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この恋は上書き保存できない  作者: 永井一花
第四章 忘れないで
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第二十一話

(大智くん、遅いな……)

 文化祭前日の放課後。なんとかクラスの準備は終わったが、実行委員の大智くんはいつ帰れるかわからないようだった。

 本当は十八時には学校を閉めなきゃ行けないけど、まだ準備が残っている人だけ特別に学校に残ることが許されていた。

 見回りの先生は、用もないのに残っている生徒たちに注意している。

 わたしはこっそりトイレに隠れ、スマホをいじっていた。あれからずっと大智くんとは登下校を共にしていて、私のことを忘れたりした様子もない。

 大丈夫。三浦さんのことはちょっと気になっただけ。大智くんは私を好きでいてくれている。

「そういえば、渡会くんの彼女、今日は見ないね」

 突然の自分の話題に、私は硬直した。

 とっさに個室に入り鍵を閉めると、話し声はこちらに近づいてきた。

「さすがに今日は無理だったんじゃね? 先生見回ってたし」

「毎日待っててけなげだよね。そんなに一緒にいたいなら、実行委員やればいいのに~」

「あの子には無理っしょ~。とろそうだし、クラスでなめられてそう」

 知らない女の子たちが、声を上げて笑う。

「つか、まじ迷惑だよね。渡会、早く帰れないかって聞いて怒られてたし」

「あの子どんだけ束縛してんの? 怖すぎ。渡会もなんであんな子がいいんだろ」

「釣り合ってなさすぎ。渡会の女のセンスガチやばい」

 ……やめて!

 両手できつく耳をふさいで、ぎゅっと目を閉じる。

 息を殺していると、彼女たちはしばらくして出て行った。

「……ひどい顔」

 鍵を開け個室を出ると、鏡に映った自分の青ざめた顔に笑ってしまった。

 私は大智くんが誰かを好きになるのが不安で、ずっと一緒にいたかった。ただそれだけだったのに、それがこんなにも彼の負担になっているなんて思わなかった。

『先生に注意されちゃったから帰るね! 大智くん、頑張ってね』

 彼にラインを送信して、スマホをポケットにしまう。

 明日は文化祭だ。これ以上彼の迷惑にはなりたくない。

(私、このままじゃだめだ――)

 大智くんのそばにずっといなくても、大丈夫にならないと。私はそう心に誓ったのだった。


 文化祭当日は、雲一つない澄んだ晴れた空だった。

 裾の長いウェイトレスの衣装に身を包んだ私は、なんだか落ち着かなかった。

「目黒さん似合うー! やっぱメイクこれくらいが正解かも」

 前のような別人のようなメイクではなかったが、それでも彼女のメイクの腕は確かで、地味な私の顔が華やいで見える。

「ありがと。桧山さんのおかげだよ。さすがに美宙には負けるけど」

 私は美宙に目をやった。

 美宙は、もちろんウェイトレスの服を着ていて、小さすぎる顔と、長いドレスの裾からちらりとのぞく細い足がまるでお人形のようだった。

「美しすぎる……」

「あれ無加工なの? 同じ人間とは思えない……」

 と、女子たちはため息をもらしている。

 そんな中、私を見ていた一人の男子が、

「あれ、目黒……普通に可愛くね?」

「普通にって何だよ。人の彼女に手出すなよ」

「今の目黒なら、俺、ありかも」

「おい!」

 大智くんは男子に焦りながら声を荒らげていたが、私と目があうと照れたように目をそらした。

(待って。大智くんかっこよすぎでは?)

 今の大智くんはウェイターの衣装を着ていた。ワイシャツの上に黒のベスト、スラックスという服装だ。

 本人は似合わないと言っていたのだが、いつも明るいから子どもっぽく見えていた彼がこの衣装を着ると急に大人びて見えた。身長も高いので彼はばっちり着こなしていて、いつもよりも大人の魅力にあふれていた。

