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この恋は上書き保存できない  作者: 永井一花
第四章 忘れないで
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第二十話

「うん、かわいい。見て、どう!?」

 数日後の放課後の教室にて。桧山さんに渡された手鏡で自分の顔をのぞきこむと、全く知らない人がいた。

「これ、私……?」

 メイク動画のビフォーアフターで別人みたいになっているのを見たことがある。登校したらバズりそうなくらい私も別人になっていた。明るい茶髪のヴィックをかぶっているからなおさらだ。

 美宙に教えてもらったメイクもうまかったけど、桧山さんのは別格だ。

「ね、やばいっしょ~。でもさすがにこれはやりすぎた~。純喫茶だから浮いちゃうかもね」

 私に恥をかかせないと言った桧山さんの言葉は本当で、今日はメイクの練習がしたいと申し出てきた。

 忙しい実行委員の合間を縫って、彼女は私にメイクをしてくれていた。

「せっかくだから渡会に見てもらったら? まだ帰ってなかったと思うし」

「うん、わかった」

 私が教室を出ると、残っていた女子たちが「私もやって!」と桧山さんに殺到していた。

 廊下を歩いていた生徒が、私のことを驚いたように見る。何人かの女子からは「それ、自分でやったの?」「え、やば! 目黒さんだったの!?」と話しかけられ、うれしいけど少し恥ずかしかった。

 これを見たら大智くん、どんな反応するんだろう。

 可愛いって言ってくれるかな? それとも似合わないって笑うかな?

 ドキドキしながら大智くんを探してみるけれど、彼はなかなか見つからない。

 ふと、廊下を歩いてくる一人の男子生徒の姿が目に入る。確か、文化祭の実行委員だったはず。最近、大智くんと話しているのを何度か見かけていた。

「あの、すみません。渡会大智くん、どこにいるか知りませんか?」

「渡会なら今帰ったところだよ」

「そうなんですか?」

 まだ校内には実行委員の人が残っているのに。大智くんだけ先に帰ったんだろうか。

 疑問に思っていると、彼はため息をついた。

「あいつありえないよなー。まだ仕事残ってるのに、誰かに呼び出されたとかで帰ったんだぜ。あの慌てぶりは彼女だな」

 全く、と彼は文句を言っている。どうやら、見た目が変わりすぎて彼女がその私だとは気づいていないようだ。

「わかりました。ありがとうございます」

 お礼を言ってその場からはなれる。

 今なら追いかければ間に合うかもしれない。

 それにしても、そんなに急ぎの用事だったなんて何かあったんだろうか。もしかして、彼の家族に何かあったとか?

 もしそうなら早く大智くんに会いたかった。私がいても何もできないかもしれないけど、少しでも大智くんが安心できれば――。

 靴を履きかえるのももどかしい。私は昇降口を出て小走りになった。

 大智くんの姿はすぐに見つかった。校門の陰に見慣れた後ろ姿を見つけてほっとする。でも、彼はなぜかその場から動こうとしなかった。

 嫌な予感がして、私は走るスピードを上げる。でも、彼の近くにいる女子が目に入り、呼吸が浅くなる。

 なんで……なんで――!?

 その女子は三浦さんだった。彼女の両手は大智くんの腰に回されていて、二人は抱き合っている。

 この距離からはわからない。でも、二人の顔はキスができそうなくらい近づいていって――。

(嘘だ。こんなの……!)

 だって、三浦さんとはもう会わないって約束した。もう嘘はつかないって言った。

 きっとこの男の子、大智くんによく似た別の人なんだ。そうだ。そうに決まっている。

「大智くん!」

 試しに呼びかけてみる。

 その男の子はこちらをふり返った。目と目が、合う。

 それでも大智くんは顔色一つ変えない。怪訝そうな顔でこう言った。

「……誰?」

「――!」

 頭がまっ白になる。今朝、一緒に学校に登校した。昼休みだって彼とごはんを食べて、放課後、「今日も帰れなくて悪いな」ってさみしそうに笑った。

 光莉、って私の名前を愛おしそうに呼んで私に笑いかけてくれた。

 なのに、私を忘れた……!

 どうして? 彼女の私なんて一瞬で忘れるくらい、三浦さんが好きだったの? だから約束破ったの?

 大智くんとの思い出が走馬灯のように脳裏を駆けめぐる。もう大智くんは、私に笑いかけてくれないの? 手を繋いでくれないの? 今からその相手は、三浦さんになるの?

 私の方が大智くんを好きなのに。彼女なのに。どうして――!?

