第二十二話
文化祭が終わって二週間が経った。
元々クラスの仲はよかったが、文化祭を機にいっそう深まった気がする。文化祭をきっかけに付き合いはじめたカップルも何組かいて、クラスメイトも以前より笑顔が増えていた。
でも、私はそんなクラスの雰囲気に溶け込めずにいた。このクラスの人が嫌いなわけじゃない。
大智くんに別れようと言われて、私はまだ現実を受け入れられずにいた。謝れば復縁できるんじゃないかと思っていた。
でも、彼が私に話しかけるのは一切なくなっていた。あいさつをしたらかろうじて返してくれて、学級委員の仕事の話はしてくれるものの、それ以外の話は適当に打ち切られてしまう。そのうち私も話しかけなくなっていった。
そんな私たちの様子を見たクラスメイトが、大智くんに別れたのかと聞いたら彼ははっきりと「別れた」と答えた。
私は泣きそうになったけど、彼はそんな私のことなんて気にしていなかった。
大智くんのカバンにもうあのキーホルダーはついていない。
私はキーホルダーを外せないまま時が流れていた。
「きゃー! やっぱり光莉さんの選ぶ服ってセンスあるよね! お兄ちゃんが選んだ服とは大違いだよ」
「光莉ちゃんのセンスを褒めるのはいいけど、僕を下げる必要ある? 楓のそういうとこよくな――」
「写真! 写真撮っていい!? ううん、撮ってください!」
「聞いてないな……」
凪くんが困ったようにため息をついた。
席替えをした翌日の土曜日。今日は楓ちゃんの誕生日だった。
彼女になにが欲しいか聞いたところ、『光莉さんとおそろいの服を着たい』と言われた。友達との双子コーデが彼女の憧れだったらしい。
なので、私の今日はかなりおしゃれをしてきていた。せっかくだからメイクの経験がない楓ちゃんにメイクをしてあげたいとかなり練習してきたこともあり、自分のメイクもかなり上達していた。
(もし大智くんとのデートで今みたいにメイクしていったら、喜んでくれたかな)
未練がましくそう考えてしまい、私はふりきるように笑顔をうかべた。
「ね、楓ちゃん。よかったら私にメイクさせてくれないかな? あんまり自信はないけど、頑張ってかわいくするから!」
「本当!?」
楓ちゃんは目を輝かせていた。それを見て私もますます気合が入る。
「そうだ。昨日大智さんがお見舞いに来てくれたんだよ」
「え?」
「今日は予定があって無理だったみたいだけど、光莉さんいつもより綺麗だから見てもらいたかったね」
「そう、かな……」
「そうに決まってるじゃん!」
大智くんが、今さら私を褒めるなんてあり得ない。
苦笑いする私を、凪くんが何か言いたげに見つめていた。
「楓ちゃん、喜んでくれてよかったなぁ」
病室からの帰り道。喜んでくれていた楓ちゃんの顔を思い浮かべ、私は上機嫌だった。
最近はずっと大智くんとのことでふさぎがちだったから、楓ちゃんと会えたのはとても良い気分転換になった。
(あ、そうだ……)
「ねぇ、凪くん。今日、この間行けなかったカフェに行かない?」
あの時、凪くんへのお礼におごろうと思っていたのに、あろうことか私は彼を置いて先に帰ってしまった。
「それならお腹も空いたしご飯にしない? ちょうど近くに喫茶店があるから」
そう言う凪くんに連れられて入ったお店は、昔ながらの喫茶店だった。なんとなく凪くんにはこういうお店が似合いそうだ。
メニューを開くと、手作りのバインダーに入っていてなつかしい感じがした。私がながめていると、
「今日のお礼にごちそうさせてよ。今日は本当に助かったからさ」
「え、それは困るよ! 私がおごるつもりだったのに」
「光莉ちゃんが? どうして?」
私は、前にカフェに行った時に本当は凪くんにおごるつもりだったことを説明する。
「そんな……ハンカチぐらい別に。それに、楓によくしてくれて、光莉ちゃんにはいくら感謝してもしたりないくらいなんだよ。だからここは僕が……」
「ちょっと待って。そういうのやめない?」
「そういうのって?」
凪くんが心底不思議そうな顔をしている。
「きっかけは凪くんだったけど、私は自分から楓ちゃんと友達になることを選んだんだよ。だから、そこまで感謝されたりお礼にお金を払ってもらったりとか、そういうのは嫌だなって」
それに、実は今日の楓ちゃんの服代を出したのも凪くんだった。