 昨日までの不安な気持ちも吹き飛び、私の心臓は高鳴った。

「目黒さん、似合うね」

 そんな渡会くんの隣にいるのは、同じくウェイターの服を着た凪くんだ。

 身長は大智くんより低めなものの、高校生には見えない大人びた佇まいと、どこか陰がありそうな感じがとても服装と相性が良くて――。

「本職の人?」

「そう見える?」

 凪くんはあんなに渋っていた割にはまんざらでもなさそうだった。

「うん、見え――」

「渡会、思ったより似合ってるじゃん」

「思ったよりって何だよ」

「ね、写真撮っていい?」

「私も撮りたーい」

 いつの間にか大智くんは女子に囲まれスマホを向けられていた。彼はノリノリでポーズをとり、「俺に惚れんなよ」と得意げだった。

 その光景にもやっとして、すぐにそれじゃだめだと思い直す。

 彼は人気者だ。この程度でいちいち心を乱していたらやっていけない。

「そうだ凪くん。写真撮っていい?」

「渡会じゃなくて僕なの?」

「楓ちゃんに送りたいから」

「楓に?」

 凪くんは少し困ったように眉をさげ、「じゃあ光莉ちゃんも一緒に撮ろうよ」とスマホを構えた。

「え!?」

「なんで驚くの。僕一人より光莉ちゃんの写真、楓も喜ぶと思うよ」

「そうだけど……」

 大智くんは他の男子と撮るの気にするかな。ちらりと彼を見ると、彼は撮影会の真っ最中でこちらのことなど全く見ていなかった。

 私の視線に気がついた凪くんは、

「あ、ごめん。彼氏いるのに嫌だったよね。気がつかなくてごめん」

 申し訳なさそうに手を合わせると、

「渡会とも撮りたかったけど……今は無理そうかな? これで僕を撮ってくれる?」

 と、自分のスマホを渡してきた。私はそれを受けとると、自撮りモードにして凪くんの方に身を寄せた。

「光莉ちゃん? 無理しなくても……」

「これくらい大丈夫だよ。凪くんの妹の楓ちゃんも、お兄ちゃんが一人より私と取った方が友達いるんだって安心するだろうから」

 凪くんにと言うより、なぜか彼氏を差し置いて凪くんと写真を撮ろうとしている私に視線を向けてくるクラスメイトに向けてそう言うと、すぐにその視線はそらされた。

 大智くんは目立つ。でもその彼と付き合っているのが目立たない私だと、表だって何かを言わなくても思うところはあるのだろうとあのトイレでの盗み聞き以来学んでいた。

 大智くんの株を下げないように、私もこれからは意識しないと。

「じゃあお願いしようかな。あとで渡会とも撮ろうね」

 凪くんはそう提案してくれたけど、結局、大智くんはすぐに実行委員の人に呼ばれてどこかへ行ってしまった。

(そういえば……)

 凪くんのことを書いた日記に書いてあった。遠足で水族館に行った時、凪くんと二人で写真を撮ろうとしたら大智くんが邪魔しに来たのだと。

 凪くんのことは忘れてしまったけど、誰かと写真を撮ろうとしたら大智くんが必死で止めようとしたことは覚えている。

 あの時の方が大智くんに好かれている自信はあったように思う。

 今は、彼に好かれている自信なんてまったくなかった。


「こんにちは~! 純喫茶『浪漫』で~す」

(うぅ、恥ずかしすぎる……)

