第十九話
(見つからなかった……)
翌日。私は寝不足でぼーっとしながら炎天下の下を歩いていた。
「光莉、俺に感謝しろよな。まだ夏休みの宿題終わってないとか。光莉もちょっとは計画性を――」
大智くんがぶつぶつ言っていたが、その声もあまり入ってこない。
彼は本当にいつもどおりだった。まるで昨日のことが夢だったかのように、楽しそうに笑っている。
「聞いてんの?」
大智くんがつながっている私の手をぐいっと引いた。
「き、聞いてるよ!」
「絶対聞いてないだろ。どした? なんか顔色悪くね?」
「昨日暑くてあんまり寝られなかったんだ」
嘘だ。本当は一晩中あのキーホルダーを探していて、お母さんに早く寝なさいと叱られてしまった。
「そんなんで学校はじまったらどうすんだよ」
いつもは気にならないその言い方に、ちょっとムッとする。誰のせいだと思って……!
「別に大智くんには関係ない」
その声の冷たさに、自分でも驚いた。
大智くんは小さく息をついた。呆れられたかもしれない。
と思っていたら、彼は来た道を引き返しはじめた。
「図書館、そっちじゃないよ」
「わかってる」
そう言いながら彼は足を止めない。
「ねぇ、大智く――」
彼は近くにあった公園に入ると、ベンチの前で立ち止まった。
「ここ座ってろ」
そして、どこかに走って行ってしまう。
「ちょ……え?」
取り残された私は、急に不安に襲われた。
やっぱりさっきの言い方、感じ悪かった? でも、私を置いてどこかへ行くなんて……顔も見たくないくらい怒ってるんだ。
ベンチはちょうど木陰になっていて、涼しい風が私の体を包む。それなのに、背中には冷たい汗が伝った。
嫌だ。大智くん、私を嫌いにならないで――!
とにかく大智くんを探しに行こう。立ちあがった私に、
「座ってろって言ったろ」
首筋にひやりと冷たい感触がして、飛び上がりそうになる。
「な、何?」
「これ飲め。そんで休め」
大智くんは私にペットボトルの水を押しつけると、隣にどかりと腰をおろした。
「あー、疲れた」
彼は肩で息をしている。呆然とする私を、大智くんは怪訝そうに見た。
「飲まねぇの? あ、キャップ外せないとか? ……ほら」
大智くんはペットボトルのキャップをはずし、こちらにさし出してくる。
「私のこと、嫌いになったんじゃないの?」
「は? 何言ってんの?」
「だって、きつい言い方しちゃったし」
「あれくらいたいしたことないだろ。まぁ光莉にしては珍しいかもな。よっぽど疲れてたんだろ」
それで大智くんは私を休ませようとしたんだ……。
勝手に嫌われたと思いこんで、不安になってしまった。
大智くんは私を大切にしてくれている。そうだ。昨日のことだって、何か事情があったのかもしれない。
「あの、大智くん。昨日のことなんだけど、私、見ちゃって……その、三浦さんといるところ」
思い切って聞いてみた。すると、大智くんは目を大きくし、
「あー……見られてたか。ごめんな、不安にさせて。まじごめん!」
大智くんは勢いよく頭を下げ、私の方が驚いた。
「実は、また三浦がストーカー被害に遭ってるって相談されて……光莉には心配させたくなかったから嘘ついたんだ。本当に悪かった」
「そうだったの……?」
でも、その相談が昨日の一度で済んだとは思えない。もしまた付き合うふりをしてほしいと頼まれたら、大智くんは引き受けるんだろうか。
そんな私の心を読んだように、大智くんは言った。
「でも、もう彼氏のふりはしないから。三浦にもそれを伝えたくて会ってたんだ。だから、もうあいつと会うことはないよ」
「そっか……」
正直、嘘をつかれたのは少しショックだった。でも、そういう事情があったならしかたない。彼はもう会わないと言っているのだから、信じよう。
それに、大智くんは私を忘れてはいない。そのことが、何より私を安心させていた。
「あれ、大智じゃね!?」
そんな声とともに、二人の男子がこちらに走り寄ってきた。知らない人かと思ったけど、その面影にはどこか見覚えがある。
「転校したんじゃなかったん?」
「最近またこっちに戻ってきたんだよ」
「えー! 言えよな! つか隣にいるの彼女!?」
「うわ、大智のくせに生意気……って、あれ? もしかして目黒じゃね?」
騒いでいる二人を見て思い出す。確か、中学校の同級生だ。
「うん、久しぶりだね」
「すげー大人っぽくなったな! 大智には悪いけどてっきり別れたのかと思ってたわー」
彼は私達がずっと付き合っていると思っていたのだろう。悪気はない分ちょっと気まずかった。
「そういや大智って、運命の恋とか信じるタイプだもんな」
「どういう意味だよ」
「ほら、小学校の卒業式の前日だっけ? 神社の前で『運命の恋を教えてください』とかなんとか、でけぇ声で叫んでなかった?」
「……は? 俺が?」
「あぁ、あと目黒もいたような……?」
美宙を勇気づけたくて、神社でお願いしたことは覚えている。でも、大智くんも一緒だった……?
