第二十四話
喫茶店に入り、注文したものが届くまで私達は無言だった。
三浦さんはスマホをいじったりもせず、ずっとテーブルをにらんでいる。
一体なんの話なんだろう。大智くんに手を出すな、とか? でも私達は別れているのに……。
ことりと私の方のテーブルにレモネードが置かれる。三浦さんの方にはアイスコーヒー。
私は一口飲んで、コップを置く。甘い爽やかな香りが口いっぱいに広がった。
「あの、それで、話っていうのは……」
「ごめんなさい!」
私が話を切り出そうとするのと同時に、彼女が頭をさげる。ウェーブのかかった髪が、テーブルに落ちた。
「え、何が? ていうか、髪の毛、コーヒーに入っちゃうよ?」
彼女はおずおずと顔を上げる。長い髪の隙間から見えた大きな瞳は、涙でうるんでいた。
「中学生の時、あなたに……大智から『彼女がいるから連絡するな』ってラインが来たの、覚えてるよね」
「うん」
覚えていなかったけど、話がややこしくなりそうなので私はうなずいた。
「あれ送ったの、ウチなの……」
「えっ……」
「ごめんなさい。本当に、あの時はどうかしてた」
「そんな……」
じゃあ、大智くんは三浦さんを好きになって私を一時的に忘れたわけじゃなかったの?
私はずっと不安に駆られて彼を振り回してしまった。そもそも彼女があのラインを送らなければ、私は大智くんを忘れることなく今も付き合い続けていたかもしれない。
「大智にも話したの。でも、もう終わったことだから気にするなって言われて……」
「……そうなんだ」
大智くんも知っているんだ。じゃあ、私があんな風になったことの理由もわかった上で、別れを選んだんだ。
「ごめんなさい……本当に、どうかしてたの……ウチ、あの時は大智しかいないと思ってたから……あなたの気持ちを考える余裕なんてなかった……」
「ストーカーされてたって、大智くんから聞いたけど……」
「あ、大智、話したんだ。ウチ、結構モテてたから男の子には困らなかった。でも、ストーカーの話をしたら、みんなビビって逃げていった。それで困ってたら、大智だけが助けてくれたの。でも、大智にこれ以上迷惑をかけたら嫌だからやめてって直接言ったら刺されそうになっちゃって……犯人は逮捕されたんだけど。それで怖くなってあなたにあんなラインを……」
三浦さんの口から出てきた予想外の重い話に、私は絶句した。
「そんなことが……」
だからナンパにもあんなにおびえていたんだろうか。
「あれ? そこまでは話してなかった? 大智はしばらく優しかったけど、これ以上は依存させちゃうからってちょっと距離を置かれちゃったんだよね」
「え……」
「三浦には心配してくれる友達いるだろ? って。それに、好きな人がいるからってきっぱり言われちゃったの。だから、ずっとあなたがうらやましかった。大智、うちの学校でもすごくモテてたけど、誰に告白されても彼女がいるからって断ってたから」
大智くんはずっと、私が知らないところでも、私のことを大切にしてくれていた。
私は彼が他の女の子にひかれて私を忘れたなんて思いこんでいた。
「それに、あの時呼び出して大智が来てくれたのは、あなたがピンチだって言ったの」
「え?」
「校門の前で大智の彼女が不良に絡まれてる、ってラインしたらすごい勢いで飛んできたの。それで、連れてってあげるって手をひいて、その隙に抱きついてキスしようとした」
大智くんは呼び出されてすごい血相で飛び出していったって聞いた。三浦さんのことかと思ってショックだったのに、まさか私を心配していたなんて。
「でも、もう遅いよ。大智くんには他に好きな人ができちゃったから……」
「何言ってるわけ? ウチ、昨日、大智に言われたんだ。『光莉が好きだから付き合えない』って」
「――え? そ、そんなわけない! だって呪いが――」
「呪い?」
眉をひそめる三浦さんに、私は一連のことを話した。信じてもらえないかと思っていたが、「あの時言ってた呪いってこのことだったの? 嘘みたいだけど、まぁ大智が言ってたなら信じる」と、彼女はあっさり言った。
「でも、忘れたって本当に? 大智があなたにそう言っただけでしょ。本当は忘れたふりをしてるだけじゃない?」
「そんなわけ――」
「同じクラスなんでしょ? もし本当に忘れてたりしたら、クラスメイトにこいつ誰だって聞いて回ってたんじゃない? どうなの?」
「それは……」
彼女に言われて初めて違和感に気がつく。忘れられたことにショックで深く考えていなかった。でも、大智くんの性格上、他の人に何も言わないのも変だ。
「でも、もしそうだとしたらどうしてそんなこと?」
「あなた本当にわからないの?」
三浦さんが呆れたようにため息をつく。
「そんなの、あなたを心配していたからに決まってるでしょ。大智に忘れられたって取り乱してた時のあなた、普通じゃなかったもの。だから大智は呪いがきいてないって嘘をついたけどあなたが信じてくれなかったから、仕方なく忘れたって嘘をついたんじゃないの?」
「そんな――」
私は大智くんに忘れられないか不安になるあまり、事故に遭いそうになった。もし大智くんが助けてくれなかったら、今ここに私はいなかったと思う。そういえば、大智くんに私を忘れかけていると言われたのはあの直後だった。
本当に? 大智くんは私を忘れたふりをしているだけで本当は覚えているの? 私のためを思って嘘をついてくれたの?
