第十八話
私達は夏休みの間、たくさんの思い出を作っていった。
大智くんが神社に祈った時は、本当にどうなることかと思った。でも、彼はずっと私だけを大切にしてくれていた。
だから、私は安心していた。
大智くんはずっと私のことを好きでいてくれている。そう信じて疑わなかったのに――。
「あー、凪くん、暑いよ……」
「ね……いくらなんでも暑すぎじゃない?」
八月下旬。もうすぐ夏休みは終わりにさしかかろうとしていた。
日射しがじりじりと肌を焼き、私の肌を汗が伝っていく。
今日は凪くんと楓ちゃんのお見舞いに行く約束をしていた。あれから、大智くんと三人で何度か楓ちゃんの病室を訪れていた。
でも、今日は大智くんは親戚に会う用事があるので私達二人だった。
何度目かの汗が額を伝う。私はバックを開け、うんざりした。ハンカチを持ってくるのを忘れてしまった……。
「凪くん、コンビニ寄っていい? 私、ハンカチ持ってくるの忘れちゃって」
「いいけど……もったいなくない?」
「あー……まぁ」
コンビニのハンカチはちょっと高い割にデザインが可愛いわけじゃない。今日しか使わないだろうけど、買わないわけには行かないだろう。
「そうだ。これ使ってよ」
凪くんは私に皺一つない綺麗なハンカチを差し出してくる。
「そんな……悪いよ!」
「じゃあ光莉ちゃん、アイスおごってよ。ハンカチ代浮いたら二人分買えるよ」
凪くんの素敵な提案に、私も笑顔になる。
「じゃあ遠慮なく借りるね」
「うん。病院の売店で楓の分も買っていこう」
遠慮なく、と言ったものの、こんな綺麗なものを私が使ったら汚してしまうのではないかと怖くなる。それにしても白いハンカチで凪くんらしい……あれ?
別に珍しいデザインではない。それなのに、どこかで見たことがあるような気がする。
見たことあって当然なんだけど、そうじゃなくて……。
「光莉ちゃん? どうしたの?」
立ち止まった私に、凪くんが心配そうにふり返る。
「これ、どこかで見たことがあるような気がして……」
そうつぶやいて、気がついた。
そうだ。日記に書かれていた私と凪くんの出会い。私が泣いているところを、凪くんがハンカチを貸してくれたと書かれていた。
もしかしてそれがこのハンカチなんだろうか?
「ねぇ、凪くんって、泣いてる私にハンカチ貸してくれたことあったよね?」
「え? それって、高校に入る前の話?」
うなずくと、凪くんは驚いた表情をした。
「あれって光莉ちゃんだったんだ。え、でも、それって……」
そして、気まずそうに目をふせる。
「何?」
「ううん、なんでも」
「え、ほんとに何!? 私ちゃんと洗って返したよね、何かいけなかった?」
あの後、まさか同じ高校で再会するなんて思わなくて、私は手作りのクッキーと一緒に紙袋に入れて思い切って凪くんにハンカチを返した。
凪くんは笑顔でお礼を言って、でもそれきり話すことはなかった――って日記には書いてあった。
「やっぱり手作りのクッキーが痛かった!? ごめんね、知らない人からの手作りなんて怖いよね!? でも、捨てててもなんとも思ってないから安心して!」
そんなことで凪くんが気に病んでいたら可哀想だ。
「え、違うよ!? ちゃんと食べたよ」
「じゃあずっごくまずかったとか!? もしかしてお腹壊した!? ご、ごめんね本当に……!」
「光莉ちゃん落ち着いて。ぜんぜん違うから」
「じゃあ、何があったの?」
けど、凪くんは口を閉ざしてしまった。ハンカチは問題なさそうだし、やっぱりあのクッキーがいけなかったんだ……。今年のバレンタインは大智くんに手作りチョコを作ろうかと思っていたけど、やめた方がいいかもしれない。
私が固く決意していると、
「光莉ちゃんって、あの泣いてた日のことも日記に書いてあるんだよね?」
私が日記に彼とのことを書いてあったのは、『凪くん』呼びをして嘘がバレた時に白状した。
「なんで泣いてたのか、書いてあった?」
凪くんのどこか探るような視線が向けられる。
「そう言われてみれば……書いてなかったかも。あれ?」
日記を読んでいた時は、凪くんとの思い出を記憶することに必死になっていて気づかなかったけれど違和感がある。
「あ、いや。ごめん、なんでもないんだ。それより早く行こうよ。ここで立ち止まっていても迷惑になるから」
立ち止まっている私たちの側を、何台も車が通っていく。
ここが邪魔になるのはもっともだから、私は歩き出した彼のあとを追った。
「ね、凪くん。なんでその話して――」
「そういえば、お祭りの時は大丈夫だった?」
私の一歩先を歩く凪くんの表情は見えない。
「あ、うん、色々心配してくれたみたいでごめんね」
あのお祭りの日、大智くんから逃げてしまった私を彼は必死で探してくれていた。そんな時、大智くんは一人で来ていた凪くんとばったり会い、凪くんも私のことを探してくれたみたいだ。
ちなみに凪くんはお祭りに行けない楓ちゃんのために、屋台で買ったものを病院に持っていくために来ていたらしい。本当にどこまでも妹思いの人だ。
「無事に合流できないみたいでよかったよ。でも、あの渡会とはぐれるなんてよっぽど人が多かったんだね」
「実は、私が勝手に誤解して、大智くんから逃げちゃったんだ」
「誤解って?」