 息ができなくて、私は崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込んだ。

「大丈夫か? ……って、おまえ光莉!?」

 そっと肩にふれられ、私は顔を上げる。心配そうに見ていた大智くんの目が驚愕に見開かれた。

「覚えてる、の? わたしのこと」

「当たり前だろ。普段とぜんぜん違うから遠くからじゃわからなかったけど」

「あ……」

 今の自分の格好を完全に忘れていた。大智くんがすぐに気づけなくても無理はない。

 でも、私はその可能性すら思い浮かばなかった。彼に忘れられたと思って、それ以外考えられなかった。

「そっか……覚えてたんだ……」

 よかった。大智くんは三浦さんを好きになったんじゃなかったんだ。

 涙がぼろぼろこぼれ落ちる。泣きたいわけじゃないのに。なんだか大智くんに会ってからの私は泣いてばかりだ。

「……ごめん」

 私と同じ目線にしゃがみこんで、彼は絞り出すように言った。

「違うんだ、これは。三浦が急に抱きついてきて、それで」

「大智って意外と隙だらけだよね? ごめんね彼女さん、大智とキスしちゃって」

 三浦さんが勝ちほこったような笑みをうかべた。

「し、してねーから! 光莉、俺のこと信じて――」

 大智くんは誰かに呼び出されたと聞いた。私は彼の家族に何かあったんじゃないかって思ってたけど、なんだ。三浦さんに呼び出されたから来たんだ。わざわざ、実行委員の仕事を抜け出してまで。

「そんなの信じられないよ」

 本当にキスしてないのかもしれない。でも、大智くんは私に嘘をついてまで彼女と連絡を取っていた。

 私が声をかけなかったら、多分していたんじゃないか。

 でも、そんなことよりも、私は大智くんに忘れられたと思ったショックの方が大きかった。実際には忘れていなかったけど……。

「嫌だ、よ。大智くん、三浦さんを好きにならないで。私のこと忘れないで……!」

 このままでは私、確実に大智くんに忘れられてしまう。あんな一瞬でも忘れられたと思ったらショックだったのに、彼が本当に私を忘れてしまったら――!?

「あのさ、光莉。俺、ずっと言えなかったけど、実は……」

 大智くんが私の手を優しく握る。

「俺、あの呪いにかかってないんだ」

「……はぁ?」

「ずっと言えなくて、ごめん。言ったら光莉が嫌かなと思って。でも、本当なんだ」

 彼の目は真剣だった。

 私は言葉を失って、彼の目を見返す。

「でも、私が初恋だって言ってたじゃん。あれは全部、嘘だったの?」

 もしも呪いがかかっていなかったとしても、私しか好きになったことがないならそのことに気がつくはずはない。私の前に好きになった人を覚えていないと、呪いがかかっていないなんてわからないのに。

「それに、私の前に好きだった人って誰なの?」

「そ、そんなの……誰だっていいだろ! 光莉の知らないやつだよ」

 彼の視線が気まずそうに泳ぎ出す。

「幼なじみなのに?」

 彼が私を好きになったのは小学生の時だ。ずっと同じ小学校に通っていて、私が知らない人を好きになるとは考えにくい。それにもし学校以外の人だとしたら、普通に言えるはずだ。

「やっぱり嘘なんだ、呪いにかかってないっていうの」

 私があまりにもパニックになったから、彼は嘘をついたのかもしれない。

「ちが――」

「大体、大智くんが三浦さんと仲良くしてなければ、私が不安になることもなかったのに。それなのに大智くんは、その場限りの嘘をついて私を安心させようとしたんだね」

 ――また三浦さんと会うつもりなんだ。

 だって、そうじゃないなら誠心誠意謝って、もう三浦さんと会わないようにすればいいだけなのに。

「呪いってなんの話してんの? なんかよくわかんないけど、大智はもらっていいよね? ウチだったら大智が他の女の子と仲良くしてても見逃してあげるし」

 三浦さんが大智くんの腕をぐいっとひっぱる。彼はそれをふり払った。

「三浦! いい加減にしろよ。俺が好きなのは何回も言ってるけど光莉だけで……」

「また言ってるし。いいよ、大智の気が変わるまで待っててあげる。どうせ時間の問題だし」

 じゃーねー、と、彼女は場に似合わない明るすぎる声で去っていった。

「光莉。ごめん、もう信じてもらえないかもしれないけど……俺、光莉に嫌われたくない」

「大丈夫だよ。私、大智くんを嫌いになってなんかない」

 私は立ち上がり、スカートについた汚れを払った。涙でベタベタの頬を拭って、笑顔をうかべた。

「え? 光莉?」

 なんで三浦さんと会ってたの? 本当はキスしてたんじゃないの? なんで呪いにかかってないなんて言ったの? それほど私が取り乱すのが面倒くさかったの?

 本当は大声で大智くんに詰め寄って、ぜんぶ問いただしたかった。

 でも――。

(だめ。そんなことをしたら、大智くんに嫌われる――!)

 彼に嫌われてしまったら、三浦さんと会っていなくても彼女への気持ちが大きくなっていってしまう。そうしたら、私のこと、今度こそ忘れられてしまう。

「色々ごめん、ちょっと動揺しちゃって。でも、もう、三浦さんには会わないでね?」

 大丈夫。大智くんは私を忘れていない。私を好きでいてくれている。

 それなら、聞き分けのいいフリをしなくちゃ。彼に忘れられるのだけは、絶対に嫌だ……!