「でも、他の子が好きってはっきり言われたんだ」
「それも大智の嘘なんじゃないの?」
「告白してるの見たんだ。ずっと好きだったって」
「本当? 何か事情があるんじゃない?」
「事情って?」
「劇の練習中だったとか。あなたが他の男の子と仲良くしてるの見て嫉妬させようとしたとか?」
「そんなの……」
大智くんがそんなことをするとは思えない。やっぱり美宙が気になっているというのも本当で――。
「いい加減にしてよね」
三浦さんが不機嫌そうにこちらを睨む。
「そんなに気になるなら大智に直接聞けばいいじゃん。ウチはもう大智とは話せないんだから」
「話せないって?」
「フラれたけどやっぱり諦めきれないって言ったら、これ以上はお前が軽蔑してたあのストーカー野郎と一緒になるぞって。すごくショックだったけど、その通りだって思った。ウチ、本当にみっともなかった。それでようやく自分のしたことが間違ってたって気づいて……あなたのこともたくさん傷つけて、ごめんなさい」
三浦さんはまた頭を下げる。
正直、三浦さんのことをすべて許せたわけじゃない。でも、大智くんが好きすぎて暴走してしまった彼女は、どこか自分と重なる部分もあった。
私も一歩間違えたら三浦さんと同じことをしていたかもしれないのだ。
「もういいよ。三浦さんも、きっとこれからいい人に出会えるよ」
三浦さんは顔を上げると、「あなた、お人好しすぎるでしょ」と笑った。
それが彼女が私に向けたはじめての笑顔だった。
「もう邪魔者はいなくなったんだから、頑張ってよね」
「話があるって、どうしたの?」
三浦さんと別れた一時間後。私はすぐに電車に乗って最寄り駅で降りた。向かったのは自宅ではなく美宙の家だった。
「――って、渡会くんの話だよね」
本当は大智くんに直接聞きたかったけれど、今話してもきっとごまかされてしまうだろう。警戒されてますます彼と話せなくなるのは避けたかった。
「本当はもっと早く訊いてくるかと思ったんだけど」
「……うん」
彼氏が親友に告白した。普通だったら、すぐに美宙に聞くべきなんだろう。でも、あれから二週間が経っていた。
「私、美宙がずっと怖かった」
「私が?」
「うん、ずっと憧れてたから。小学校の時からそうだった。他の女子とつるまないで堂々としてて、昔からメイクも上手くて可愛い服を着てて。きっと私が男の子だったら好きになってたと思う」
だから、大智くんが好きになったと知っても納得してしまった。美宙には勝ち目がないとわかっていた。
「……そんなことないよ。私だって昔は、女子に悪口言われてた。いつも可愛い服着て男子に媚び売ってるって言われて、地味な服で登校したこともあったの」
「そう、だったの?」
「うん、でもね、ある女の子が言ってくれた。『いつもの服の方が椎名さんらしくて可愛いのに』って。だから私、それからは自分の好きなファッションを貫くことにしたんだよ」
美宙にもそんな風に悩んでいた時期があったなんて意外に思っていると、
「ちなみにその子が、光莉」
「えっ?」
突然自分の名前が出て驚く。
そんなこと言ったような、言っていないような……でも、私が言いそうなことではあるなと思った。
「本当はずっと光莉と仲良くしたかった。でも、光莉は私の悪口言ってた子と仲良くしてたから、私のせいでこじれたら嫌だなってなかなか話しかけられなかったの」
「そうだったんだ……」
私が一方的に美宙に憧れていて、神社で思い切って声をかけたのがはじまりだと思っていた。でも、美宙も私と仲良くなりたいと思っていたんだ。
「だから、私の方がずっと光莉が怖かった。私は告白されることは多かったけど、見た目しか見られてなかった。でも光莉は違う。光莉のこと好きになる男子は、ちゃんと光莉の内面を見て好きになってた。だから、もし私が好きな男子が光莉を好きになったら、絶対にかなわないって」
まさかお互いに同じことを思っていたなんて……。
「でも、やっぱり大智くんは美宙を好きになったんだね……」
「渡会くんは光莉に忘れられても、またアプローチしてくれたよね。光莉は、一度忘れられたらもう諦めるの?」
「――え」
美宙は見たこともない険しい顔をしていた。
「光莉がそんな弱気なら、私が渡会くんのこともらっちゃうね」
その言葉に私は虚を突かれた。
冗談かと思ったが、美宙はにこりともしていない。人形のように整った顔を静かにこちらに向けていた。
「え、待ってよ、美宙って大智くんのこと嫌いなんじゃ……」
「うん、あの時は忘れられてムカついたけど、逆に気になってきたんだ。今は嫌いじゃないよ。それに渡会くんって普通にかっこいいし、試しに付き合ってみるのもいいかなって」
そんな軽い気持ちなら、大智くんと付き合ったりしないで。私の方がずっと好きなのに!
悔しくて、でも、美宙がOKを出せばすぐに彼とは付き合ってしまうんだろう。
私はどこか楽観的に考えていた。大智くんが美宙をどんなに好きでも、美宙が彼と付き合うことはない。だからその恋もいつかは忘れてしまうんだと。
「光莉、応援してくれるよね?」
にっこりとほほえむ美宙。その笑顔は天使のように愛らしかった。
「私は……」
今までだったらきっと諦めていた。美宙には叶わないのだから無駄だって。
――でも。
「ごめん、応援できない。私、大智くんが好きだから」
美宙の目をはっきりと見て、言い返す。
私が彼女に言い返したのなんて初めてだった。
「そっか。でも、負けないから」
美宙も負けじと言い返してくる。
本当は彼女に告白の真偽について聞くつもりだった。でも、もうそんなのは関係がない。
もし大智くんが本当に美宙を好きになっていたとしても、私は絶対に諦めない。
美宙と争いたくなんてなかったけど、これで覚悟は決まった。
――私は絶対に大智くんを諦めない。たとえ彼が、私を忘れてしまっていても。