口にはしないけど彼は楓ちゃんのためにお金を切り詰めているみたいで、そんな大切なお金を私のために使うのは嫌だった。
凪くんはしばらく驚いたように私を見ていた。そして、
「うん、わかった。これからはもうやめる。ごめんね、光莉ちゃん」
「ううん、そんな、謝ってもらうことのほどじゃ……! それに、私も楓ちゃんの存在にはかなり救われてるんだ。ずっと大智くんとのことで気が滅入っていたけど、メイクの練習とかしてたら考える時間もなくなったし」
私は凪くんが心配しないように明るい声をとりつくろったが、彼はなんだか思いつめたような顔をしていた。
「あの、光莉ちゃん。光莉ちゃんは僕のこと――」
凪くんが何か言いかけた時。
「お待たせしましたー。ナポリタンとカレーライスです」
注文を運んできてくれたウェイトレスさんが、私たちの前に料理を置いてくれる。
何気なくウェイトレスさんと見ると、その制服は私たちが文化祭で着ていたものとそっくりだった。
結局、忙しくて大智くんと写真を撮ることはできなかった。
「そういえば、楓ちゃんに文化祭の写真は見せたの?」
双子コーデのことで忘れていたけど、楓ちゃんは文化祭についての話はしていなかった。
ナポリタンをフォークに巻き付けるのに苦戦しながら訊ねる。
「あ、いや、忘れてたかも」
「そっか。忙しかったもんね。じゃあ私が送って――」
フォークとスプーンを置き、スマホを取り出す。食べる前に送っちゃおうとラインを起動すると、
「ちょっと待って。その、今はいいんじゃないかな。料理も冷めちゃうから」
「大丈夫。すぐに終わるから」
「いや、でも……」
「今になって恥ずかしくなっちゃった?」
「そうじゃなくて……」
珍しく歯切れが悪い凪くんを不思議に思い、私は彼を見た。
やっぱり恥ずかしいのかな?
「その、せっかく光莉ちゃんと二人で撮った写真を、他の人に見せるのは嫌だなって……」
「え?」
そもそも楓ちゃんに見せるために写真を撮ったはずなのに。
凪くんの顔がみるみる赤くなっていく。
「や、やっぱり忘れて! なんでもないから! 写真も送っていいよ」
「う、うん……」
凪くんのことは気になりながらも、私は写真を楓ちゃんに送信する。
それからは二人とも無言で、ご飯を食べることに集中した。喫茶店のナポリタンはおいしかったはずなのに、いまいち味が感じられなかった。
喫茶店を出て、バスに乗って私の最寄り駅まで到着した。
「ありがとね、わざわざ送ってくれるなんて」
「いいよ、僕も光莉ちゃんと話したかったから」
凪くんは遠回りしてまで私を送ってくれると言った。
楓ちゃんのことで引け目を感じているようなら断ったけど、凪くんはただ私といたいと言ってくれた。
私は大智くんと付き合っていたから、楓ちゃんのお見舞い以外では私と二人きりにならないように配慮してくれていたらしい。
そんな凪くんの気遣いをうれしく思うと同時に、大智くんとの関係が本当に終わったように思えて悲しくなった。
「それに、光莉ちゃん、何か無理してるみたいだったから気になって」
「――え?」
今日、楽しかったのは本当だ。でも、時々大智くんとのことがよぎってつらくなっていたのも本当。でも、凪くんには気づかれないようにしていたのに。
「なんで……」
「光莉ちゃんは大切な友達だから気づくよ……っていうのは半分本当で半分嘘かな。光莉ちゃんが僕の記憶を失う前、光莉ちゃんがつらい思いしてたのに全く気がつかなかったから、もうそういうことはしたくないなって」
「そんなこと気にしなくていいのに」
その頃の私たちはまだ付き合いも浅かったはずだ。凪くんが気にする必要なんてないのに。
「やっぱり渡会のこと?」
「うん、前みたいに話しかけてくれなくなって……」
「光莉ちゃんからは話しかけないの?」
「忘れられたらと思うと、怖くて。もう美宙のことが好きになっちゃうのも時間の問題かも……」
「美宙って……椎名さん? 椎名さんと渡会が付き合うの?」
凪くんは理解できないようで困惑している。
「文化祭の日、大智くん、美宙に告白してたんだ。ずっと好きだったって。それで、私と別れたいって言われた」
「本当に?」
凪くんの声が怒っているように低くなる。
「なんだよそれ、最低すぎるだろ」