「あー、言われてみればそんなことあったような?」
「で、運命の恋とやらは見つかったのか?」
大智くんはにやにやして、
「彼女持ちにそういうこと聞く?」
途端に二人は悔しそうになって、
「なんか俺、すげぇ負けた気分なんだが!」
「いいよなぁ、中学からずっと彼女いるとか。俺も彼女欲しー!」
「おまえはまだいいだろ! 俺なんてフラれたばっかりで……はぁ」
「うわ、そうだった。こいつ慰めるために男二人でこれから遊びに行くつもりだったのに。まさかこんな見せつけられるなんて」
「でも、この辺いるならまた遊ぼうな!」
と、二人ははなれていった。
「やっと行ったか」
大智くんは苦笑している。
「大智くん、あの時神社で祈ってたの?」
「そうみたいだな。昔のことだからあんまり覚えてねぇけど」
「そう、なんだ……」
あの神社にお祈りをしたのが小学校の卒業式の前日。高校二年生になって再会しても、大智くんは私を忘れずにいてくれた。
「本当に私をずっと好きでいてくれたんだ……」
「あ、当たり前だろ」
照れているのか、彼は私から視線をそらす。
やっぱり、不安になる必要なんてなかったんだ。だってもし少しでも三浦さんに惹かれていたら、私のことを忘れて……。
(あれ?)
大智くんは私を覚えていた。でも、私たちには会っていなかった期間がある。
私は凪くんが好きだった。でも、大智くんに惹かれていって、彼のことを何度か忘れかけ、そして完全に忘れてしまったらしい。
日記には、勉強を教えてくれた彼を一瞬忘れたことや、凪くんとお見舞いに行った帰りに数時間彼を思い出せなかったことも書いてあった。
絶対に忘れない! と書かれていたけれど、私は凪くんを忘れてしまった。
とにかく、私は何度か凪くんを忘れかけ、そして完全に記憶をなくしてしまったらしい。
(それって……)
子どもの笑い声が遠ざかっていく。代わりに、やけにうるさい自分の心臓の音が響いていた。
大智くんは私たちがはじめに付き合う前に神社に祈っていた。
転校して、私たちは離ればなれになる。それでも連絡は取りあっていた。そんな時に三浦さんの彼氏のふりをして、そして、少しだけ彼女に惹かれていたとしたら……?
彼は私を忘れ、私からの連絡を冷たく返した。それから、彼はやっぱり私が好きだったと気づいて私を思い出す。その時にはもう連絡が取らなくなっていて、彼は私を忘れていたことすら忘れていたとしたら……?
もしそうだとしたら、すべての辻褄が合う。
大智くんが私をフッたのに、再会したら普通に話しかけてきたことも。私のキーホルダーがどれだけ探しても見つからないことも。そして――昨日三浦さんと会ったことさえ。
大智くんが三浦さんを覚えているから、大丈夫だと思っていた。でも、その前提がそもそも間違っていたとしたら……?
(私に隠したのも、やましい気持ちがあったから……?)
もちろん今は本人は無自覚なんだろう。でも、少しでも彼女へ気持ちがあるから私に言いたくなかったんじゃない?
(でも、もう会わないって言った。私は、大智くんを信じる)
「大智くん。もう私に嘘、つかないでね」
次に嘘をつかれたら、私はきっと大智くんを信じられなくなる。
「当たり前だろ」
大智くんはそう言った。けれど彼は、決して私を見ようとはしなかった。
高校二年生の夏休みが終わった。私と大智くんは表面上は何事もなかったように仲良しで、そして、やっぱりイルカのキーホルダーはどこを探しても見つからなかった。
二学期がはじまって一週間が経った。
どこかだらけていた放課後の教室の空気は、今は明るくなっていた。というのも――。
「みんな聞けー! うちのクラスが喫茶店勝ち取ったぞー!」
大智くんの声に、みんなはわっと歓声を上げる。
「ガチで俺すごくね?」
「資料準備したのあたしだからね。調子に乗るな」
桧山さんが呆れたように言って、さらにクラスは笑い声に包まれる。
みんなは十月にある文化祭に向けて頑張っていた。文化祭実行委員になったのは大智くんと桧山さん。部活もしていなくて盛り上げるのが上手い二人は適任だろう。
彼が実行委員になってから、私は一緒に帰ることが減っていた。もちろんさみしかったけど、同時に三浦さんに会う時間もないということだ。
(……って、私、また疑ってる。こういうのよくないよね)
大智くんが一度私を忘れかけたこと。その事実は、思った以上に私を打ちのめしていた。
もしかしたら、よくあることなのかもしれない。呪いのせいでたまたま可視化されただけで、他のカップルだって、恋人以外の異性を少し気になってしまうことなんて珍しくない話だ。
