちゃんと凪くんの顔を見た私は、その綺麗な笑顔にドキッとする。

 ちらりとごみ箱に目をやった。なんで……入っちゃったんだろう。

 今さらそんな風に考えて、私は立ち上がる。もう、忘れるって決めたんだ。

 翌日、やっぱり気になって公園に行ってみたけど、ごみ箱は回収されたのかキーホルダーはなかった。

 心に穴が空いたようだった。でも、そんな時は凪くんの笑顔を思い出した。

 そうして日々を過ごすうちに、いつしか凪くんのことしか考えられなくなっていた。

 この人がいなかったら、きっと私は大智くんにふられてずっと引きずっていただろう。

「……倉田くん。私、思い出した。全部……」

「光莉ちゃん?」

「私、倉田くんが、凪くんがずっとずっと好きだった。あなたの優しさにずっと救われていたんだ。私のことを好きになってくれたなんて夢みたい。今でも信じられないよ」

「光莉ちゃん。それじゃあ……」

「でも、もう過去のことだよ。今、私は大智くんが好き。凪くんよりもずっと。だから凪くんとは付き合えない。ごめんなさい」

 わたしはずっとこの呪いのことを恨んでいた。

 でも、もしこの呪いがなかったら……。

 大智くんと疎遠になった後に凪くんを好きになって、また大智くんと再会しても、きっとあの時のように彼と口をきくことも学級委員になることもなかった。

 大智くんはそれでも私にアプローチしてくれただろうか。

 もししてくれていたら、私は凪くんと大智くんの間でゆれて、どっちつかずの状態だったと思う。

 してくれなかったら、凪くんとそこまで仲良くもなれなかっただろう。

 そして、どちらのことも選ばないままこの恋は終わっていた。

 ようやく、わかった。

 この呪いは――ううん、縁結びの神さまは、本当に私に運命の恋を教えてくれたんだ。

 凪くんは私が思うよりももっと誠実な人だった。

 凪くんの記憶が薄れかけた時、私は必死に凪くんと関わろうとしていた。記憶を失ってからはそれが疑問だった。

 私は凪くんの力になりたかった。少しでも恩返しがしたかった。私がそう思えるくらい、彼はたくさんのものを私にくれたから。

 凪くんを好きになったのは間違いじゃなかった。

 それでも、もう迷ったりしない。私は、私が好きなのは大智くんだけなんだ。

「そっか。わかったよ」

 凪くんはやさしくほほえんだ。いつもどおりの笑顔なのに、私の心はズキッと痛む。

「これ、受けとってくれない?」

 彼は鞄から何かを取り出し、そっと私の手の平の上にのせた。何気なく見て、心臓が止まりそうになる。

 それは、あの日捨てたはずのキーホルダーだった。

「これ、どうして……!?」

「実はあの後、ごみ箱から拾ったんだ。まだ未練あるのかなって思って。でも、再会した時、もう彼氏のことはなんとも思ってなさそうだったから、渡すに渡せなくて」

「そうだったんだ……」

 もう一生見つからないと思っていたキーホルダー。ピンクの生地は薄汚れていて、くすんでしまっている。

 私はキーホルダーをぎゅっと握りしめた。

 ――ごめんね。もう絶対に、手放したりしないから。

 もう大智くんにキーホルダーをもらった時にはどんなに願っても戻れない。それでも、私はこれからも大智くんを忘れずに思い続けるんだろう。

 たとえ大智くんが、私を一生思い出さなくても。

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