第二十五話
「さ、寒い……」
公園のベンチはひんやりしていて、お尻から全身に冷たさが伝わっていく。私は身震いした。
美宙の家を出てすぐ、大智くんに電話をかけたが出なかった。
私は『話があるから公園で待ってる。大智くんが来るまで帰らないから』とメッセージを送信した。二時間が経ったが既読はまだついていない。
もし三浦さんの言うように彼が私を忘れていないなら、彼はここに来てくれるはずだ。もし忘れていたら……ううん、それはその時考えよう。とにかく今は、彼を信じて待つだけだ。
それにしても、昼間は気温が高かったのになんでこんなに夕方は冷えるんだろう。
夏用のセーターは風通しがよく、体がどんどん冷えていく。
でも、普通に話しかけても大智くんは相手にしてくれない。彼と話をしたいなら、これくらいのことをしなければいけないんだ。
大智くんに送ったラインの既読はまだつかない。
私が息を吐いたとき、手の中でスマホが振動した。
「も、もしもし!?」
「ねぇ光莉、今どこにいるの?」
発信先を見ないで反射的に通話に出たが、電話をかけてきたのは美宙だった。
「公園にいるけど。どうしたの?」
「光莉のお母さんから、私のとこに泊まってるけど迷惑かけてないかって連絡来たんだけど」
「あー……」
私が適当な嘘をついたことで美宙に迷惑をかけてしまった。
「お母さんと喧嘩したの?」
さっきまでのやり取りなどなかったかのように、彼女は私を気遣ってくれる。
「あ、そうなの。でも今から帰るから大丈夫。ごめんね、心配かけて」
「ちょっと、光莉!?」
大智くんを待っている話は美宙にはしにくい。
強引に通話を切り、心の中で美宙に謝る。
(ごめん、美宙。後でちゃんと話すから!)
時間はもう二十時を過ぎている。お母さんには心配かけたくなくて嘘をついたけど、二十二時前には帰ろうと思っていた。
(大智くん、まだかな……)
彼の性格上、私を忘れていたとしても何かしらのリアクションはしそうだ。でも、未だに既読もつかないまま。
もしかして私、大智くんに本当に嫌われてる……?
時間はゆっくりと、でも確実に過ぎていく。あっという間に二十二時になって、私は焦っていた。
(どうしよう。もう帰らなきゃ。でも……)
泣きそうになっていると、突然スマホが振動した。美宙かと思って確認すると、発信者は――。
「もしもし、大智くん!?」
『なぁ、まだそこにいんの?』
聞こえた来た声は本当に大智くんだった。毎日学校で聞いているのになんだか懐かしくなって、鼻がつんとした。
「うん」
『はぁっ!? バカじゃねぇの!? 俺帰って寝てて、今起きたんだけど……まさかまだ待ってるとは思わなかったわ。とにかく早く帰れよ!』
「やだ。大智くんが来るまで帰らない」
『……マジで危ねぇって。親も心配してるだろ?』
「美宙のとこに泊まるって言ったから大丈夫。それより、大智くん、私のこと覚えてるんだね。よかった……」
三浦さんに言われなければ、ずっと私を忘れたままだと勘違いしていたかもしれない。
今日、大智くんを待っていて本当によかった……。
『おまえ倉田と付き合ってるんじゃないの?』
「違うよ! それは誤解だって……くちゅっ」
ほっとすると同時に、忘れていた寒さが襲ってくる。
『あぁもう、とにかく今から行くから。ほんっと手がかかるなお前は!』
大智くんはキレ気味に通話を切った。
「よ、よかった……」
結局、美宙のことが好きなのか、たまたま私がラインを送ったから思い出しただけなのかわからない。
でも、きっと大丈夫だ。
もしも大智くんが私を好きじゃなくても、きっとまたふり向かせてみせる。大智くんがそうしてくれたように。
しばらくして、人影がこちらに向かってきた。
大智くんと通話してまだ十分しか経っていない。彼が来るには早すぎるような……?
もしかして不審者!? それともおまわりさん!? どうしよう、逃げた方がいいのかな!?