「ううん、いいの。美宙は私から見ても憧れの女の子で……好きになるのもわかる、から。それに、私……大智くんに忘れられる方が怖い。自分は大智くんのこと忘れたのにね。大智くんが私のこと忘れちゃったら、私……!」
涙が頬を伝っていく。だめだ。凪くんの前で泣きたくないのに。
「あ、ごめん、なんでも――」
急いで涙を指先でぬぐうのと同時に、私は凪くんに抱きしめられていた。
「な、凪くん……?」
ずっと細いと思っていた彼の体は想像していたよりもずっと大きくて、私は固まって動けなかった。
「じゃあ、光莉ちゃんが先にあいつなんて忘れなよ」
「えっ?」
「そうしたら、光莉ちゃんは傷つかないよ。僕は、光莉ちゃんがまた傷つくの見たくない」
また、というのは前に大智くんにフラれて泣いていた時のことだろうか。
私は忘れている記憶。でも、きっと私にとって大切だった記憶。
「そんなの無理だよ。そんな簡単に忘れられるわけない」
「僕があいつを忘れさせてあげる」
凪くんが私を優しく抱きしめた。大智くんとは違う、壊れ物に触れるかのような抱きしめ方だった。
「ちょっと凪くん、困るよ、私は大智くんが……」
「今はそれでいいよ。光莉ちゃんが渡会を好きでも、いつか絶対忘れさせるから」
「なんで? 凪くんモテるし、私じゃなくても――」
「光莉ちゃんじゃないとだめだよ」
「凪くんの元カノはちょっと残念だったかもしれない。でも、きっと楓ちゃんのことも理解してくれる人は現れ――」
「……本気で言ってる?」
おずおずと見上げた凪くんの表情は怒っているように見えた。そんな凪くんを見るのは初めてで、私は息をのんだ。
「光莉ちゃんは、僕が楓のことを理解してくれるから光莉ちゃんと付き合いたいと思ってるの?」
「え、違うの?」
前に凪くんは、楓ちゃんのことを責められ彼女と別れることになったと言っていた。だから私はそんな心配はないのではないかと思ったのだけど……。
「全然、違うよ! 僕は、あの日、休んでた目黒さんをお見舞いに行った――光莉ちゃんと初めて出会った日から、ずっと好きだったんだ」
少し怒ったような、真剣な口調で凪くんは言う。
「本当は楓のお見舞いなんて口実だった。光莉ちゃんと仲良くなりたかったけど、渡会と付き合ってたから。楓のことなんて関係ない。僕は光莉ちゃんが好きだ」
記憶はないけど、過去に片思いしていた相手。その人が、今、私を好きだと言っている。
まったく信じられなくて、まるで夢を見ているようだ。
それに、凪くんはずっと友達としか見ていなくて、まさかずっと彼が私を好きだったなんて。
「でも、私――」
「今度は別の人を好きになんてさせない。ずっと、光莉ちゃんが僕を好きでいてくれるように頑張るから」
その言葉で私は少し冷静さを取り戻す。
「凪くん、付き合っても私、凪くんを忘れるかもしれないんだよ?」
実際に私は彼を忘れている。その時は凪くんは私を好きではなかったからなんともなかったのかもしれないけど、今は違う。
「いいよ。光莉ちゃんが生きてさえいてくれれば」
その言葉の重さに、私はドキリとした。
楓ちゃんはいつまで生きられるかわからないとお医者さんに言われてきたと言っていた。そんな楓ちゃんの側にずっといた凪くんは、普通の高校生とは違う。
大智くんを好きになりかけた時、私は迷惑になるから諦めなければいけないと思った。自分はもう恋なんてできないと思った。
「僕は渡会みたいに自分から呪いにかかったりしない。渡会はきっと他の人と色々違うんだと思う。僕だったら、渡会みたいに光莉ちゃんを不安にさせたりしない」
凪くんと付き合ったら、大智くんとの時のように自分を忘れられるかと一生おびえなくて済む。私が凪くんを忘れても、生きてくれるならいいと言ってくれた。
きっと凪くんと付き合った方が幸せになれる。
それに、大智くんはもう美宙が好きで、私がどれだけよりを戻したいと願っても叶わないだろう。
ふわりと柔軟剤のような清潔感のある香りが鼻先をくすぐる。それに混じって、かすかに汗のにおいがした。
ずっと大智くんしか見ていなかった私は、凪くんも男の子なんだと当たり前のことを思い知らされる。
「僕じゃ、だめかな……?」
凪くんの声は震えていた。
いつも落ち着いている彼の緊張が痛いほど伝わってきて、私はなにも言えなくなった。
凪くんは勇気を出して私に思いを告げてくれた。
絶対に凪くんを選んだ方がいい。
「凪くん、私は――」