 廊下は楽しそうな人の声であふれかえっていた。私は看板を持ちながら、消え入りそうになる声を必死に張り上げる。

 私の接客はすぐに終わるはずだった。でも、接客をやる予定だった子が体調を崩してしまい、仕方なく私が引き受けることになったのだ。

 教室の中だけでも恥ずかしいのに、美宙が離れたらお客さんからクレームが来るとのことで私が呼び込みをすることになってしまった。

 大智くんは実行委員の仕事が忙しくて、クラスでの仕事はほとんどできないみたいだし……。

 せめて誰か一緒だったらな、と、心が折れそうになりながらも声を出していた時。

「ねぇ、その店って君もいるの?」

 知らない男子に声をかけられ、顔が引きつる。

「は、はい」

 その男子はうちとは違う制服で、その制服はだらしなく着崩されていた。

「じゃあ案内してよ~」

 言いながら、彼は距離を詰めてくる。近い。

「今宣伝中なので……」

「じゃあ、終わるまで俺もついてくね」

 彼はニヤニヤしながら、私の隣に並ぶ。肩がふれそうな距離にぞくっとした。

「でも、時間かかっちゃうし」

「いいよいいよ~。俺優しいから待ってるって。つかこれ重くね? 俺が持ってやるよ」

 彼は勝手に看板を奪ってしまう。

 どうしよう。逃げたいけど、今逃げたらあの看板がどうなるかわからない。美術部の子がすごく時間をかけて作ってくれたものなのに。

「ちょっと、返してください」

「なぁ、名前なんていうの?」

「えっと……」

「名前も教えてくんねーの? 名前教えてくれたら、料理頼んでやってもいいよ。君の分もおごってやるから一緒に――」

 彼が手を伸ばしてきて、泣きそうになっていると、

「あの、そういうのやめてもらえますか」

 不意に背後から声がした。

 ふり向くと、ウェイター姿の凪くんが彼の手をつかんでいる。

「なに、お前。この子の彼氏?」

「あなたに関係なくないですか。これ以上しつこくするなら、先生呼びますよ?」

 穏やかだが凄みを感じさせる声。男子は「チッ」と舌打ちすると、凪くんに看板を押しつけて逃げていった。

「な、凪くん……」

「光莉ちゃん、大丈夫? 怖かったでしょ」

 こちらを気遣うようにそっとのぞきこんでくる。涙目の私に気がついた凪くんは、私の頭を優しくなでた。

「一人で行かせてごめんね」

「ううん、ありがとう。本当に助かった」

 凪くんがいなかったらどうなっていたか。

 それに、凪くんって落ち着いて見えるけどこういう時はすごく男らしいんだな……。凪くんの新たな一面に驚いていると、

「光莉ーッ! 大丈夫か!?」

 実行委員の腕章をつけた大智くんが、こちらに走ってくる。

「しつこい男子に絡まれてるって聞いて……」

 息を切らせた大智くんは、そこで凪くんに気がついたようだ。

「倉田……」

「あ、あの、凪くんが助けてくれて……」

「……そう」

 大智くんはじっと凪くんの手を見ている。その手は私の頭に置かれていて……。

「あっ」

 慌てて身をよじり凪くんの手から逃れる。

「大智くん、あの……」

「ごめんね。光莉ちゃんが泣きそうになってたから、安心させたかったんだ。まさか手を出したとか言わないよね?」

 凪くんは笑みを浮かべていた。でも、彼の笑顔は有無を言わせない迫力があった。

「別に言わねぇよ。光莉、ごめんな。助けてやれなくて」

「え、ううん、ぜんぜん! 大智くん、実行委員で忙しいから仕方ないよ」

 これ以上大智くんの負担になりたくなくて、私は笑ってみせた。

「おーい! 実行委員! 何してる、早くこっち来い!」

「あ、すんません! すぐ行きます!」

 大智くんは一度こちらを見ると、すぐに実行委員の先輩のところに走っていった。

「そうだ、光莉ちゃん。これ終わったら休憩していいって言われてるんだ。よかったら一緒に回らない?」

 美宙と回る約束をしていたが、接客の女子が減ってしまって一緒に休憩を取ることは無理そうだ。

「うん、いいよ」

 大智くんや美宙と回れないことはさみしいけど、凪くんがいてよかった。

(これで私、大智くんの足手まといにならないよね)

 そうやって少しずつ、大智くんに依存するのをやめていこう。

 私はそう心に決めた。


 文化祭は多少のトラブルはあったものの、あっという間に時間は過ぎていった。

 オレンジ色に染められた教室の真ん中で、桧山さんが叫んでいる。

「今から打ち上げ行く人ー!」

「行くけど、望花、実行委員の仕事はいいの?」

「よくない! 抜け出してきた!」

 終わったら絶対行くから、と言い残して桧山さんが教室を出ていく。

(そういえば、美宙は……?)

 大智くんは実行委員の仕事だろうけど、教室には美宙の姿はなかった。

 もしかしてナンパされてるとかじゃないよね? 接客中にも彼女はかなりの男子に連絡先を聞かれていた。

 もう他校生は帰ったはずだけど、先輩とかにしつこく絡まれていたら大変だ。

「光莉ちゃんは打ち上げ行く?」

「ごめん、ちょっと美宙探してくるね!」

 凪くんの返事を待たずに教室を飛び出した。

 さっきまでたくさんの人でごった返していた廊下は、別の場所のようにさみしい気配が満ちていた。

 私は廊下を進みながら、ラインを立ち上げる。美宙からの連絡は来ていなかった。

 今どこにいるの、と文字を打っていると、

「どうしたの? 私に話があるって。それに教室じゃだめなの?」

 ちょうど私が通りかかった空き教室から美宙の声が聞こえてきた。もしかして告白?