びくびくしていると、「光莉!」と私を呼ぶ声がして肩の力が抜ける。
「ちょっと、何やってるの? 光莉の家に連絡してもまだ帰ってないって言うから心配したんだよ!」
美宙が珍しく怒ったように声を荒らげていた。
「み、美宙。ごめん……」
「ここにいなかったら光莉のお母さんに連絡しようかと思ってた。早く帰ろ? それとも帰りたくないなら私の家に行く?」
「えっと、その……」
さすがにここまで心配させて話さないわけにはいかない。申し訳なく思いながら、私は大智くんを待っていることを話した。
「あー、そういうことだったんだね。私に言いにくいのはわかるけど、心配するからそういうことは絶対やめてね?」
美宙は笑っていたけど、目は全く笑っていない。
「ご、ごめんなさい……」
「って、私が言いすぎたからだよね。そういえば渡会くん、まだ来ないの?」
「え……」
時間を確認する。美宙と話しているうちにかなり時間が過ぎていた。大智くんが歩いてきたとしても十分間に合うくらいの時間が経っている。
「渡会くんに連絡してみたら?」
「うん……」
私は大智くんに通話をかける。でも、彼が出ることはなかった。
おかしい。電話にも出ないなんて何かあったとか? それとも……。
(来る途中で私を忘れたんじゃ……)
さっき期待してしまっただけ、そう考えるのは辛かった。
「やっぱりだめだったかぁ。美宙、私帰るよ。ごめんね、心配かけて」
泣きそうになるのを堪えて、私は笑った。でも、美宙は青ざめた顔でうつむいていた。
「美宙?」
「ねぇ、渡会くんの家に連絡してみたら? 何かあったんじゃない?」
「だから、大智くんは私を忘れちゃったんだよ。悲しいからそんなこと言わせないでよ」
「そんなわけないよ。だって――」
その時、ポケットのスマホが震えた。
「た、大智くんっ!?」
『光莉ちゃん?』
出たのは大智くんじゃない。落ち着いた大人の女性の声。私のことを親しげに呼んでいたけど、知らない人だった。
『久しぶりね。私、大智の母よ』
おばさんと呼ぶべきか一瞬迷って、結局何も言えなかった。
でも、彼女はそんな私に構うことなく続けた。
『光莉ちゃん、落ち着いて聞いて。今、大智が事故に遭って――意識がないの』
「――えっ」
頭がまっ白になった。どうして? 私のこと忘れたんじゃなかったの? でも、こんなことなら忘れられていた方がよっぽど――。
「光莉、しっかりして!」
美宙の声で私は我に返る。
スマホからは『もしもーし? 光莉ちゃん、聞こえてる?』と焦ったような声が聞こえていた。
「あ、ごめんなさい。大丈夫です」
滑りおちそうになるスマホをぎゅっとつかみ、私は声に耳をかたむけた。
大智くんのお母さんから病室の場所を聞き出し、通話が切れる。
どうしよう。大智くん、助かるよね……? もし死んじゃったら……。嫌な考えが次々にうかんで、涙がにじみそうになった。
「とにかく病院に行こう。場所、わかる?」
「うん」
病院は楓ちゃんが入院しているところと同じだ。美宙が私の肩にそっと手を置く。
「大丈夫。渡会くんが死ぬわけない」
「うん」
「まだちゃんと気持ち伝えてないんでしょ?」
そうだ。しっかりしろ。大智くんが目を覚ましたら、ちゃんと話すんだ。
――だからお願い。大智くん、無事でいて。
美宙にはげまされながらなんとか病院にたどり着いた私は、受付で楓ちゃんの病室じゃないことに不思議そうにされながらも大智くんの病室に向かった。
「あの、大智くんは!?」
病室から出てきた女性が、私を驚いたように見た。彼女が大智くんのお母さんだろう。
「大智なら無事よ。でも――」
「大智くんっ!」
ベッドの上に寝ていた大智くんが、私の声に体を起こす。
よかった。意識がないって聞いていたけど、元気そうだ。安心した私は大智くんに駆けよる。
大智くんの瞳が私を映した。
「ごめんね、私のせいで事故に遭ったんだよね!? でも、無事でよかった……。大智くんが死んじゃったらどうしようって心配で……!」
額には痛々しくガーゼが貼られていた。私が彼を思わず抱きしめようとすると、
「――あの、誰……ですか」
大智くんは困惑したように私を見上げていた。
「え、そういうのはいいって。いくら隠したってもう遅いよ。本当は私のこと忘れてなかったんだよね。大智くん、ごめんね。私、もう大智くんに心配かけるようなことしないから……って、説得力ないか。でも、これからはもう――」
「ごめんなさい。本当にわからないです」
大智くんの目には怯えがうかんでいた。まるで、本当に知らない人を前にしたような態度。
「そんな……大智くんの彼女だよ!」
「彼女……」
大智くんはおどおどと視線をさまよわせる。
「光莉ちゃん。大智は……事故で記憶を失ってしまったみたいなの」
大智くんのお母さんが、痛々しい目で私を見ていた。
「嘘……」
気づかないようにしていた彼の違和感。私のことだけを忘れたにしては、別人のような言葉づかいと雰囲気。
呪いのせいじゃない。大智くんは、本当に記憶喪失になってしまったの……?
「ごめんなさい……」
大智くんが申し訳なさそうにうつむく。その気弱な表情は普段の彼とは別人だった。
「謝らなくても大丈夫だよ。でも、命に別状はなかったみたいでよかった!」
この空気を変えようとしたのか、美宙が大智くんに優しく微笑みかけた。
彼は少し安心したように話し出した。
「彼女って、あなたのことですか? 信じられないけど、あなた、すごく僕のタイプだから……」
「え……」
大智くんが見ていたのは、私ではなく私の少し後ろにいた美宙だった。
「でもこんな綺麗な人と僕が? だとしたらうれしい、です」
とまどいながらも、彼が美宙を見る目はかなり好意的だった。
「大智! 何言ってるの!?」
「渡会くんどうしちゃったの!? あなたの彼女は――」
「――もういいよ」
私にはおびえていた大智くんが、美宙には安心しているようだった。
記憶喪失になって不安な彼をこれ以上不安にさせたくない。私は病室を後にした。
あんなにおびえていたくせに、私は本当の意味で大智くんが私以外の誰かを好きになるのがどういうことなのかわかっていなかった。
こんなに胸が苦しくて、すべてのことがどうでも良くなって、世界が一気に色あせていく。
なのに、大智くんは笑っていた。
私が凪くんを好きになっても、ずっと「光莉!」って笑って、いつも明るく振る舞っていた。
いつも前向きで、また自分を好きになってもらおうと努力していた。
私はそんな彼にいつの間にかひかれていた。
多分、自分でもわかっていたんだと思う。
私が同じ目に合ったら、大智くんのようにはふるまえないと。彼はいつもまっすぐで、私は彼を疑ってばかりいた。自分のことばかりだった。
大智くんが美宙にむけた照れたような愛おしそうな表情。
あの強気なくせにやさしい目が私にむけられることは、もうない。
それでも――。
「大智くん……っ!」
これから美宙と付き合うんだろうか。あんなに不安そうな大智くんが、彼女と付き合って少しでも安らげたら私は、何もいらない。