「あぁ、もちろん」

 彼はそれから、心配そうに私をのぞきこんだ。

「光莉、なんか無理してないか?」

「ううん、してないよ。でも、一つお願いがあるんだ」

「お願い?」

「これから、毎日一緒に登下校して」

「でも、待たせちゃうから」

「いいよ。大智くんと一緒にいたいから」

 大智くんは私の頭に手を置き、「ごめんな」と小さくささやいた。


 それから約束どおり、大智くんとは毎日登下校するようになった。

「光莉の方は、どんな感じ?」

 夕暮れの道を二人で歩きながら、大智くんが訊ねてくる。

「えっと、昨日はメニューの試作してたよ。桧山さんがすごく料理うまくてびっくりした。なんでもできるよね、桧山さんって」

 桧山さんは実行委員の仕事で忙しく、クラスの方はあまり見られないと言っていた。それでも、試作しているところに顔を出した桧山さんは、「料理なめてんの?」と、コーヒーゼリーを慣れた手つきで作ってみせた。それが今まで食べたどのコーヒーゼリーよりもおいしくてすごかった。

「そうか? 結構抜けてて委員の仕事遅刻したりしてるぞ。昨日なんて走り回って思いっきりこけてたし」

 大智くんはおかしそうに笑って、それから我に返ったように押し黙った。

 ……そんなに気を使わなくていいのに。

 彼は、私の前で他の女の子の話をほとんどしなくなった。大智くんも、私を忘れたと思ってパニックになったのが気にかかっているらしい。

 でも私は、大智くんが約束を破ったことの方が許せなかった。

 三浦さんはストーカーされてたって言うし、命の危険もあるから心配するのは普通なのかもしれない。

 頭ではわかっているのに、彼の前で前のようにふるまえなかった。

「あ、それより当日楽しみだな。衣装もうすぐ届くって言ってたぞ」

 ちょっと早口になりながら大智くんが話題を変える。

「大智くんも着るんだよね?」

「あぁ。まぁでも俺は似合わないと思うぞ。ああいう格式高い? っつーの? 倉田はすげー似合いそうだけどな」

 凪くんも美宙と同じく裏方を志望していたが、彼の場合は美宙みたいに意見を聞く前に勝手に接客のところに名前を書かれていた。「僕に人権はないの?」と苦笑いしていたっけ。

「わかる。本人嫌がってたけど、絶対似合うよね。むしろ実際に働いてないのが不思議なくらい」

 うやうやしく一礼するウェイター姿の凪くんを想像し、くすりと笑う。

「ほんっと楽しみ~。絶対写真撮るんだ! でも凪くん嫌がるかな~、こっそり撮ったら怒られるかな?」

 凪くんのウェイター姿の写真を見たら、きっと楓ちゃん喜ぶだろうな。彼女の笑顔を想像して胸が躍った。

「盗撮はダメだろ。恥ずかしそうなところ撮るのがいんじゃね?」

「さっすが大智くん! そんな写真撮れたら最高すぎるよ~」

 おお? もしかして私、大智くんと自然に話せてる!?

「ね、大智くんも凪くんと――」

「おまえ、倉田の話だけ楽しそうだな」

 大智くんの冷たい声が私の浮ついて心を一気に凍りつかせた。彼は不愉快そうに眉間にしわを寄せていた。

「ご、ごめ、私――」

「いや今のなし! さすがに俺、性格悪すぎる!」

 手をぶんぶん振って、ひときわ声が大きくなる。

「自分でも引いたわ今の。何やってんだ俺……」

 落ちつきなく髪をさわりながら、横目で私をうかがうように見てくる。

 ……私は大智くんと盛り上がれたと思ってうれしくなっただけなのに。それに、

「ごめん、凪くんの写真撮れたら楓ちゃんが喜ぶかなと思って」

「あ、そ、そうだよな。うん、早とちりした……」

 彼はぎこちない笑顔をうかべ、また「ごめん」と謝った。

「もうやめてよ!」

 私は彼の明るい笑顔が大好きだった。最近彼は、私の前では心からの笑顔を見せることはなくなっていた。

「光莉?」

「大智くん気にしすぎ! 気を使ってくれるのはわかるけど、私はもう大丈夫だから。これから大智くんを好きな子が現れても、負けないから!」

 彼にふさわしい人になりたかった。

 今の大智くんは見ていられなくて、でも、彼をそうしたのは紛れもなく私だ。

「ははっ……ごめんな光莉、俺が間違ってたよ」

 大智くんはぎゅっと私の手を握った。合わさった掌から、彼の体温が伝わる。こうして手を繋ぐのもなんだか久しぶりだった。

 大智くんはモテる。その度にこんなに自分を忘れられたんじゃないかって取り乱していたら身が持たないし、こんな風に気を使われるのも嫌だった。

 それなら、私が強くなるしかない。

「文化祭終わったら、デートしよ? 私、行きたいところたくさんあるんだ」

「お、いいな。とっとと文化祭終わんねぇかな」

「実行委員がそんなこと言っちゃだめでしょ」

 こちらを見て笑う大智くんはいつもどおりの快活な笑顔だった。

 私たちは大丈夫。また前みたいに仲良くなれる。

 私は言い聞かせた。自分の本当の気持ちには蓋をしたまま。


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