 邪魔したら申し訳ないな、と立ち去ろうとすると、

「あぁ、悪いな。ちょっと光莉には聞かれたくなくて」

 気まずそうなその声に私は息をのんだ。

(大智くん? それに、私に聞かれたくないって……)

 なんだか嫌な予感がする。

 この場から逃げ出したいのに、足は凍りついたように動かない。

「あのさ……こんなこと言っても信じてもらえねぇと思うけど」

 大智くんの声は、覚悟が決まったように落ち着いていた。

 言わなきゃいけないこと? 一体なんなんだろう。

 心臓の鼓動が速くなり、背中に冷や汗が伝う。

「俺、椎名のことが好きだったんだ」

「え?」

 思わず声を上げそうになり、とっさに手で押さえる。

 大智くん、今なんて――?

「どうしてその話を私に?」

 ずっと三浦さんが好きなんだと思っていた。でも、大智くんが好きなのは美宙だったなんて……。

「それは……」

 大智くんが不意にこちらを向いた。気づかれた!?

 彼はドアを開け、私を目が合う。

「!」

 でも、彼がなにかを言う前に私は走り出していた。

『誰?』って聞かれるのが怖かった。三浦さんのことは勘違いだった。でも、今のは勘違いなんかじゃない。

 怖い。大智くんに忘れられるのが――!

 教室に戻る気にもなれなくて、私は校舎を飛び出していた。

 走りながら涙がこみ上げてくる。大智くん、どうして? 私のことを大切にするって言ったじゃん。それなのに美宙を好きになるなんて……あれは嘘だったの?

 それとも、私がうざかったから嫌になったの?

 ごめんなさい、もう大智くんの負担になることはしないから。だから、私のこと忘れないで――。

 祈るような気持ちでキーホルダーにふれようとすると、私の指に当たるのは鞄の固い感触だけだった。

(キーホルダーがない!?)

 どうして? 今日の朝、登校する時はちゃんとついていたのに。よりによってこのタイミングなんて。

 来た道を全力で戻る。すると、さっき渡った横断歩道にきらりと光る何かがあった。走り寄ると、だんだんと近づいてはっきり見えてくる。あの水色の小さなものは、間違いなく例のキーホルダーだ。

 私は横断歩道に突っ込んだ。手をのばしキーホルダーが指先に触れる。安堵した瞬間、大きなクラクションの音が鳴り響いた。

 顔を上げる。トラックが私の体に迫ってきていた。

(え……?)

 体は恐怖で一ミリも動かない。私、このままじゃ轢かれる――!

 ぎゅっと目を閉じる。

「光莉ッ!」

 それと同時に、私の体がものすごい力で引っぱられた。

「あぶねーな! 死にてぇのか!?」

 運転手の怒号とともに、ぎりぎりでそれたトラックが通過していく。

「何やってんだよ、バカ!」

「ご、ごめ……」

 私を支える大智くんの手はガクガクと震えていた。

「でもこれ、無事だったよ」

「はぁ!? そんなもののために死にかけたのか!?」

「そんなものって……」

 最近大智くんは私の前で本音を見せなくなった。そんな彼が私に見せる激しい感情。

「だって……ただでさえ一個なくしたのに、またなくしたら……」

 その時は、大智くんとの縁が完全に切れてしまいそうで――。

「それで死んだらどうすんだよ!」

「別にどうだっていい。私は、大智くんさえいればそれでいい」

「光莉……」

「それより、大智くん……私のこと覚えてくれてたんだ……」

「え?」

「よかった……ちゃんと、私のこと好きだったんだ」

 美宙を好きになって浮気だとか、責める気は一切なかった。それよりも、大智くんがまだ私を好きでいてくれたことに安堵が広がっていく。

「大智くん?」

 けれど、彼は苦々しい顔をしていた。

 信号が青になる。横断歩道を渡ろうとしたが、彼は動かないままだった。

「光莉、あのさ。俺、隠してたけど、光莉のこと何度か忘れかけてる」

「え……」

 安心していたところに突きつけられた真実。

 嘘、だ……嘘に決まってる……!

 呼吸が浅くなって、うまく息が吸えない。喉がしめつけられて、声を出そうとしても出せなかった。

「俺、椎名が好きなんだ。もうこの気持ちを抑えられない。このまま付き合っててお前を忘れて傷つけたくない。だから光莉、俺と別れてくれ」

 大智くんは固まった私を残したまま、横断歩道を渡っていった。

 その姿が小さくなっても、私はずっと動けなかった。

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