「明日は役割決めるから、何やりたいか考えてくるように!」
大智くんのよく通る声が教室に響く。
こうやって場を仕切っている彼はとても輝いている。私と付き合っているのが不思議なくらいだ。
「光莉ー、帰ろー」
美宙に声をかけられ、私は笑顔でうなずいた。
最近は大智くんと一緒に帰ってばかりで彼女と帰る機会が好きなかったから、こうしてまた帰れるのはうれしい。
本当はもっと美宙と帰りたいのだけど、彼女は責任を感じているようで「これ以上邪魔はしたくない」と言っていた。そんなこと気にしなくていいのに。
帰り道、美宙と文化祭で何をやるか話した。
どう考えても美宙は接客一択なのに、彼女は裏方志望らしい。
ちなみにうちの喫茶店のコンセプトは『レトロ喫茶』だった。美宙が少し昔っぽい喫茶店の店員の衣装を着ているところを想像する。絶対可愛い。
「光莉、なに笑ってるの~」
「美宙が着てるの想像したら可愛くて」
美宙は目をまるくした後、
「だから着ないのに~」
と不思議そうに笑っている。
いくら美宙が断ったところで、どうせクラスメイトたちに押し切られて着ることになるのにな。
「それより、渡会くんもきっと接客だよね? 光莉も一緒にやったら?」
「は? 無理無理!」
クラスの出し物で可愛い衣装を着るのなんて、そのクラスでビジュアルがいい人がやるに決まっている。さすがに私だってその辺の空気はわきまえている。
「えー、似合うと思うのにな。それにカップルでおそろいの衣装っていいよね~楽しみだね」
無邪気に笑顔を向けてくる美宙。
私が着ることは絶対にないので、「そうだね」と笑顔で返した。
「ね、目黒さん一生のお願い! 接客やって!」
「えぇ……」
翌日の放課後。私の前には手を合わせてお願いしている桧山さんがいた。
「目黒さんも渡会と接客やりたいよね? 渡会は忙しいから少ししかできないと思うけど、もちろん時間も合わせるし。だからお願い!」
周りのクラスメイトたちも、彼女に同調するようにうなずく。
「渡会くんとだったら一生の思い出になるじゃん! うらやましい」
「いいよなぁ。俺も彼女と一緒に着たいわ」
「青山は彼女いないでじゃん」
「うっせぇ! 文化祭が終わるまでは作るからな! 見とけよ!」
「はいはい、頑張って~」
桧山さんは私をまっすぐに見据えると、
「目黒さん、もちろんやるよね? ね?」
と圧をかけてくる。とにかく必死だった。
「えっと……」
口ごもる私を見かねた大智くんが割って入る。
「やめとけ。光莉が接客しても売り上げ落ちるだけだから」
止めてくれるのはうれしいけど、他に言い方はなかったんだろうか。
桧山さんが「あのねぇ!」と声をあげる。
「渡会、話聞いてた? 目黒さんが接客やってくれたら、うちの売り上げは何倍にもなるかもしれないの! だって――」
彼女は私の隣にいる美宙に目をやった。
「だって椎名さんが接客やってくれるんだからー!」
美宙はこの状況でも動じず微笑みをうかべている。
裏方を希望した美宙に、クラスメイト、特に桧山さんは接客をするように説得した。そこで美宙が出した条件が「光莉と一緒なら」だった。
「渡会、やるからには一位目指すって言ったよね? あれは嘘だったの? それに、普通に彼女が可愛い衣装着てるの見たいでしょ!」
「俺は別に見たくねぇよ。つーか、さすがに失礼じゃね? あからさまに椎名目当てで光莉に頼むの」
二人が私のせいでもめている。申し訳なく思っていると、
「いやその発言が失礼なんだけど! 目黒さんって地味めだけど普通に可愛いっしょ?」
隣で美宙までうなずいている。何これ。なんだかすごく恥ずかしい。
「やるからには目黒さんに恥はかかせないから安心して! あたしがメイクするし」
「……で、でも」
それでも食い下がろうとする大智くんに、桧山さんはニヤニヤした。
「あー! もしかしてそれわかってるから接客させたくなかったんだ! 目黒さんがかわいいってバレちゃうもんね~」
「ちょ、声デカいって……!」
そう言う大智くんの顔はまっ赤だ。
「じゃ、目黒さんは裏方メインで、渡会がいる短い時間だけ接客やるってことでいい? それなら文句ないでしょ」
桧山さんの折衷案に、美宙が「うん、いいよ。本当はもっとやってほしかったけど、渡会くんが嫉妬しちゃうから」と追い打ちをかけていた。
「決まりね~。じゃあもう一人接客やりたい人~」
桧山さんがテキパキと決めていく。いつもは一緒に仕切っている大智くんも、しばらくの間気まずそうにしていたのだった。
(やっぱり、三浦さんとのこと、私の気にしすぎだったのかも)
私がそう思うのには十分で、だから私は安心しきっていた。