別に言う必要はなかったのかもしれない。でも、凪くんは心配してくれたし、もう終わったことだからと私は軽い口調で言った。
「うん、大智くんが転校先で付き合ってた人が現れて――わっ!」
突然立ち止まった凪くんの背中に私はぶつかった。
「どうしたの? 暑くてしんどくなっちゃった?」
「渡会、彼女いたの?」
うつむいた凪くんが発した声は驚くほど低く、私は息をのんだ。
「だから誤解だったんだよ。ストーカー対策で付き合ってるふりをしてたんだって」
「そう……」
今日の凪くんはちょっと変だ。暑さで疲れているのかもしれない。
「光莉さん、いつもありがとー! 大智さんによろしくね!」
楓ちゃんは笑顔をうかべて手をふった。
私も笑顔で「また来るね。今度は大智くんも連れてくるから」と病室を後にした。
隣を歩く凪くんはいつもどおり楽しげで、やっぱりさっきは少し疲れていたんだろう。
「凪くん、このあと空いてる?」
「空いてるよ。どうしたの?」
「今日から期間限定の発売だから、帰りに駅前のカフェ行かない? 一人じゃ行きにくくて……」
「うん、いいよ」
彼は笑って了承してくれる。
あれから病院の売店で、凪くんはなんだかんだで私の分のアイスをおごってくれた。楓のために来てくれたから、と言っていたけど、私は凪くんに気を使って彼女に会いに来ているわけではない。
お祭りで迷惑をかけ、今日はハンカチを借りた上にアイスまでおごってもらってしまった。私も凪くんに何かお礼がしたい。飲み物一杯おごるくらいならちょうどいいだろうと私は彼をカフェに誘ったのだった。
日記に書かれていた映画も行けなかったようだし、彼とは楓ちゃんの病室にしか行ったことがない。
凪くんは甘いクリームを沢山のせて飲んだりするんだろうか。そう考えて、ちょっと楽しくなる。
病院からのバスに乗り、駅前で降りる。私の最寄り駅にはないからいつもとは違う駅だ。
いつか私の最寄りにもできないかな、と考えながらカフェに向かっていると、
「あれ……」
と、凪くんが足を止めた。
「あそこにいるの、渡会だよね? あの子が親戚の子?」
凪くんの視線の先を見ると、私服姿の大智くんが派手な女の子と歩いていた。
(あれは……三浦さん!?)
三浦さんとは会ったばかりだし、見間違えるわけがない。
「凪くん、早く行こ!」
「え、挨拶しなくていいの?」
凪くんはとまどっていたが、私は構わずカフェに入った。
強めの冷房に小さく体が震えた。……なんで逃げちゃったんだろう。私は悪いことをしていないのだから堂々と声をかければよかったのに、なぜかできなかった。
「光莉ちゃん、どうしたの?」
席に着いてから、凪くんにおごるのを忘れていたことを思い出す。
……一体なんのためにここに来たんだろう。
「あの人、親戚の子じゃない」
え、と凪くんが目を見はる。
「そうなの? でも話してみないと……」
「私、あの子に会ったことがあるの。お祭りで」
「もしかして……」
「うん、大智くんと付き合ってたふりしてたって子」
私は混乱していた。
大智くんは私を忘れていない。だからあの子を好きなわけではないんだと思う。……だったら、どうして私に嘘をついてまで会っていたんだろう。
「や、やっぱり大智くんに聞いて――」
今から行けば見つかるかもしれない。私が席を立つと、その手を凪くんがつかんだ。
「凪くん?」
「光莉ちゃん。渡会は、やめておいた方がいいと思う」
「――え?」
凪くんはこちらをまっすぐに見上げていた。感情の読めない顔だった。それなのに、瞳の奥から放たれる強い怒りが私を貫いた。
「光莉ちゃんは忘れてるんだろうけど、あの時泣いてたのは、彼氏にフラれたからって言ってたよ」
「え……そんなわけ……人違いだよ! 凪くん、誰かと誤解してるんじゃない? 凪くん優しいから、他にも泣いてる女の子をなぐさめたことがあって、その子とごっちゃになってるとか!」
「でもその子、彼氏とおそろいだったピンクのイルカのキーホルダー持ってたんだ。それで、彼氏を忘れるからって捨てたんだ。あれ、渡会が鞄につけてるものだよね?」
「――っ!」
反論したいのに、何も言えなかった。
さすがにそんな偶然が重なるなんてありえない。それに……そのキーホルダーは、私がどれだけ家を探しても見つからなかったのだ。
へなへなといすに座り込む。
大智くんを信じたい。でも、信じられない。
(で、でも、もしあのキーホルダーが見つかれば……!)
もし大智くんの記憶をなくしていた後で、部屋に見慣れないキーホルダーがあって捨てたとしても、『何だろう?』って思った記憶はあるはずだ。私が過去に大智くんとのデートできた服だってちゃんと捨てられずに残っていた。
今からキーホルダーを探そう。きっと何かの間違いだ。
だって、彼は三浦さんをちゃんと覚えていた。だから好きじゃない。きっと今日会ったのだって何か事情があったんだ。
「光莉ちゃん、あの……」
「ごめん凪くん! 私、用事ができたから帰る!」
「え、光莉ちゃん!?」
そもそも大智くんは、私が記憶をなくしたことを知らなかった。凪くんの言うとおり私をフッたのなら、あんな風に普通に話しかけてくるなんておかしい。
そのはずなのに、なぜか私の不安はどんどん広がっていくばかりだった。




